
(106)大学野球引退インタビュー 宗山塁主将

(この取材は11月17日に行われました)
宗山塁主将(商4=広陵)
――今季は早大との優勝決定戦に敗れ2位という結果でした。
「一番は優勝できなかったことが悔しいですが、優勝決定戦もできましたし、4年生みんなで戦えたのは良かったと思っています。決定戦の前も、後ははやるだけという雰囲気で、別に気負いなどはありませんでした。元々なかった試合ができるようになったわけですから、4年生は最後だしやり切ろうという感じだったと思います」
――優勝決定戦について、結果としては3安打の完封負けで、年間5試合目の対戦となった伊藤樹投手(早大)を攻略できませんでした。
「そうですね、ヒットもほぼ出ませんでしたし、勝つとしたらこちらももう少し抑えないといけませんでした。リーグ戦の時は真っすぐが結構来てた感じがあったのですが、決定戦の時は意外と変化球でカウントを取ってきたり、配球を変えてきたところがありました。球のキレはリーグ戦の時の方があったような気がしますがカーブやチェンジアップで簡単にカウント取られたので、そういった球も思い切って振っていくというところですね。そこを頭に入れておかないと追い込まれたら厄介だと考えていました。まずは真っすぐに振り遅れないようにというところを、3年生以下はまずやってほしいなと思っています」
――4回表、1死一塁の場面で迎えた第2打席では初球で走者の直井宏路外野手(政経4=桐蔭学園)の盗塁死がありました。
「サインは特になく、直井が考えてディレードスチールをしたのですが結果的にアウトになりました。直井も試合前に(ディレードスチールを)するかもとは言っていたんです。(盗塁死の後は振り遅れたファールが続きました)変化球を待っていました。チェンジアップ系が来ると思って、真っすぐはあのようなファールで逃げる感じでいいやと思って対応していました」
――今年度は春、秋と年間を通じて4年生中心のメンバー構成で戦いました。
「自分たちも4年生で試合ができた方がうれしいですし、(田中武宏)監督も最後の年で、自分たちの世代は監督が高校生の時から見て取ってきた選手だったので思い入れある選手も多かったかなと思います。結果的にそういった形になったのは自分たちからしても良かったですし、監督からしてもそのような思いがあったのだと思います。同級生で出るに越したことはないし、4年生でだめならという思いは正直ありました。それでも実力の世界なのでもちろん下級生が出ることはあるのですが、一番長くやってきた選手で出たいというのは自分だけではなくてみんな持っていた思いだと思います」
――打順もおおよそ固定されていました。
「これと決めたら固定で戦う監督なので、上位打線を動かさずに進めるっていうところは変わらないだろうなとは思っていました。変えてみても面白いなという選手もそろっていましたし、そういうのも今思えば見てみたかったなとは思いますが、4年生で戦ってだめならしょうがないとも思いますね」
――2シーズン続けて早大から勝ち点を落とすこととなりましたが、足りなかった要素を教えてください。
「まずは根本的な振る力です。いいピッチャーになるとストレートが変わってくるのでそのストレートに振り負けないことです。バッター陣はまずはそこをやらないと、ストレートを打てないとそれ以外の球はなかなか厳しいですよね。ピッチャーだと継投すればするほどリスクもあるので、やはり先発で7イニングから8イニングを一人で行ける選手が出てきてほしいです。一試合を投げ切るピッチャーは最近で言えば村田さん(賢一選手・令6商卒=現ソフトバンク)ぐらいでしたが、そういう計算できるピッチャーがいた方が強いと思います。その試合を誰が投げるかということをその日の調子で都度変えていたら難しいと思いますし、強いチームや勝てるチームは決まっていますよね。そういったプランを持って来年は戦えるようになってほしいと思いますね」
――リーグ戦、早大2回戦の7回裏には香西投手(早大)から同点適時打を放ち、引き分けに持ち込みました。
「香西自体に嫌なイメージはありませんでしたし、苦手意識もなく普通に打席に入れていました。あの場面は2アウトからつないでという感じで流れもありましたし、細かいことはあまり考えずにとにかく打とうと思っていましたね。香西はもっと制球力もあって球持ちもいいピッチャーだと思うのですが、自分と対戦した時はそこまで投げ切れていない印象があって、春も四球だったかと思います。この秋もボールから入って次に甘い球が来て、と言う感じでしたし彼の良さをここまでではあまり感じられてはいないのですが、もう少し対戦したら分かるんだろうなとは感じます。状況に応じたバッティングというのは、結局それをできるようにするのは自分の技術ですし、まず大前提として大学でそこの技術レベルが上がったということも要因としてありますね」
――最終的に打率4割、2本という成績を残しましたが、特に後半戦などはその数字ほどは好調を感じていなかったのではないでしょうか。
「100%ではないですし、いい打席と悪い打席がすごくはっきりしていたと感じます。いい状態ずっと保つのは難しいですし、本当に細かいこと、小さいことをしっかりと確認して毎日練習しないといけません。練習続ける中で、今の意識がその時は良くても続けていくうちに悪い影響を自分に与えてきたり、ということもたくさんありました。試しながらシーズン中もやってはいたのですが、これだというものを見つけられるよう練習しないといけないなと思います。
――シーズン進むごとに始動する右足を上げる幅が小さくなっていったように見受けられました。
「タイミングを早めにとるというのは常に意識しているのですが、その中でも構えであったりとか、打ちに行く時の形であったり様々なことを考えながらやっていました。少しずつ変わっていったのは自分でも分かっていたのですが、あくまでその時のいい打ち方をしようとし続けた結果だと思っています。構えとしてはホームベース側に重心が行き過ぎないように、体重もつま先側にかけ過ぎないようにというのは意識していました。インコースのストレートが多くなりますし、法政戦なんかはスピードボールも来たりするので、特にシーズン後半にかけては懐のスペースを開けてバットが出やすいように振れる形をまずは作っておきたい、というイメージは持っていました。立教戦で田中(優・立大)から左中間に打った二塁打(立大3回戦で記録)なんかは気持ち良く打てていていい感触でしたね」
――大学野球としては最後のシーズンとなりましたが、振り返っていかがでしょうか。
「試合に出ないと何も分からないので、これだけ試合に出していただいたのは幸せなことだったと思います。今の4年生でももっと試合に出ていればもっとうまくなっただろうという選手もたくさんいるのですが、だからこそそこをさせてもらったというのが一番幸せでした。実力の世界だから勝ち取らないといけないものだと思うのですが、それでも最初にチャンスを与えてもらったのは事実ですし、それは感謝したいところです。その経験をこれからのステージにつなげられたらこの大学の4年間が生きてくるかなと思いますね。試合は練習とはメンタル状態が違いますし、アドレナリンが出て嫌でも体が動いていく、という状況は練習では作ろうと思っても作れない部分があります。練習で体がきついとか動かないという場合とは全く違うコンディションでやっていくわけですし、試合に出て『あ、試合になると自分こんな感じになるんだな』と分かります。反対に、やり残したことは走りたかったもっと打ちたかったし言ってしまえば全部ですね。だだ現状これが自分の実力ですし、別に後悔や悔いはありません」
――次のステージに進むにあたり、打撃スタイルとして三振が少ないという特徴をどう捉えていますか。
「当てることのうまさというか、追い込まれてからでもなんとかしてバットに当てられるという部分は他の選手より優れているかもしれません。プロのピッチャーを相手にどれくらいできるかというのは分かりませんが、今の時点では三振の少なさ、特にこの秋に関してはそこが強みだったかなとも思いますし、レベルが上がってもできるように自分のバッティングの技術的なレベルも上げていきたいです。追い込まれてもなんとかできるバッターの方が当然率は上がっていきますし、練習からつなげていければと思います」
――課題として挙がる脚力に関してはいかがでしょうか。
「自分より足の速い選手はチームにもいますし、そういう選手はどんどん行っていいよとなるんですが、それより一つ下の自分だったりにはそこまで思い切ってサインも出ません。行ってもいいというサインが出ることはありますが、自分が3番で次が4番で希由翔さん(上田選手・令6国際卒=現千葉ロッテ)で確かに走りづらい場面はあったのですが、今思えば失敗してもいいから思い切って行こうという気持ちで行けば良かったとも思いますね。まだまだ改善の余地があると思いますし、足がトップレベルでなくても技術があれば盗塁は成功できると思います。そのあたりの技術は大学ではまだまだ学べてないところなので聞いてみたいなと思います」
――大学野球とはどのようなものだったのでしょうか。
「自分にとっては次のステップへの準備というか、次のもっと高いレベルに行く一歩手前の準備段階としていろいろなことを吸収して成長できるところだったと思っています。バットも木のバットに変わりますし体の大きさも高校生と全然違いますよね。高校とプロの間くらいのレベルで多くの選手と会えて、自分の体も変化してきてとか、いろんな要素があっていろんなことを吸収できたと思っています。その中でもリーグ戦には一試合一試合全力で戦っていましたし、大学で勝つことを目標にやっていたのは当然のことです。その上で六大学の注目度は自分にとっても改めていいものだったと思っています。注目されている中でとれだけ自分のプレーができるかというのは意識していましたし、これまで自分を見ていなかった人が見て『こいついいな』と思ってもらえる場所だったと思います。いろいろな注目があって、いろいろな選手がいて、いろいろなレベルでやれてというのは大学野球ならではですし、たくさんのことが重なって全部自分のプラスになっていたと思います。明治を通過点にしてどうこうというよりかは、ここでしっかり学んでプロに行きたかったというのは大学に行く前からの思いとしてあったので、そこはある程度はできたかなと思います」
――ありがとうございました。
[上瀬拓海]

関連記事
RELATED ENTRIES