(99)大泉塁翔 唯一球

2025.12.30

 塁を翔ける。その名が示すように、大泉塁翔投手(文1=愛工大名電)は野球人として常に高みを目指し、歩みを止めない。身長は172センチと「高くない分、理論や体の使い方は誰よりも意識している」。磨き抜いた武器を身に着け、将来はプロ野球選手を目指す。

野球人生の始まり
 父の影響で野球を始めた大泉だが「母の方が厳しかった」と少年野球時代を振り返る。「母の仕事が終わると、河川敷に連れていかれ、走って、素振りしていた」。仕事で帰りが遅かった父の代わりに練習に協力してくれた、母との思い出が野球人生の原点だ。
 大泉の忘れられない試合は、中学の軟式野球部時代での一戦。県大会準決勝で投じた一球を仕留められ、敗戦した経験が今でも記憶に深く刻まれているという。「一球を投げ切れば勝ち切れることもあれば、一球が決勝打になることもある。一つのボールで全てが変わるので、自分が投げたら勝ち切れるように」と『唯一球』を、自身の座右の銘に掲げている。

高校野球とデータ
 18年間の多くを愛知県で過ごしたが、大泉の生まれは球児の聖地・甲子園がある兵庫県西宮市だ。「高校では甲子園に行きたいという思いはもちろんあった」と球児として故郷に戻ることを夢見て、愛知県の強豪・愛工大名電高へ進学をした。高校1年秋から背番号11として登板し経験を積んだ左腕は、2年夏、ついに憧れの舞台・甲子園の土を踏んだ。高校3年間は「回転率、回転軸、変化量、打球の角度という細かい部分から研究した。高確率で空振りを取れる変化球を投げることに一番力を注いだ」。愛工大名電高で学んだデータ野球が、理論に基づく大泉の野球像を確立していった。

神宮に立つ日へと
 大泉は「同じ左腕として毛利さん(海大投手・情コミ4=福岡大大濠)のピッチングは全部見習うべきところがある」と、明大に来て刺激を受けたことを語る。そして明大でまず、自身がやり遂げたいことには「リーグ戦で投げること」を挙げた。その中でも「投げられるところまで投げさせてもらえる先発で勝ち投手になりたい」と、目標に目を輝かせた。ディープパープルのエースから紫紺のエースへ。神宮で左腕を振る日に向けて、日々鍛錬を重ねる。

[小松錦葵]

◆大泉 塁翔(おおいずみ・るいが)文1、兵庫県出身、愛工大名電高。172センチ、70キロ、左投げ左打ち、投手。「愛工大名電高出身のOBが多い明大に進学した」。チームカラーが高校、大学どちらも紫なのは偶然である。