【硬式野球】(64) 吉崎創史 応援される人間に
東京六大学春季フレッシュトーナメント・慶大戦では途中出場ながら本塁打を含む2安打を放った吉崎創史捕手(文1=武相)。高校2年時春には正捕手として武相高42年ぶりとなる県制覇に貢献するなど古豪復活の立役者となった。武相高から初の明大野球部へ進む司令塔が神宮を舞台に躍動する。
父と鍛えた幼少期
兄の影響から小学校入学前から野球に親しんでいた。小学校時代は父の指導の下、厳しい練習を積み重ねる。中学生になると地元の栃木下野リトルシニアに入団し、3年時には全国大会に出場。あと一つ勝てば神宮球場でプレーできるところで敗れ「悔しさが残った」という。高校は地元の強豪校という選択もよぎったが「寮生活をしたい」という思いから神奈川県の武相高へと進学を決めた。
『勝てる捕手』へ
高校1年時の夏から正捕手の座をつかみ、5年ぶりの4回戦進出に貢献。「気楽にやっていた」と先輩たちの支えもあり結果につながった。「めちゃくちゃきつかった」と苦手な食トレも懸命に乗り越え、2年時の春季県大会では42年ぶりの県制覇を成し遂げた。王者として臨んだ夏、チームは準決勝で横浜高に敗北しベスト4で終える。チームとしてはやり切ったという満足感があったものの「打たなければいけないと気負ってしまった」と吉崎自身は打率.190と悔しさの残る夏を終えた。新チームではキャプテンに就任したが、秋季大会の準々決勝・横浜高戦で惨敗。さらに冬の期間には選手内で対立することが増え、チーム内には不穏な空気が漂う。「自分勝手(な選手)が多かったことが勝てなかった要因」というように春季大会は冬の雰囲気を払拭することができず敗戦。苦しい状況の中、4月に日本代表合宿のメンバーに選出されると世代トップレベルの選手たちと練習をする中で「守備は劣っていない」と自信をつけた。また5月には監督の計らいで社会人チームの練習に参加。チームから離れ、自分自身を見つめる時間ができたことで「リフレッシュできた」と語るように自身の調子は上向いていく。「自分の調子がいいとチームも乗ってくれる」と少しずつチームも上り調子に。練習試合でも勝利を積み重ね「絶対負けない」と自信をもって迎えた最後の夏、4回戦で桐光学園高と対戦。タイブレークまでもつれる試合となるも1―5で惜敗し「あっけなく終わってしまった」。それでも吉崎がマスクを被ってからは全国屈指の強豪が集う神奈川県で常に4回戦以上に勝ち進んだ。指揮官に『勝てる捕手』と評された男の高校野球は幕を閉じた。
両親への恩返しを
武相高の豊田圭史監督と明大野球部の善波達也元監督のつながりから実現した明大への進学。フレッシュトーナメントでは「いい緊張感で打席を迎えられた」と慶大戦で本塁打を記録し、高校通算23本塁打の打棒でも非凡なものを示した。またここまでの大学生活を「大学生になり個人でやらなければいけない中で緩みや甘えもあった」と厳しく振り返る。チームの主軸として周りから信頼され、応援される人間に。古豪復活の一翼を担った男が次は明大野球部の歴史を創る。
[深澤悠人]
◆吉崎 創史(よしざき・そうし)文1、栃木県出身、武相高。172センチ・77キロ、右投げ右打ち、捕手。目標とする選手は福原聖矢主将(国際4=東海大菅生)
関連記事
RELATED ENTRIES

