(15)公立進学校出身者対談 高瀬雄大×村上貴哉【前編】

硬式野球
2018.08.12

 

夏の甲子園100回記念特別企画。最後は公立進学校から甲子園を目指した高瀬雄大内野手(営4=長崎西)と村上貴哉外野手(法4=松山東)の対談をお送りします。高瀬選手は高校3年次夏に長崎県大会でベスト8、村上選手は高校3年次夏に愛媛県大会で準優勝と、いずれも学業と両立しながら強豪私学にも劣らず素晴らしい成績を残されました。そして現在も一軍で活躍する2人に、文武両道を志した当時の生活や両立の秘訣(ひけつ)などを語っていただきました。

 

 

 

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――まず、それぞれの高校を選択した理由をお願いします。

 

高:中学時代から目指していた六大学に行きやすいというのと、野球をしっかりできるということで選びました。(私立に行くことは)悩んだんですけど、六大学に行きたいという思いが強かったので、長崎西高を選びました。(六大学野球を意識し始めた時期)中2の時にテレビで早慶戦を見て、いいなと思いました。(他の高校からのスカウト)多少はありましたけど、長崎西高からも来ていて、普通に受けたら入れなかったので、お誘いを受けて選びました。

 

村:甲子園に行くことが目標だったんですけど、野球だけで行くのではなく文武両道で甲子園に行ける所を探して、21世紀枠で甲子園に出られる可能性が一番高いのは松山東高だと思ったので選びました。(大学野球は意識していたか)大学まで野球をやるよりは、甲子園に行きたいということが前提にあったので、文武両道を達成できたら区切りをつけてもいいかなと思っていました。最後の夏に準優勝して、もっと上を目指したいなと思ったので、そこから大学野球を意識しました。

 

 

 

――高校時代チームとして意識していたことはありますか。

 

村:完全下校があって、練習時間は1時間から2時間と限られていたので、その中で質の高い練習をすることと、グラウンドが内野だけしかなかったので、どうしたら技術を得られるかをテーマにしていました。休日練習は他の部との兼ね合いで4時間くらいしかできませんでした。

 

高:自分も一緒なんですけど、練習の量や時間では私立にかなわないのは分かってたので、その分質の高い練習だったり、勉強も野球に生かせるように心がけてやっていました。

 

 

 

――高校時代のスケジュールの例を教えてください。

 

高:6時半くらいに家を出て7時半くらいに学校に着くんですけど、日課の朝のトイレ掃除をやって、8時からホームルームで授業を受けて、昼休みに野球部全員で集まって昼食をとって、綱上りという練習をして、午後は授業を受けて練習に走って移動して2時間くらい練習をして走って戻って各々帰ったり自習したりしていました。(綱上りとは)体育館に8メートルくらいの綱があるんですけど、手の力だけで上るというのを、ご飯を食べながら交互にやっていました。(グラウンドと学校の距離)2~3キロ離れてずっと坂なので、20分くらいかかりました。(当時の平均の勉強時間)2時間くらいですね。

 

村:自分も6時半くらいに家を出て、7時から8時まで自由参加の朝練をやって、8時すぎから授業があって、授業が終わって午後4時半から練習が始まって、6時半くらいまで終わって7時に帰宅して、宿題して寝るみたいな生活ですね。自分たちは野球より勉強が優先の学校なので、宿題があったらやらないといけないし、その分野球をやっている間は集中できたというか、好きなことがやれる時間だけに気持ちを入れて練習できました。

 

 

 

――母校の施設はどんな感じでしたか。

 

高:専用グラウンドを持っていて、時間は短かったですけど環境としては良かったです。雨の日はグラウンドに行かずに学校で練習していました。階段を使ったり、シャトル打ちだったり、くらいですかね。あとは坂ダッシュがあって、それが一番しんどかったですね。

 

村:グラウンドが狭くて時間も場所もなく、環境は良くなかったので、頭を使って野球をやることをモットーにしていました。室内ブルペンのようなものもあったんですけど、雨が降ったら横から水が入ってきて結局使えないので、雨の日は階段走ったり素振りしたりするくらいですね。

 

 

 

――ありがとうございました。後編も引き続きよろしくお願いします。

 

 

 

[曽布川昌也]

 

 

 

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