(1)作新学院高OB対談 添田真海✕入江大生【前編】

2018.08.05

 夏の甲子園100回記念特別企画。第1弾は、添田真海内野手(法3=作新学院)と入江大生投手(政経2=作新学院)の〝作新対談〟をお送りします。見事、8年連続の甲子園出場を決めた母校への思いと、在学当時の思い出を語っていただきました(この取材は7月29日に行ったものです)。


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――作新学院高が栃木県大会8連覇を達成した率直なお気持ちをお聞かせください。

添田(以下、添):7年続いていたので、また8年と続いてホッとしています。

入江(以下、入):8連覇ということで、よくやってくれました。


――作新学院高への進学のきっかけは。

:すごく声を掛けてもらって。自分が入る前に甲子園でベスト4、8になっていたのもあって「ここで野球をしたい」と思い入りました。

:自分は憧れの添田先輩がいるということで決めました。小さい頃から添田さんのプレーを見ていて「この人が作新に行くなら自分も行きたいな」と思いました。


――お二人は地元が一緒で、小学生からの知り合いと伺っています。中高大と同じ学校に通われていますが。

:自分は別に一緒にやりたいとは思っていませんでした。

:ツンデレなんですよ(笑)。

:自分は一つ上なので、どちらかといえばこっちがね。

:形としては、自分が付いていったみたいな感じですかね(笑)。

:高校でも寮生活をしていて、自分が高校2年次の冬から半年くらい一緒の部屋にもなりました。もう先輩後輩じゃないです。

:兄弟です(笑)。

:入江はだらしないので、練習後に寮へ帰って床で寝たりするんですよ。自分が起こして風呂に入らせて(笑)。朝も起こしていました。


――作新学院高時代の練習を振り返っていただけますか。

:量はすごくやっていたと思います。部員全員が小針監督(作新学院高)のことを尊敬していて、だからこそ、つらい練習も付いていこうと思って頑張っていました。

:今振り返ってみると、よくあんなことができたなと思います。2兆円もらえたらもう一度高校時代に戻ってもいいですけど、それ以外だと戻りたくないです(笑)。それくらい大変でした。


――監督はどのような存在でしたか。

:作新で練習をやっている時は厳しいですし、怒られましたけど、引退して話すようになるとすごく優しくて、現役の時に監督が自分たちのことを思ってくれていたのが分かります。練習しているところを見なくても、自分が何をしているか分かってくれていて、試合の時も一塁ベンチ、三塁ベンチなどいろいろなところをすごく観察しています。野球のことをものすごく勉強しているんだと、自分たちにも分かりました。


――監督から言われて響いた言葉は。

:「習慣と環境を大事にしろ」ですね。耳にたこができるくらい言われました。

:自分は1年で入ってからすぐにレギュラーで使ってもらえたんですけど、2年になってうまくいかない時期があって。その時に「お前が1年の時に甲子園に連れて行っただろう」と監督に言われて。そこで初心に戻って、次は自分がチームを引っ張っていくんだという意識ができて、また成長できました。


――県大会を連覇し続けています。甲子園に出て当然という空気で戦うのは、どのような心境でしたか。

:自分は「甲子園に行く」というよりも、先輩たちが築き上げてきた連覇を止めてはいけないという気持ちの方が強かったですね。


――入江選手は最後の夏に甲子園優勝を果たしました。

:自分たちの代は〝史上最弱〟と言われていて、甲子園に行けるかどうかのレベルで、甲子園という場所も雲の上、夢のような存在でした。そんな中でメンバーに入れなかった人たちが、本当に全力でサポートしてくれて。それがうれしくて、「あいつらのためにも1勝でも多くしたい」と積み重ねた結果が、優勝につながったのかなと思います。

:1年生の時から入江たちの代は選手がそろっていましたが、結果が出ていなかっただけでした。それでも優勝するとまでは、正直思っていませんでした。


――優勝して、添田選手からは何か言葉を掛けられましたか。

:していないですね。言わなくても感じるものですよ(笑)。

:そういうのではないですね。改めて言われると気持ち悪いです(笑)。


――お二人の関係性が伺えますね。後編も引き続きお願いします。


[浜崎結衣]


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