(11)ルーキー特集⑪/石田悠翔
昨年度、「紫紺の襷プロジェクト」が始動した競走部。しかし、箱根駅伝出場への道のりはいまだ途上にある。一方で、関東学生対校選手権(関東インカレ)では競歩、短距離ブロックを中心に個々が活躍を見せ、一部残留を果たした。さらなる躍進が期待される中、チームに新たな力として加わったルーキーたち。彼らは、どのような覚悟を胸に歩み出したのか。チームの飛躍を後押しするべく新たに仲間に加わった18人を紹介する。
第11回は長距離部門・石田悠翔(営1=浜松日体)のインタビューです。
(この取材は3月27日に行われたものです)
――小林環(情コミ1=静岡東)選手とは、同じ静岡出身ですが、面識はありましたか。
「面識はありました。自分は中学時代、800メートルを専門にしていて、高校から5000メートルへと距離を伸ばしたのですが、環も中学の頃は800メートルを専門にしていました。県大会で一緒に争ったこともありましたし、中学校は別々でしたが、東海大会の決勝でも一緒に走っていたので、そこから知り合いです」
――800メートルから5000メートルへ移ったきっかけは何だったのでしょうか。
「もともと800メートルをやっていて、中学3年の夏に一定の結果を残すことができました。その時に『駅伝にも出てみないか』と言っていただいて、冬に駅伝へ出場しました。そこで区間賞を取ることができて、駅伝の楽しさを知り、高校では駅伝も頑張ってみたいと思うようになりました。ちょうど行きたい高校から推薦もいただけたので、高校では駅伝を頑張ろうと決めて、高校1年から3000メートル、5000メートルと距離を伸ばしていきました」
――800メートルから5000メートルへと切り替えてみて、違いは感じましたか。
「やっぱり距離がかなり伸びたので、練習の内容も大きく違いました。もともと中距離をやっていたので、最初は長距離の練習についていくのも大変でしたし、故障したり、周りについていけなかったりすることもありました。ただ、監督がしっかり指導してくださって、チームの仲間もいろいろアドバイスをくれたので、少しずつついていけるようになりました。結果的に5000メートルでも、高校2、3年の頃には県で戦える力をつけることができたと思います」
――これまでを振り返って、特に印象に残っている大会はありますか。
「一番は高校2年の全国高校駅伝(都大路)です。自分の中では、2年生の時が一番成長できた時期だったと思っています。1年の時に出られなかった悔しさがあって、2年では絶対に頑張ろうと思っていましたし、その中で5000メートルの自己ベストも大きく更新できました。それに、1学年上の先輩たちが本気で勝ちにいく姿をずっと見せてくれていて『その背中についていこう』と思えたことも大きかったです。そういう意味でも、あの時期はすごく印象に残っています。ただ、2年の都大路の本番では、チーム内で体調不良が広がってしまって、思うようなタイムが出せず、本当に悔しい思いをしました。その悔しさも含めて、強く印象に残っています」
――明大に進学した理由を教えてください。
「明治大学は昔から知っていましたし、第1回大会から箱根駅伝に出場している伝統校でもあります。自分の地元の高校の監督が明治大学の出身で、箱根駅伝にも出場されていました。その姿を見た時に、自分も明治大学で箱根を走りたいと思いましたし、監督に負けたくないという気持ちも少しありました」
――箱根駅伝で走ってみたい区間はありますか。
「1区です。高校の監督が1区を走っているので、自分もそこを走りたいと思っています」
――大学4年間を通しての目標を教えてください。
「箱根駅伝で区間賞を取ることです」
――大学1年目はどんな1年にしたいですか。
「まずは土台づくりの1年にしたいと思っています。しっかり練習をこなして、故障もできるだけ少なくして、一歩一歩落ち着いて強くなっていくことが今年の目標です。ただ、それだけでは強くなれないとも思っているので、1年生のうちから箱根駅伝のメンバーに入るつもりでやっていきたいです。先輩方についていくだけでなく、監督やコーチに言われたことをただやるだけではなく、自分で考えてプラスになることをやります。周りに流されず、自信を持って取り組んでいきたいと思っています」
――ありがとうございました。
[武田隼輔]
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