
(11)後輩に託した〝100勝〟への思い 名門率いたエース左腕 市岡奏馬インタビュー【前編】

夏の甲子園100回記念特別企画。第6弾は、市岡奏馬投手(情コミ2=龍谷大平安)のインタビューをお送りします。史上最多・春夏通算74回目の甲子園出場を決め、通算100勝に王手をかける龍谷大平安高。主将としてチームをセンバツ4強に導き、勝利数を99に伸ばした市岡選手に、甲子園や母校への思いを語っていただきました(この取材は7月29日に行ったものです)。
――母校・龍谷大平安高が見事甲子園への切符をつかみました。
「中継を見たり、ずっと経過は追っていました。決勝も京都まで行きたかったんですけど、学期末試験があったので断念しました(笑)」
――春夏通算74回目の甲子園出場と、史上最多記録を更新中です。
「甲子園が全てではありませんが、そこを目指して後輩たちも高校3年間頑張っていると思うので、回数を重ねられるのはうれしいですね」
――後輩たちの戦いを見て、何か感じることはありましたか。
「準決勝までの全試合でコールド勝ちを決めて、決勝も11―0だったんですけど、相当な集中力がないとできないと思いますし、センバツに出られなかった分、この夏は並々ならぬ気持ちでやっているんだと、練習を見ても画面越しに試合を見ても感じました。ファンの方にも粘り強さやチームとしてのまとまりに注目してほしいです」
――地元の野球少年にとっては、龍谷大平安高はやはり憧れの高校なのでしょうか。
「自分自身も京都府出身で平安が甲子園に行くのを何度も見ていたので、少なからず自分の中では『あのユニホームを着たい』という憧れはありました」
――龍谷大平安高を進学先とした決め手は。
「寮生活ではなく自宅通学を希望していて、その中で一番甲子園に近い高校が平安でした。あとは設備がしっかりしていたことですね」
――高校3年次にはセンバツベスト4という結果を残し、母校の甲子園での春夏通算勝利数を99回まで伸ばしました。
「主将就任時は96勝で、自分たちの代はそこからスタートしました。〝結果より内容〟とは言われながらも、甲子園に出場して当然という雰囲気は常にありました。そんな中で自分たちの代はその期待に応えられず夏の甲子園出場を逃したので、本当にふがいなかったです」
――エース兼主将という重圧もやはり大きかったのでしょうか。
「元々目立つのは好きなので、エースとしては『自分が投げられるところは全て投げてやろう』と思っていましたし、その重圧に押しつぶされるってことはありませんでしたね。ただ、キャプテンとしては『自分がやらないと』というのは常に感じていましたし、チームを支えるのはキャプテンの役目だと思っていました」
――龍谷大平安高ならではの練習を教えてください。
「平安はウエートトレーニングをやらないんですけど、アップやトレーニングが特徴的で、質や量ではどこにも負けない自信がありました。具体的には、ブリッジ歩きや前転、後転などの器械体操、股割りとかですね。昔から〝平安といえば〟というのがあるので、自分たちも誇りを持って取り組んでいました。バランス感覚が養われたり、器械体操の動きでは三半規管が鍛えられるのでフライを追うときに役立ったり、各種目が野球につながっています。あとは、網なしグラブを使った野手のボール回しですかね。冬場にその練習をした後に、通常のグラブに戻します。ボールを芯でつかむ感覚が養われて、自分たちの代がセンバツに行った時は、甲子園出場校の中で1番地方大会でのエラー数が少なかったと思います。平安の守備は、今回の夏の大会でも見てほしいポイントの一つですね」
――高校時代の一番印象に残っている試合を教えてください。
「やっぱりセンバツで負けた試合ですね。やっている時はあまり意識していなかったんですけど、終わってから『ああ、次勝てば100勝やったんやな』って気付いて。〝100回大会で100勝〟っていうのは確かに語呂もいいですけど、自分たちも〝100勝〟というテーマを持って高校3年間をやってきたので、それを自分たちの代で達成できなかったのは悔しかったです。一つでも多く勝ちたかったですし、達成目前で明け渡すことに情けなさもありました。でも、99勝でなかなか進めなかった中で、後輩たちは甲子園への出場権を獲得して良いタイミングでチャンスが巡ってきたので、この夏こそ達成してほしいです」
――貴重なお話ありがとうございます。後編も引き続きよろしくお願いします。
[谷山美海]
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