【硬式野球】(80)ドラフト特別企画 福原聖矢主将ご両親インタビュー

2026.11.01

 10月22日、ドラフト会議で東京ヤクルトスワローズから3位指名を受けた福原聖矢主将(国際4=東海大菅生)のご両親にお話を伺った。

(この取材は10月25日、電話で行われました)

父・義通さん

――ドラフト当日はどのように過ごされていましたか。

 「テレビでずっと見ていたんですけど、沖縄の局で(午後)6時からニュースが始まってしまって指名の瞬間はテレビで見られなかったんです。そばでネットを見ながら聖矢の妹と一緒に見ていたら妹が見つけて、ヤクルト3位だ〜という感じで知りました」

――指名された瞬間の聖矢選手の表情がSNSで上がっていると思います。あの表情はどう見ていましたか。


 「ああいった笑い方はいつもお姉ちゃんとかお兄ちゃんにいじられていたので、同じ顔している〜ということで兄弟は笑っていましたよ」

――指名された後は電話でやり取りをしたと思いますが、どのようなやり取りをしましたか。


 「『指名されて良かったね』ということで、記者会見があったのかな、『後でゆっくり電話するね』となって。『おめでとう』と『良かったね』だけでその時は終わりました。その後22時過ぎぐらいかな。だいぶ落ち着いてきたかなということで、お母さんとも電話して。その時は聖矢がいろいろ疲れていて、今寮に帰ってきたって言っていたので『お疲れさん』という感じでした」

――聖矢選手は幼少期、どのような子でしたか。

 「じっとしていない子でしたね。例えばお兄ちゃんお姉ちゃんの野球に連れて行くと、私は審判をやらないといけなくて。まだ小学校上がらないくらいの聖矢を他の保護者に見ていてくださいと預けていたんです。そうすると聖矢は相手してくれる大人を見つけたら、練習試合をしている間ずっとその人を捕まえてずっとキャッチボールをやったりしたので、父母の方はみんな聖矢がいたら逃れられないから見つかる前に逃げていたという話もあります。あとは、グラウンド整備をする時にはよく私が『どうせ整備するから、ベースランニングして遊んでこい』と遊ばせると、各塁でヘッドスライディングとかしていましたね。グラウンドがきれいになる前に行ってこいと言うと、聖矢は喜んでやっていました」

――お父様から見て、聖矢選手の一番の長所はどこにあると思いますか。

 「洞察力ですかね。やっぱり周りをよく見ているところは兄弟で3番目ということもあると思います。あとは元々の性格と、野球を始めた頃から基本ずっとキャッチャーなので、自然と周りを観察する力が養われたのかなと思いますね」

――聖矢選手ご本人が捕手をしたいという希望があったのでしょうか。

 「防具をつけるのがかっこいいからということで最初は学童野球に連れて行ったら、勝手に先輩たちが外したマスクとかプロテクターとか小学校 1年生のころには勝手につけていたりしました(笑)。そんなにキャッチャーがしたいのかと、しょうがないので園芸用の緑の針金で骨組みを作って、新聞紙で顎に当たるところや頭に当たるとこを作って、ビニールテープで巻いて作ってあげましたよ。喜んで毎日つけていました」

――明治大学進学後の2年間はなかなか出場機会がなかった中で、3年の春のリーグ戦での活躍はどのように見ていましたか。

 「多分試合に出られるのは最後の年、4年生になってからだろうっていうのは考えてはいたので、3年の春にチャンスをもらえて。チャンスさえもらえれば、それなりのプレーはしてくれるだろうなとは思っていましたけど、思いのほか良かったですね」

――プロ野球選手になるという一つの夢をかなえた聖矢選手へ今思うことはありますか。

 「高校から親元を離れてずっと頑張って、また大学でもそれなりに活躍もしていて。プロ野球選手になれるということで、まずはおめでとうということと、あとはこれからますます厳しい世界に行くので、さらに体調管理を徹底して、ケガをしないように。その辺りを気をつけて頑張ってほしいです」

――聖矢選手にはどんな選手、どんな大人になってほしいですか。

 「とにかく信頼される選手になってほしいです。そして何より信頼される『人』になってほしいです」

――最後に、聖矢選手へメッセージをお願いします。

 「小さいころからいつも楽しい野球を見せてくれてありがとうございます。今度はプロ野球という最高峰の場でこれからも聖矢のプレーを見せてください!」

――ありがとうございました。

(写真:(左)父・義通さんと福原主将)

母・織絵さん

――聖矢選手が指名された時の心境を教えてください。

 「良かったというのと、驚きと、という感じでした」

――4兄弟の中で聖矢選手はどのような存在でしたか。

 「しっかりしている子だと思います。小学校か中学校の卒業式の時に他の親御さんからお礼を言われたことがあるんですけど、あまり学校に行けなかった子に結構優しくして助けられましたと感謝されたことがあって。そういうこともできる子なんだなと、私の見えないところでいろいろ人と関わっているんだなと思いましたね」

――聖矢選手は幼少期、野球以外にも習い事をたくさんされていたと思いますが、全て楽しく取り組んでいたのでしょうか。

 「お兄ちゃんやお姉ちゃんは一生懸命させたという感じがするんですけど、聖矢はどちらかというとピアノと英語に関しては自らやりたいと言っていました。スイミングはやりたくないと言ってすぐやめたんですけどね(笑)。ピアノは心の安らぎというか、そういうふうに捉えているのかなっては思いましたけど。(どのくらい続けられていたんですか)小学校1年から中学校までは週1で習っていましたね。中学校時代は合唱コンクールでピアノを弾いていたりとか、小学校と中学校の卒業式に校歌の伴奏でピアノを弾いていましたね」

――野球をしている聖矢選手に親として驚かされたことはありましたか。

 「どちらかというと野球というより、勉強も頑張りながらというところが驚きました。私たちは中学校の時代までしか本人のところを見てないですけど、勉強をするときに、1回この勉強を覚えたと思ったら次は自分で素振り何回とか。そういった方法で勉強していて。野球と勉強を組み合わせて身体で覚えているのが、面白いなこの子と思って驚かされたことがありました」

――聖矢選手が主将になると知った時はどのようなお気持ちでしたか。

 「まさかと思いましたね。今まで試合に出ているわけでもなかったので、まさか聖矢が選ばれるとは思っていなくて。監督さんがどこをどう評価していたのかというのがすごく興味があったところではあるんですけど。後々いろんなものを見ていると、信頼もあったり、今までの努力とかを認めてもらえているんだなと思うと、すごくうれしかったですね」

――ドラフト会議後、聖矢選手とはどのようなやり取りをされましたか。

 「22時過ぎだったかな。ちょうど今寮に帰ったばっかりと連絡がきて電話をして、良かったなという話はして2人で喜びました。ハートマークをつけて『一番の推しだよ!♡』とメッセージを送ると『ありがとう♡』みたいな感じでハートマーク付きで返事が来ましたね(笑)」

――プロ野球選手になるという第一の夢をかなえた聖矢選手に、今思うことはありますか。

 「やっぱりみんなが応援しているからこそ、自分があると思ってほしいなと思うのと、あとは今選ばれたからといってプロ野球選手ではないので、努力を続けてほしいというところは、本人も知っているだろうと思いますが、野球を続ける中で頑張ってほしいなと思っています」

――ありがとうございました。

(写真:(右)母・織絵さんと福原主将のパネル)

(写真はご両親提供)

[平良有梨奈]

※本インタビューを含めた「明大スポーツ新聞第559号(ドラフト特集号)」は10月29日に発行いたしました。ぜひ、併せてご覧ください。