
(6)〝島から甲子園〟 離島球児が見た大舞台 前山優樹インタビュー【後編】

夏の甲子園100回記念特別企画。第3弾は前山優樹投手(商3=鹿児島県立大島)のインタビューです。奄美大島の高校出身の前山選手は、高校2年次に離島のハンディキャップを克服し、21世紀枠で春のセンバツに出場されました。後編では前山選手が見た甲子園の回想、そしてその後の野球人生を語っていただきました。(この取材は7月29日に行ったものです)。
――本格的に甲子園を意識し始めたのはいつ頃ですか。
「公式戦で毎回結果を出していて、その時はベスト4でした。厳しいかとは思ったんですけど、21世紀枠に選ばれました。それまで意識はしていなかったです。決まった時は信じられない部分も楽しみな部分もありましたが、全国とのレベルの差も感じていたので、頑張らないといけないと思いました。(甲子園に出た年が奄美大島の日本復帰60周年)それも選考に関係していたのではないかと思います」
――初めての甲子園はいかがでしたか。
「人が多くてすごいなと思ったんですけど、投げていればあっという間に終わってしまいました。(龍谷大平安との対戦)レベルの差を感じました。(自軍の)応援席がすごくて、ベンチにいても感じる程でした。それが一番印象深いです」
――1回戦で対戦した龍谷大平安高が優勝しました。
「決勝はみんなで応援していて、親近感が湧き、優勝したときはうれしかったです」
――甲子園に出たことで変わった部分はありますか。
「メディアにも注目されて、(寄付金で)道具も良くなったし、環境が良くなりました」
――センバツ後はどのように過ごしましたか。
「センバツの後は走塁が課題だったので、徹底しました。(春のエースが投げられなかったので)自分が投げていたんですけど、その分経験は深まりました」
――高校3年間でのベストゲームを選んでください。
「招待試合で、強豪校を招待するんですけど、長崎の海星高とやった時に1対0で完封勝利した試合です」
――卒業後は母校の練習を見に行きましたか。
「OB戦では後輩相手に投げました。強くはなっていますが、実力での甲子園に向けてはまだまだだと思いました」
――進路として明大を選択した理由を教えてください。
「自分は進路が決まっていなくて、監督に経験のつもりで試験を受けろと言われたんですけど、結果を残せて入れました。もともと福岡の大学に行く予定でした」
――明大に来て驚いたことはありますか。
「レベルの高さです。こんな所でやっていけるのかという不安を抱えました。(東京での生活)人の多さです。今は慣れましたけど、最初は新宿などの大きな駅で迷子にもなりましたし、大変でした。(笑)」
――全国の離島から甲子園を目指す球児たちに前山さんからエールをお願いします。
「ハンデとかはあると思いますが、離島ならではの強みもあると思うので、地元から甲子園を目指すという選択肢もいいと思います。頑張ってください」
――ありがとうございました。
[曽布川昌也]
◆前山 優樹(まえやま・ゆうき) 商3、鹿児島県立大島、180センチ・82キロ、右投右打、投手
高校2年次に21世紀枠で第86回選抜高校選手権に出場。地元・奄美大島の好きなところはきれいな海があること。お勧めのお土産は鶏飯(けいはん)だそうだ。訪れた方はぜひ満喫していただきたい。
次回の夏の甲子園100回記念特別企画は、名門・横浜高で甲子園を経験した公家響内野手(政経2)です。お楽しみに。
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