オリックスから5位指名 高島泰都 歩んできた道の名は②/ドラフト指名特別企画

準硬式野球 2023.11.13

 10月26日、ドラフト会議にてオリックス・バファローズから5巡目指名を受けた高島泰都投手(令4法卒=王子)。元甲子園球児は大学で準硬式の道へ。苦戦した入学当初からエースにまでのし上がった訳は。そして社会人野球で再び硬式に戻り、ドラフト指名を受けた高島。異色の球歴をもつ右腕は何を経験し、プロの世界で何を見据えるのか。今回は準硬式での覚醒のきっかけから大学卒業までの道のりをお届けする。

11月9日発行の明大スポーツ第532号の2面に掲載した記事と併せてご覧ください。

 

転機は突然訪れて

 高校までプレーしていた硬式から、大学は準硬式に転向するも当初は苦戦を強いられた。練習や戦略自体を大きく変えることはなかったが、成長のためには何かしらの変化が必要。その中で高島は1年次夏にオープン戦に登板。すると「コントロールのこつを急につかんだ」。突如、制球が安定した。理由については「徐々に準硬式に慣れた」や「今日感覚いいなっていう感じだった」と、いろいろ考えられたが明確な要因は全くわからないという。ただ、オープン戦はお盆休みに入る前。問題は休み明けの練習でその感覚を覚えているかどうか。そして休み明けの練習で、その感覚は忘れていなかった。高島は完全に、こつをつかんだ。


 そこから高島はリーグ戦の1戦目を任せてもらえるように。先発としての地位を確立すると、1年次秋季リーグ戦から2年次秋季リーグ戦までで21試合に登板。10勝を挙げ、特に2年次春季リーグ戦では7試合で投球回43、防御率1.69と抜群の成績を残した。チームも成績が向上し、高島が2年次には関東選手権で優勝を果たす。個人としてもチームとしても最高の状態で、3年を迎えようとした時だった。

 

直球と変化球の進化

 「全体練習もなく、リーグ戦も中止になってしまったので、もう一回自分の体とかを見つめ直そう」。コロナウイルスのまん延により、部の活動が一時停止となった3年次春。その間、高島は己と向き合い、ウエートトレーニングに打ち込むことにした。「それをやって結構球速とかも上がったので、その期間があって良かったかな、とは今思える」。コロナ禍になる前の最速は145キロ。それが全日本9ブロック対抗大会で150キロを計測した。「(球速が)出やすいガンではあったんですけど、投球練習で145キロ出て『なんか今日出そうだな』って感じではあった」と振り返る。高島は「選抜チームの先発だったので、試合を崩さない程度に、狙える場面になったらちょっと力んで投げたが、狙って出したわけでは(ない)」。球速が出にくい準硬式球で、狙わずして大台に乗せた。


 直球が150キロを計測すると、より重要性が増すのは変化球。「高校の時はカーブとスライダーだけで、そんなに球種が多くないタイプのピッチャーだった。リーグ戦は毎年2回あって、同じ相手とやると相手も慣れてきて、3年4年になったら通用しなくなる」と危機感を覚え、新たにチェンジアップとカットボールの2球種を習得。「真っすぐで押していたのもあって、相手がチェンジアップを振ったり、カットボールに詰まってボール(球に手)を出して、というのもできた」。これと同時に、投球スタイルも三振狙いから打たせて取るピッチングへ。今もこのスタイルは変わらない。

 

エース、4年生として

 リーグ戦が再開された後も高島の快進撃は続く。卒業までにリーグ戦には17試合に登板して驚異の12勝。4年次秋は5戦5勝、奪三振率は9.00、K/BB(奪三振と四死球の比率で、制球力を表す指標。3.5を超えると優秀とされる)は6.33と名実ともにエースとなった。4年次と1年次を比べて何が一番変わったのか。尋ねると高島は「マウンドに立つことによって、責任感が徐々に出てきた」と答えた。「『自分がこけたらリーグ戦もこけるな』っていう思いもありながら投げていた。1年生の頃には先輩におんぶにだっこみたいな感じだった。4年生になって、自分がチームに欠かせない(存在にならない)といけないなとは思っていた」。エースになったからこそ、自分の存在がチームにとって大きい。その自覚と責任感を感じていた。


 また、高島は後進の育成にも力を注いだ。「二つ下の代に10人くらいピッチャーが入ってきて、リーグ戦は僕と前田(剛志さん・令4農卒)がほぼリーグ戦で投げてしまっていたので、次の(世代の)ピッチャー大丈夫かなと思っていた」。競争社会とはいえ、4年生が出ずっぱりだと下の世代の登板機会はなかなか回ってこない。「何か残せるものがあれば。練習中、後輩がピッチングしてたら後ろから見ていたり、何か聞かれると『こういう練習の方がいいんじゃないか』とアドバイスした」。試合以外でも、4年生として責任感を持ち、後輩、そして今後の部のためにできることをやっていった。


 一番印象に残っている試合は何か、という質問に対して「最後に(秋季リーグ戦)2位まで出られる関東王座」と答えたのは、そうした経験があったからこそだろう。「初戦東海大とやった時に、みんなでツーアウトから粘って粘って、サヨナラ勝ちは結構うれしかった」。この大会が明大として出場した最後の大会かつ先発で、8回途中2失点の熱投。最後は同級生と後輩と、みんなで勝利をもぎ取った。


 レギュラー争いすらできなかった1年次から、ひょんなことから覚醒の足掛かりを手にし、最終的にエースとして君臨した高島。準硬式野球部で波乱万丈の4年間を駆け抜けた。そして次なる舞台は社会人野球。再び、硬式球を手に取る。

 

[北原慶也]

 

※③はこちら

 

高島 泰都(たかしま・たいと)令4法卒、滝川西高。大学を卒業した後も準硬式の試合は一球速報で確認している。「田村(陽大内野手・農3=花巻東)とか結構頑張っていると思うし、金澤(永輝主将・法4=花巻東)も最後、4年間の集大成でベストナインを取れてよかった。あと吉原(瑠人捕手・法3=仙台育英)はなんでファーストをやっているのかな」。181センチ・80キロ


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