【硬式野球】(62)岡部純陽 幾多の試練を乗り越え、日本の司令塔へ

2026.09.23

 持ち前の対話力と観察力を活かし、巧みなリードを見せる岡部純陽捕手(文1=中京大中京)。夏の甲子園優勝7回を誇る名門校でキャプテンを務めた逸材だが、その裏には多くの挫折を努力で乗り越えた経験がある。目指す理想像は「日本代表として信頼される司令塔」。天真らんまんな性格に秘めた静かな闘志に迫る。

人間性と野球センスの礎
 
岡部の穏やかな物腰と誰にでも寄り添う姿勢。その源流は、幼少期を過ごしたインドネシアにある。異国の人々との交流は、どんな相手にも物怖じしない落ち着きを育み、人柄の礎となった。座右の銘は「maybe」。おおらかな性格で投手との対話を欠かさず、相手を落ち着かせるリードで信頼を築く。野球人生の原点は、兄の通う野球教室でのキャッチボールだ。雨の日にもガレージで白球を追う努力は、上達を生み、実力者が集う中日ドラゴンズのジュニア選出につながった。天真らんまんな性格と地道な努力は、彼の野球センスの土台を築いた。

繰り返される栄光と挫折        
 「小さいころからの憧れ」。中京大中京のユニフォームは、彼にとって長年の目標だった。持ち味である気持ちで押し切る野球から一転、細かな動作まで徹底して管理する野球が求められる世界。戸惑いながらも、その厳しさが生む強さを理解していった矢先、1年時夏に肩を負傷し手術を受ける。「1年を棒に振った」と振り返るがそれでも練習を続けた。復帰後、監督から三塁手への転向を告げられる。「下手でしたし、自信がなかった」と振り返った。それでも朝4時半に起き、コーチのノックを受け続けた努力は実を結び、2年時の夏には正三塁手となり、地方大会では打率4割超え。甲子園へと導いた。「甘い球を仕留めることだけ意識していた」と語る集中力は、高校で唯一のゾーン体験を生んだ。甲子園では広がる景色に圧倒されながらも持ち前の落ち着きを発揮。だが2回戦では最後の打者となり「自分がつないでいたら」と悔しさをかみしめた。その秋、同期一の人望を買われキャプテンに就任し、捕手へ戻ったが打撃は絶不調。「自分と戦っていた」と重圧に苦しんだ。それでもメンバー外の同期への声かけを欠かさず、チームの方向をそろえた。最後の夏も打撃は戻らずとも、守備の軸として戦い抜いた。しかし、チームは準々決勝で敗退。それでも、泣きながらロッカーに入ってきた仲間を最後まで思いやった。全国最多優勝の伝統校が背負う「中京プライド」の重圧を、努力で自信に変えた3年間。「苦しかった。でも、挫折したから今がある」と振り返った。

日本を代表する司令塔へ
 
人並外れた努力とおおらかさを武器に、夢を追い続けてきた。全国の実力者に囲まれ、自主性が求められる環境で、観察力と対話力を活かし、捕手の判断力を磨く。体づくりにも真摯に向き合う。その先に見据えるのは、日本代表として信頼される司令塔だ。

[白石京太郎]

岡部純陽、文1、愛知県出身、中京大中京高。右投げ左打ち、捕手。筆者と高校が隣同士。最寄り駅前にあるコンビニエンスストアの品揃えが良いという話題で盛り上がる。170センチ・75キロ