(65)吉田翔輝 悔しさを力に変えて

2025.09.30

 春季リーグ戦に1年生で唯一出場した吉田翔輝外野手(文1=大阪桐蔭)。高校時代には2度のケガを乗り越え活躍した。「夢に向かって羽ばたき輝く」という名前の由来通り、夢であるプロ野球の世界に向け努力を重ねる。

兄の背中を追いかけて
 兄の影響で小学1年時から野球を始めると、1歳下の弟と一緒に練習に明け暮れた。小学6年時、夏の甲子園で藤原恭大外野手(現千葉ロッテ)擁する大阪桐蔭高の春夏連覇を目の当たりにし、憧れを抱く。小学校卒業のスピーチでは「大阪桐蔭に行きたい」というほどであった。中学も兄の背中を追い、羽曳野ボーイズに入団。「(チームメイトが)最初の時から半分くらい辞めてしまった」と言うほど厳しい練習にも耐え、主将として全国大会にも出場。高校は憧れの大阪桐蔭高に進学した。

大会前のケガとの闘い
 2年時から中堅手としてスタメンに名を連ね、迎えた3年春の甲子園、低反発バットに変わり他の打者が対応に苦しむ中「ライナーを意識する」という自分のスタイルを貫き、チームの勝利に貢献した。しかし準々決勝の報徳学園戦、けん制で一塁に帰塁した際に右肩を脱臼してしまう。チームも敗れ、ベスト8止まりとなってしまった。さらに、脱臼から復帰後の6月には左膝の疲労骨折と、最後の夏の前にケガが連続してしまう。それでも、下を向くことはなかった。ウエートトレーニングで体を強化し、ブルペンで打席に立ち生きた球で目を慣らすなど、すぐに復帰できるよう準備を続けた。迎えた最後の夏の甲子園の大阪大会5回戦。十分な練習はできていなかったが、適時打を含む2安打を記録した。疲労を考慮し試合途中で交代する予定だったが「感覚が戻らないからまだ打席に立ちたい」と監督に直訴し、持ち前の気合いを見せた。夏の甲子園初戦でも、先制三塁打やダイビングキャッチと完全復活を果たした。

夢見た舞台へ向かって
 明大の1年生の中で唯一春季リーグ戦に出場した吉田。俊足とそれを生かした広い守備範囲を評価され、主に代走や守備固めで出場した。東大2回戦で初出場を果たすと、法大2回戦では初安打を放つ活躍を見せた。それでも高校の同期で同じ外野手である境亮陽外野手(法大)、徳丸快晴外野手(早大)の活躍を見て「もっと試合に出て貢献したかった」「悔しい春リーグだった」と振り返る。
 高校時代は本塁打を打てなかったことが思い出だと語るが、それも「自分のスタイルを貫いた」から。目標とする選手像は榊原七斗外野手(情コミ3=報徳学園)のように走攻守三拍子そろった選手。そのために課題と語る打撃に重点を置いて練習を積み重ねている。大学での目標は首位打者に輝くこと。そしてその先のプロの世界に向け、吉田の飛翔に目が離せない。

[尼子雄一]

◆吉田 翔輝(よしだ・しょうき)文1、奈良県出身、大阪桐蔭高。168センチ、68キロ、左投げ左打ち、外野手。自分の性格を一言で表すと「わがまま」。