【硬式野球】(81)ドラフト特別企画 榊原七斗外野手ご両親インタビュー

10月22日、ドラフト会議で阪神タイガース(阪神)から1位指名を受けた榊原七斗外野手(情コミ4=報徳学園)。「どんな時も背中を押してくれた」(榊原)ご両親にお話を伺った。
(この取材は10月27日に行われました)
――指名はどのような状態でご覧になっていましたか。
父・章司さん(以下、父) 「テレビの前でいち早く陣取るのですが落ち着かず。初孫を抱き、一緒に待ち望みました」
母・直美さん(以下、母) 「長男夫婦とこの日は休日をいただいて、主人と見させていただきました。七斗が一番緊張しているのに、私たちもすごく緊張していました(笑)」
――指名された瞬間はいかがでしたか。
父 「めちゃくちゃドキドキしたね」
母 「見られへんかったね」
父 「(一巡目は)競合になって名前が挙がる子がいて。(七斗の)名前はないんだって思って。でも最後にまさかのまさかの関西の球団でって!と思いました。関西の球団で、熱烈なファンがいてくれて、そして地元で。そこからの指名があった時はもう声が出なかったです。一言目が出ないくらいびっくりしたんですよね。阪神はキャッチャーを取りに行くという前評判が紙面とかのいろんな情報であったので。直前でああもうこれで1位指名はないなって諦めていたんですよね。でも名前呼ばれる時には心の底からは榊原七斗って思いながら見ていたら、そのままの状態で名前が出たのでびっくりで。本当に感謝です」
母 「本当に最高な時間で幸せな時間でした。感謝です」
――阪神からの指名ということで改めていかがでしたか。
母 「甲子園は高校生のときも行けていなくて。近いようで遠かったところですし、野球をする上でみんなが目指すところはまず甲子園ですし。行けなかった甲子園にやっと夢舞台に立てるのかなというのは本当にうれしいですよね」
――指名されてからは七斗選手からどのような報告がありましたか。
父 「『ありがとう』でした。とにかく『ありがとう』でした」
母 「父の方に電話がかかってきて、スピーカーにして家族総勢で七斗より先に『おめでとうー!!』と伝えました。(七斗からは)『ありがとう!!!』でした。あと『産んでくれてありがとう!!!』『育ててくれてありがとう!!!』でした。ユニフォームを着て、ビデオ通話になっていましたね」

――七斗選手は小さい頃、どのようなお子さんでしたか。
父 「物静かで一人遊びが好きでした。レゴブロックでコツコツと思い描いたものを作っていました。器用でした」
母 「とにかく、電車のレールを長く組み合わせて遊んだり、レゴブロックでの物作りがとても大好きで、器用に何でも作って遊んでいました。5歳頃までは全くボールを触ることもしなかったし、興味も全くでした(笑)。長男は、小学2年生頃に野球を始めたので、そこから一緒に連れて行くようになり、ファールボールとかを取りに行って投げる頃から段々と興味が湧き出して。七斗も2年生頃から野球を始めていきました」
――野球はご本人がやりたいとおっしゃったのでしょうか。
父 「それが全然興味がなく。どうしたら興味が湧くかと心配で、当時アニメ『メジャー』が大好きになり、スポーツ店の茂野吾郎がプリントされたグローブを購入して。そこからですね」
母 「兄が野球をし始めたのもきっかけです」
――食事面に気を遣っていたことはございますか。
母 「特にないです。お米が大好きだったので、ありがたかったです。鳥のささみ肉は常に食べさせていたと思います。煮魚、焼き魚が父と七斗は苦手だったので、魚を食べさせてあげることが、あまりなかって、私がいけないのですが好きな物だけ…(笑)。今では寮のおかげさまで! 魚も克服させていただけまして♡ おいしくいただけております。感謝です」
――ご家族でも野球の自主練習をされていましたか。
父 「鳥籠を作って、そこでティーバッティングの練習でバットを振ることをよくしていましたね。僕がいなかったら、母親の方がティーを上げてやっていましたね。報徳でも学年50人くらいいて、3学年で150人ぐらいになるんですよね。その中でも、試合に出させてもらえるっていうのは一生懸命になって頑張ったんだろうと思いますね。一人ででもそうですし、努力は人一倍にはしていたと思うんですよ。見ていないところでも、バットを振ったりとか、いろんな努力は惜しまずやっていましたね。本当に。それが今の形にもなったんだろうと思います」
――七斗選手から言われた言葉で印象に残っているものはありますか。
父 「お父さんありがとう」
母 「『産んでくれてありがとう!!!』は感動でした♡ とてもうれしかったです。『絶対にドラ1で行く! 約束!!』も泣けました」
――それぞれどのようなタイミングで言われたのでしょうか。
父 「常に何か出てくるってなったら、一言目がありがとうですね。感謝の言葉はいつでも普通に出てくるんですよね。だから常に言ってくれていますね」
母 「本当にありがとうはずっと言ってくれていますね。ドラフトの約束は、3年生に上がる頃です。ジャパン(大学日本代表)に向けて合宿に落ちたんですよね。やっぱりジャパンに選ばれてプロ野球選手が見えてくる一つの指標にもなるでしょうし、そこに食い込めるようにと頑張っていて。七斗の場合は甲子園も出られてなかったし『もう自分は社会人で頑張らないといけへん』って言って」
父 「そこで母が『そんなんさせるために東京行かしたん違う』って喝を入れて」
母 「一番本人が辛かったでしょうね。本人が一番頑張ったんやから辛いやろうなと思いながら電話で話しているときに『絶対ドラ1で行く』って言っていましたね。その思いから去年と今年の夏はジャパンに行けて、本当に頑張ったなと思います」
――大学日本代表の試合は見に行かれましたか。
父 「3年生の沖縄の方はテレビ観戦した感じで。台湾と、北海道と新潟には行きましたね」

――大学日本代表のユニフォーム姿はいかがでしたか。
父 「日の丸を背負って、日本の代表としてプレーすることは本当にありがありがたいことだなと」
母 「日の丸の背負わせてもらえることに対して本当に感謝しましたし、本当にうれしかったです」
――改めて七斗選手にどのようなメッセージを贈りたいですか。
父 「産まれてきてくれて、野球やってくれて、家族の楽しみを増やしてくれてありがとうですね。これから野球人生って多分短いんですよね。僕ら会社員とかで仕事している方がやっぱり長いんですよね。スポーツ選手はある程度の時期聞いたらどこかで引退とか野球人生を諦めないといけない時があるから、それまでケガに気をつけて、息長く頑張ってほしいです!」
母 「産まれてきてくれてありがとう。これから大変やけど楽しんでもらえたら一番やし、本当に応援しています!」
――ありがとうございました。
(写真はご両親提供)
[小松錦葵]
※本インタビューを含めた「明大スポーツ新聞第559号(ドラフト特集号)」は10月29日に発行いたしました。ぜひ、併せてご覧ください。
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