
(3)1大会最多8盗塁 丸山和郁インタビュー【前編】

夏の甲子園100回記念特別企画。第2弾は、丸山和郁外野手(商1=前橋育英)のインタビューをお送りします。丸山選手は昨年度、3試合で8個の盗塁を決め、1大会最多盗塁のタイ記録を達成されました。前編では、当時の思い出について語っていただきました。(この取材は7月29日に行ったものです)。
――初めて甲子園に出場した高校2年次の気持ちをお聞かせ下さい。
「まずはあの球場でできることがうれしいという気持ちがありました。あの試合(2回戦・嘉手納高戦)は負けてる試合で、逆に思い切り投げようという気持ちがあったので緊張せず投げられました。(翌年のため)監督さんからは何も聞いてないんですけど、多分そうだと思います。夏の大会は投げる予定は全くなかったので」
――続いて高校3年次のお話をお伺いします。連覇の懸かった3年夏、特に健大高崎高戦は緊張しませんでしたか。
「自分はどの試合も毎回心配していて、朝ご飯を食べる時はえづいて食べてたりしたので。試合始まる前は一番緊張してたと思います。(決まった時は)県大会がやっと終わった、という感じでした。健大高崎高とやるときは総力戦で毎回苦しい試合だったので」
――そして出場した甲子園では8盗塁を成し遂げましたが、最初から狙っていこうと思っていましたか。
「盗塁のきっかけが山梨学院高戦(初戦)で、ロースコアになるから足を使って攻撃していこうとミーティングで話してて、そこからやっていきました。自分は記録あまり分かってなくて1試合の記録を聞いただけで、大会通しての最多盗塁は聞いてなかったので意識はしてなかったです」
――そのことによって一気に注目が集まりました。
「よく記録に残してないけど記憶には残るよな、と言われて。2年の夏も県大会の準決勝で勝ち越しの2ランを打って、決勝も決勝点で、ラッキーボーイって言われてました。そこからろくに打ってもない、守備もしてないのに注目されて、何でなのかなって気持ちはありました(笑)」
――2回戦の明徳義塾高戦で足がつっている状態でリリーフに入ったとお聞きしました。
「まさか2アウト2ボールでピッチャー代わるって誰も予想しないじゃないですか(笑)。タイムかかったときにもう1回マウンド集まるんだろうなと思ったら伝令が審判のとこ行ってるので『ええーっ!?』と思って、アナウンス聞いたら交代で、慌てて肩つくって。喬涼(皆川・中大)に頼んだと言われたらもうやるしかないじゃないですか。そこは死ぬ気でやりました」
――続く3回戦、花咲徳栄高戦は先発で5失点と打ち込まれてしまいました。
「初回で伝令が来た場面があったんですけど、ピッチャー代わってくれって言いそうになったぐらいきつかったですね。自分じゃ絶対抑えられないと思ったのはあれが初めてでした。心は折れてました。(切り替えは)自分のせいでチームが負けてるのに、あまりできないですよね。塁に出なきゃ出なきゃと思ってました」
――最終打席に入った時のお気持ちをお聞かせください。
「次も打席が回ってくると信じて入ったのでそんなに特別なものはなかったですけど、アウトになって応援してたらアルプスから応援の音が聞こえて。応援席が全然諦めないでいつも以上に声出して応援してくれたことがうれしくて、それで涙が出ました。普段は勝っても泣かなかったし一昨年の夏もちょっと泣いたぐらいで全然泣かないので、まさか泣くとは思わなかったです。本当に幸せものだったと思います」
――敗戦が決まった時は。
「もっとこの仲間と野球やれると思ってたので、まずは信じられなかったです。徳栄に勝てば国体もあって。みんな最初は国体まで面倒くさいって言ってたんですけど、負けるとなるともっとみんなとやりたかったって気持ちは強くて、みんなもそう言ってて野球好きなんだなと思いました。3年間一緒に野球をやってきた仲間なので、特別なものはありますね。本当に寂しい気持ちでした」
――貴重なお話ありがとうございます。後編も引き続きお願いします。
[三ツ橋和希]
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