

廣瀬雄也 空鳴り、地揺らぐ 〝前へ〟突き抜ける者
パス・ラン・キック。全てで見るものを魅了する。廣瀬雄也(商1=東福岡)は、U―17(17歳以下)日本代表と東福岡高で主将を務めた逸材。練習試合では、早くもAチームでの出場を果たした。恩師の言葉を胸に、紫紺を目指し日々努力を続ける。
恩師との出会い
〝現状維持は衰退〟。東福岡高時代、なかなか優勝できなかったチームに藤田雄一郎監督が掛けた言葉だ。昨日と同じ練習ではなく、さらに上の練習を。廣瀬は、この言葉を今も大事にしている。
藤田監督との出会いは廣瀬のラグビー人生を大きく変えた。「東福岡を倒したい」。高校進学時考えていたのは県外の強豪校。しかし、東福岡高からも声が掛かる。「福岡で日本一をとって、東京に行け」。藤田監督の真剣な言葉に感銘し、入学を決断した。
限界を突き抜け
高校での日々は、決して平たんな道のりではなかった。今でこそ〝センターの廣瀬〟のイメージが強いが、当初はスタンドオフだった。ゲームメイクもあり、なかなか上手くいかない。藤田監督やコーチに怒られる日々が続く。「恐怖、もう恐怖症で」。一時は、パスすら通らなくなる。「それでも監督はずっと信じてくれていた」。ミスを繰り返しても、藤田監督は上のチームに所属させ続けていた。
そして、転機が訪れる。ポジションの変更だ。体格・パス・ラン・キック。自身の持ち味の全てが生かせるポジションへ。「(スタンドオフでは)もったいない」。藤田監督の一言で、〝センターの廣瀬〟が生まれる。2年次の部内戦を皮切りに、ついにレギュラーへの定着を果たす。U―17日本代表では主将も務め、世代を代表する選手に一気に駆け上がった。
現状を突き抜け
怪我から復帰後、すぐに臨んだ最後の全国高校大会はベスト4。高校で日本一の景色を見ることは叶わなかった。大学での目標はもちろん、日本一。自粛期間中にはウエートトレーニングや福岡県のグローバルアリーナでの練習に励んだ。現在は、レギュラー候補組に所属している。「1年生で紫紺を着て、公式戦に出る」。流経大との練習試合では、Aチームのリザーブとして出場した。
〝現状〟を突き抜け、〝前へ〟。彼の進化にノーサイドはない。
【堀之内萌乃】
◆廣瀬 雄也(ひろせ・ゆうや)商1、東福岡高。最近、同じ部屋の石田吉平(文2=常翔学園)の影響でTWICEにハマる。179センチ・90キロ。
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