明治大学雄弁部インタビュー拡大版(前編)/オープンキャンパス号特別企画

2026.08.01

 明大スポーツ第557号(オープンキャンパス号)にて、明大のサークルの中でも最も歴史の長い明治大学雄弁部の生田支部局長・木村幹太さん(農4=東農大第二)、代表・中野潮風さん(政経3=埼玉県立浦和、副代表・笠岡賢四郎さん(政経3=大分東明)、和泉支部局長・秋庭大輝さん(政経2=桐蔭学園)、広報局長・永谷亮翔さん(政経2=山村学園)に取材をさせていただきました。紙面には載せ切れなかった興味深いお話を掲載していますので、8月1日発行の紙面と併せてぜひご覧ください。

(この取材は7月7日に行われたものです)

――活動内容を具体的に教えてください。
笠岡
「私たちの活動内容といたしましては主に三つの活動があるのですが、一つ目の弁論活動が一番軸にあります。弁論活動というのは、弁士が社会課題の解決策を聴衆の前で論じて、他大学の弁論系サークルと勝負し誰の問題提起と解決策が一番優れていたかを大会で競い合います。その上で弁論大会の特色が1点ありまして、聴衆が大体100名から200名いるのですが、やじを飛ばせるんですね。それで、弁士が弁論している時に、その原因分析が本当に正しいのか、その解決策が本当に有効なのかのようなことをやじで飛ばしてくる中で、弁士は自分の弁論を論じたり、質疑応答でも反論が来るのですが、それに対して応答していって、競い合うというのが弁論大会です。他の二つに関しては、企画と研究というような活動がありまして、企画については部内の方で勉強会などをやっていくという形になっています。あとはフィールドワークや模擬国会をやったりします。今度の8月に経済産業省の官僚や衆議院の方をお呼びして、部内で政策立案コンテストをやって、僕らの制作に対してフィードバックをいただくといったこともやります。そして研究活動が、自分たちが好きなことをどんどん勉強していこうというのが研究活動の主な内容になっていまして、政治学、経済学、哲学などを部員同士で集まっておのおのが日々勉強していくというのが活動になっています。これらの弁論、企画、研究が雄弁部の活動になっています。補足とかありますか」

秋庭「融資活動とかは」

笠岡「融資活動もありまして、今の企画の三つ以外に、例えば環境大臣などの大臣の方をお呼びして食事会をしながら勉強したりだとか、前回の選挙は落ちてしまったのですが、雄弁部のOBに国会議員の方がたくさんいらっしゃるのでその方に事務次官などトップの方を呼んでいただいて、特別に勉強会をやってくださったりとか、議員の方のインターンのあっせんなどもやったりしています」

秋庭「選挙も手伝っています」

――弁論大会で競い合うというお話がありましたが、それは審査員の方が審査して決まるものなのでしょうか
木村
「大会によってそれはまちまちで、例えば明治から1人、東大から1人、早稲田から1人出して、学生が審査員をやるという大会もあれば、東農大さんが主催する農水杯という農業に限定した弁論大会があるのですが、その時は確か全農(全国農業協同組合連合会)の人事部長や、東農大の教授の方や専門家など(が審査しました)。あとは、防衛大学が主催している雄叫び杯という安全保障に限定した弁論大会があるんですけれども、そこは防衛大の自衛官の教授や現場の方に審査員に入っていただいて、それを学生の弁も聞いて審査するみたいな形ですね」

――審査の基準は具体的にありますか。
笠岡
「結構大会によって違うことが多いのですが、三つ大まかにポイントがあると思っています。一つ目が、その弁論の内容がいかに論理的な整合性が取れているか。その問題に対して、その問題の原因がしっかり分析されていて、その原因に対して有効な解決策を打てているかという、全体の論理的な整合性がまず見られるというのと、二つ目が、あくまでもスピーチなので、言葉の表現や話し方が巧みである、そういった人を感動させるような喋り方ができるかというのもやはり言われます。最後が、誰がその論を述べているかです」

木村「例えば政治を変えなくてはいけない、例えば環境問題に対してアプローチしなければいけないと壇上で学生が言ったとして、その人が今まで全くそういったものに触れてこなくて、この大会の時だけ言っていたら、それは説得力がないよねというふうに見られてしまうので、ある程度その人のバックボーンやその弁論を作るためにどれだけ調べてきたか、どれだけ足を運んだかみたいなところも、割と聴衆の反応を見ていると加味されているのかなというのは感じますね」

笠岡「そうなんです。生活保護を受給して大学進学した人が、その生活保護の最低限度の生活の中に大学教育は含まれていないといけないという話をした時に、その人がそういう経験をしてきたからこそ説得感があるなというように、その人がどういう人間であるかというのが大事だなと思いますね。そして弁論大会で特徴的なのは、やはりスピーチと違うのが、社会問題の解決策。これは価値観でも、今こういう価値観が社会をこう進んでいるからこれを変えないといけないとか、もしくは少子高齢化などさまざまな社会課題に対してこういう解決策がないといけないなど、いろいろな面であるのですが、結局のところ全て社会問題を解決するというところに集約されていくところではあります。なので、問題提起の大きさ、問題の重要性などがとても大事になっています」

――部員の学部構成はどうなっていますか。
秋庭
「僕らの代までは割と政治経済学部が多数を占めていた部分はあったのですが、今年から入ってきた新入生は均等にいろいろな学部の人がいる感じです」

――毎年何人ほど入部されますか。
木村
「10年前、20年前は今よりも全体の数が3分の1、4分の1とすごく少なくて、当時の代表がすごく危機感を持って、もっと明治大学の中には雄弁部に適性ある人がいるはずだということを言って、当時は学ランを着て明大前でマイクを持って演説をしていたという話もあるのですが、1枚のA4にガリ版みたいな形で刷って、簡易的なものだったのですがちゃんと冊子の形にして、見やすい形にレイアウトを整えて、たくさん明大生に配れるように何千部用意して、講演会も力入れてみたいな形で、多分人目につくことが増えて認知度が上がったというところが、人が増えたのが大きい原因なのかなと思いますね」

笠岡「昔はすごく優秀な人でないと断っているという感じだったんですけれども、だんだん僕らの方もカルチャーが変わりだして、やる気さえあれば誰でも受け入れてみんなが成長できるような方針で、やる気はある程度大事なのですが、誰でも迎え入れていこうというふうにシフトしだしたことで増えたようです」

――SNSにも力を入れてらっしゃいますが、きっかけはありますか。
木村
「先ほども言ったように(部員が)すごく人数が少なかった時代があって、その時にやはり部内でビラを配るだけではなくSNSでももっと発信していこうということで、例えば当時は確かXで簡易的な文章の投稿と大会の写真1枚みたいな形でやっていました。OBの方々の時はアメーバブログやエキサイトブログを運営していたのですが、それだと人目につくことも少ないし、やはりその学生や世間の人が気軽に見られるとなると、インスタグラムやnote記事とかなのではないかというところでどんどんシフトしてきたという経緯があります」

永谷「今もお話にあったのですが、最近は人目につきやすいX、インスタグラムの二つが大体基本で、毎週アップしています。他にもユーチューブやnote、あとはフェイスブックにも全部あげていて、ホームページも作って、いろいろな媒体から雄弁部の魅力や雰囲気などいろいろなものを発信できるように整備しているというところですね」

――各局長の方々は何をされているのですか。
笠岡
「役職としては、総務局長、書記局長、広報局長、企画局長、渉外局長、研究局長、和泉支部長、生田支部長、駿河台本部長、副代表、代表、弁論局長があります。主に総務局長が弁論大会での教室の手配であったり、備品を運ぶといった実務を担っています。渉外局長が、大体関東に14大学ぐらいの弁論系サークルがありまして、長崎や北海道、大阪にもあるのですが、そういった他大学の弁論系サークルとのやり取りを担っているというのと、全国弁論大会の実行委員長をやっています。会計局長が会計の管理で、書記局長が、雄弁部は役職者選挙であったり新歓の反省会であったり、そういった事務手続きをかなりストリクトにやっているため、発言内容を全て記録しておこうという方針で書記局長を設けています。広報局長が雄弁部の広報になっていまして、研究局、企画局、弁論局は、それぞれ先ほどの三つの活動の統括を行っています。会計監査、会計局長は会計内容の監査、管理、監督で、生田支部長、和泉支部長、駿河台本部長が、それぞれのキャンパスの学生を統括する立場で、副代表は代表のサポート、代表が全体を管理するといった形になっています」

――この仕組みは代々受け継がれているものなのですか。
木村
「代々、もう50年、60年ぐらいはその呼び方がほとんど変わっていなくて。50年ぐらい前に幹事長を代表に変えたぐらいで、それぐらいの小さな差です。僕らは毎年、1年に一度機関紙を出しているんですけれども、駿河台の部室に1964年の機関紙があって、それを見る機会があったのですが、それを見たらほとんど変わっていなくて、呼び方が変わっているくらいですかね。弁論局長が僕ら弁論の練習のことを演練と呼ぶのですが、演練担当とか、そういった小さな名前の変化だけで、基本的にはもうずっとこのままで組織は動いているという感じですね」

笠岡「かなりストリクトに運営は管理しています。元々の経緯は古くをたどると雄弁部の発足の起源にたどり着くと思っていまして、元々雄弁部が、足尾銅山鉱毒事件という、日本史でもあったと思うのですが、そういった公害問題に対して、政府がそれを認知していなかったので、政府が対策をするべきだといったことを、田中正造議員と一緒に街頭演説を通して政府に対して公害問題の対策を呼びかけるといった、社会課題に対して言論を使って解決に動いてもらおうといった経緯で誕生した組織なので、部内のカルチャーとしても、やはりそういったある種民主主義的な制度基盤がしっかりしていないといけないよねという趣旨でかなりは運営はストリクトにやっている感じです」

――紫紺杯はどのように始まったのですか。
木村
「そうですね、紫紺杯は今年開催したら29回、30回?」

秋庭「今年度で30年です」

木村「ちょうど30年前、当時弁論大会がマンネリ化してきたという危機感を持っていた先輩がいまして、当時は今と変わっていて、面白いことに教室の真ん中に机を立てて、その上に弁士を立たせて、200人ぐらいの聴衆が360度椅子で囲って、弁論を聞こうみたいな、マンネリを打破しようというところから始まりました。今の形になったのは多分10年前ぐらいからで、それまでは誰でも出ていいよという大会だったんですけれども、10年ぐらい前から、最終学年の4年生、例えば明治だけでなく早稲田、慶応とかいろんな大会で、部会で4年間やられてきた先輩が、最後の2月の最終土曜日にやる大会で、今までの卒業を間近に踏まえて、これから社会に出ることに対する抱負や今までの総括みたいなところの意味合いが10年ぐらい前から強まってきた大会でしたね」

――紫紺杯を運営する上で大変なことはありますか。
木村
「昨年度の紫紺杯は、僕が実行委員長という形でやらせていただいたのですが、やはり気を付けることとしては、自分たちの大学だけではなくて、他の大学のお世話になった先輩たちにとっても最後の弁論大会なので規模もどうしても他の大会よりも1.5倍、2倍に聴衆が膨れ上がるというところで、早め早めに大教室を確保して、備品などの手違いがないようにして、当日の司会進行やその流れもしっかりと入念に詰めます。例えば途中でトラブルがあって、大会がぽしゃっちゃいましたとなると、顔を合わせられなくなってしまうので、そういったところは半年ぐらい前から準備を始めて直近の2カ月くらいは毎週会議をして、段取りを決めてというところが結構気にしていたというか大変なところでしたね」

笠岡「駿河台の教室って何人くらい入りましたっけ」

木村「キャパは250から300人くらいの教室が毎年満員になります」

笠岡「立ち見も出ます」

木村「そうですね、本当に1年間の中で一番規模が大きい大会というところでやらせてもらっています」

秋庭「大会の運営が大会の質を決めると言っても過言ではないので、そういったところはグダグダにならないように引き締めてやるというのはだいぶ重要なことだと思います」

笠岡「我々は弁士に社会課題の解決策を論じてもらうからこそ、それにふさわしい場をしっかりと提供しなければいけないという責任感がすごくあります」

――聴衆はどのような方が来られるのですか。
木村
「大会によって違いますけれど、紫紺杯はたまたま大学に来ていた大学のOBの方が後ろの方から入ってきてご覧になられることもありますし、僕の同級生には高校3年生の時に明大に入学するとなって、大阪から上京してきて入学前に駿河台キャンパスを歩いていたら面白そうなことやっていてそのまま見て、面白そうだから入ったという人がいまして。基本的には一般に開かれているという形ですかね」

笠岡「早稲田大学の早稲田大学大隈杯は大隈祭と同時にやるので、一般聴衆がたくさん来ます。3年前の紫紺杯は菅義偉元首相から祝電が来ました」

木村「僕らのOBの方で菅さんと近しいというか国会議員のところで秘書をやっている方がいて、その方が祝電を持ってきてくださって冒頭で読み上げるみたいなこともありましたね」

――歴史の長い部活だと思いますが、OB、OGの方々との交流も多いのですか。
木村
「そうですね、僕も代表を1年間やって、毎週のようにOBの方からなにかしらの連絡が入って、返信して必要があったら直接、例えば西は大阪から、東は埼玉あたり、東京都内から大阪辺りまで移動してみたいなことはやっていましたね。やはり国会議員の方だけではなくて、区議会議員の方や県議会議員、市議会議員など、政治家以外にも一般企業に勤められてる先輩などさまざまなところにOBの方がいて、やはり皆さん部が好きというか、OBになって卒業して20年、30年経っても、日頃の飲み会ですとか勉強会ですとか、そういったところで歓迎してくださっているので、OBの方と接する機会は多いですし、接すると身が引き締まります。僕らが4年間こういうサークルで学んで、その後社会に出ると時にやはりこういう方々がOBとしているんだなということを認識すると心強いなと思いますね」

――大会で話す内容はどのように決めていますか。
笠岡
「これに関しましてはさまざまな作り方があるんですけれども、明治大学雄弁部としましては、基本的に弁論大会は、例えば14大学ぐらいから出場した時に、その大学からの代表者が1人ずつ出てきて勝負する形になっていて、ほとんどの雄弁部の場合は部内で選考会をして勝った人が出場します。話す内容については、その人が自分の関心がある社会課題を持ってきて、政府が今やっている解決策以上の解決策を提示して論じるとか、もしくはこう自分の経験から、例えば周りの女性の弁士なんですけれども、自分が高校生の時に妊娠をしてしまって、中絶をしないと学校を続けられないといった課題に直面してこれは生徒のサポートが必要だよねということをその時にすごく思ったから、その弁論大会で高校生の妊娠に対してのサポートが必要だといったことを論じるといった自分の経験から課題を見つけて論じることもあります」

――話される方は毎回違うのですか。
笠岡
「そうですね」

――話す内容を見つける作業は自然に見つかるものなのか、探すのかどちらですか。
木村
「2種類いると思っていて、先ほど言ったように例えば、入学してきて、新歓のブースで僕は政治家になりたいですみたいな、彼(笠岡)もそうで、変なやつ来たなって思ったんですけど(笑)、そういう人は多分、自分の内側にこういう課題を解決したいというものを持っていて、一方で、そういう確固たるものはまだ持ってないという人ももちろんいますので、そういう人に対しては、例えば興味分野を、学部ですとか、普段の学問とかを、上級生がメンターという形で1人ついて、こういう話題がいいんじゃない、というところで一緒に掘っていって、これいいかもねみたいな形でテーマ決定するっていうことがありますね。テーマによっては、『これいけるじゃん』と思ってもすでに政府が着手しているものもあります。実際に去年あったのですが、大会の前日に原稿も完成して、テーマもこれで行こう、当日の準備もバッチリだとなっていたのに政府がニュースでその問題に対してドンピシャで法律を改正して対策を打ってしまったということで、そうなってしまうと語る意味がなくなってしまうので、大急ぎで書き直しました。そういう場合は本当にに徹夜で上級生とその弁士で書き直して弁論大会に臨むみたいなアクシデントもたまにありますね」

笠岡「そうなんですよね。僕らの中で新規性という概念がとても重要でして、先ほどお伝えした通り、元々社会課題を解決していこうというところからスタートしましたので、今もう解決されていることについてわざわざ解決策を論じる必要はないですし、政府が今やろうとしてることを言っても、『それは別に政府がやるから関係ないじゃん』となってしまうので、僕らにとって常に新しい問題、そしてその新しい解決策というのを論じなければ、弁士が言う意味がなくなってしまうというのはかなり大事な軸としてあります」

[聞き手:尼子雄一、川村暖、吉㟢帆奏]