(9)西東京・八王子OB対談 大池稜✕米原大地【前編】

硬式野球
2018.08.09

 夏の甲子園100回記念特別企画。第5弾は、大池稜内野手(政経1=明大中野八王子)と米原大地投手(情コミ1=八王子)の〝西東京・八王子対談〟をお送りします。対戦経験も多いお二人に、甲子園への思いと在学当時の思い出を語っていただきました(この取材は7月29日に行ったものです)。


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――まずは、同じ西東京・八王子市にある両校の関係性を教えてください。

米原(以下、米):八王子市内の学校では毎年8月の初めに『私学リーグ』というものがあって、大会というほどの規模ではなくて、明八や聖パウロ、工学院などと総当たりの練習試合をやるんですけど、毎年必ず顔を合わせていたのでやっぱり関係は深いです。


――お互いのチームへの印象はいかがでしたか。

大池(以下、大):八王子が明八をどう思っているかは分かりませんが、2年次は春、夏、秋と全部八王子に負けていて。ライバルというか「八王子には勝ちたい」という思いは強かったです。

米:その明八に勝った3戦では自分は春、夏と投げていなくて、秋は雨天コールドの試合で先発したものの、内容は悪くて。その後の試合では先発から外されたのもあって、勝ったイメージよりも悔しい思いをした印象が強いですね。


――大池選手は昨年度の西東京大会準々決勝で八王子高に敗れ、最後の夏を終えました。

大:本塁打も出て7回表の時点では7―3で勝っていたので、前年度の試合全てで負けていた分「今回は勝てるかな」と気持ち的に少し緩んでしまいました。今でもその後悔があります。

米:自分は最後の夏の大会はケガでずっと投げられなくて、明八戦は注射を打った状態で抑えとして登板しました。途中まで負けていたので、自分としても「このまま投げずに、最後の夏の大会が終わるんじゃないか」という危機感はありましたね。


――八王子高は今年度も含め4年連続で早実高と当たっています。同学年の清宮幸太郎選手(北海道日本ハムファイターズ)の存在は、同じ西東京の選手から見ていかがでしたか。

米:自分は2年次に早実に勝って甲子園を決めた後から引退するまでずっと「清宮、清宮」と言われ続けて、どうしても意識せざるを得ない部分はありました。チームとしても、早実のことは少なからず意識していたと思います。

大:1年次から3年連続で夏の大会でもう一つ勝てば早実というところで負けていたので、その分八王子や自分たちが敗れた学校には、早実に勝ってほしいと思っていました。

米:自分たちが甲子園に行っても、新聞の見出しは「清宮、甲子園出場ならず」だったので(笑)。でも、逆に「日本中が注目しているすごい選手が行けなった舞台に、自分たちが立てているんだ」ということをかみしめて、甲子園を戦っていました。


――今年度の西東京大会の経過は追っていましたか。

大:応援には行けなかったんですけど、ずっと速報を見ていました。両校四死球41の試合は、最初に7点取られて6点取り返して、という試合展開で、投手も苦しいだろうなと思いながら見守っていました。

米:ノーシードでしたし、初戦で勝ったら昨秋準優勝の佼成学園、次が早実、専大付属、東海大菅生と毎試合決勝のような組み合わせで、苦しい戦いになると思っていました。3年生は秋、春となかなか結果が残せなくてプレッシャーもあったと思うんですけど、ベスト8まで勝ち進んで神宮で戦っているのを現地で見て、感動しました。


――高校時代から面識があったというお二人ですが、入学後の印象はいかかがでしたか。

大:高校時代はクールな感じで、友達と盛り上がったりするのかなって思っていたんですけど、入学したら意外と優しいんだなって思いました(笑)。

米:分かってるじゃん(笑)。よく対戦したり高校が近いのもあって、明八から誰が来るのか気になっていて。スポーツ推薦と指定校、付属では入寮のタイミングも違うので、誰かが先陣を切らないと打ち解けられないと思って、練習会でも最初に話しかけました。

大:練習会の時も部屋に呼んでくれたり、意識して話しかけてくれているのかなとは感じていました(笑)。


――八王子の絆ですね。貴重なお話ありがとうございます。後編も引き続きよろしくお願いします。


[谷山美海]


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