(105)ドラフト指名&大学野球引退インタビュー 浅利太門投手

2024.11.26

(この取材は10月26日、11月1日に行われました)

浅利太門投手(商4=興国)
――日本ハムファイターズから3位指名を受けましたが、心境はいかがですか。
 「まだ正直実感は湧いていないんですけど、とりあえずほっとしました。(ドラフト前は緊張や不安はありましたか)やはりドラフトに関わる4年生に入ってからのリーグ戦は、去年までのリーグ戦に比べて緊張していましたし、プレッシャーはありました。ですが最後の早稲田戦が終わってからはもう自分できることはできたという感じで、緊張というよりかは、解放感じゃないですけど、少しは落ち着いていました。(ドラフト前日や当日はどのように過ごされていましたか)普通に練習があったので、練習して髪切りに行っていました。宗山(塁主将・商4=広陵)も自分もそわそわしている感じはあったんですけど、2人とも緊張という感じではなかったと思います」

――宗山主将の指名から1時間程度空いての指名でしたが、その時間はどのような気持ちで指名を待っていましたか。
 「自分が呼ばれたい気持ちはもちろんあったんですけど、本当にテレビでドラフト見ている視聴者みたいな気分で見ていました。でも指名された瞬間はうれしいのはもちろんですけど、ほっとした気持ちが大きかったです。宗山は、指名された瞬間の動画を見たらめちゃくちゃ笑顔で手叩いていると思うんですけど、自分自身の指名よりも自分の心配をしていたと思います(笑)。行くなら一緒に行きたいというか、気まずいのが嫌だっただけやと思うんですけど、自分よりどきどきしていたんじゃないですか。(入学当初、宗山主将と同部屋だったと伺いました)自分たちがいた部屋を野球部で神格化してほしいですね(笑)。やっぱり宗山は1年からリーグ戦出て、2年、3年でジャパンになって、4年でトップチームに呼ばれていて。みんな宗山がすごいのは分かっていると思うんですけど、宗山は活躍するというのが当たり前になってることがすごいと思っていて。宗山がプロになるのは当たり前みたいになっていたかもしれないですけど、自分が3年から試合に出て、活躍をキープすることがどれだけ難しいかというのは身に染みて感じたので、4年になってより宗山のすごさを実感しました」

――プロを目指すようになったきっかけが、喜多監督(興国高)からの「プロ行けるぞ」という言葉だったと伺いました。
 「そうです。自分が1年生の秋から喜多先生が監督になられたんですけど、その前の監督さんも元法政の監督の方で。その方は中学の時からプロ目指せるっていうのは言ってくださってましたが、自分としてはあまり実感が湧かなくて。高校1年生の時に喜多先生に会って、喜多先生が元プロの方なんですけど、先生から『プロ行けるぞ』と言っていただいて、そこから周りの評価も出てきて意識するようになりました。初め高卒でプロ行けたらいいなと思っていましたが、実際コロナも含めてまだ実力足りないというふうに思って大学進学して、明治に来てからももうずっとプロになるという気持ちは変わらなくて。試合で少しうまくいかなくても、プロを諦めようと思ったことはないです」

――喜多監督からは指名後にどういった言葉を掛けられましたか。
 「取材が落ち着いてからすぐに電話して『おめでとう』とまず言っていただいて。当日、母校の野球部が体育館で中継を見てくださってたらしいんですけど、喜多先生は指名が5位、6位だと思ってたみたいで、指名の瞬間は部屋に居て、体育館の歓声で知ったみたいです(笑)。(喜多監督からは)自分がケガしたり甘えてた時に『そんなんじゃ絶対プロ行けない』ということは言われていて、プロを実際に経験しているからこそ知っているプロの厳しさを教えてくれていました。自分は鼻が伸びるじゃないですけど、自分はできると思ってしまう性格なので、(喜多監督から)『大したことないぞ』と言い続けてもらったことが今につながっていると思います。今でも長期の休みがあるたびに戻ってグラウンドに挨拶に行って、リーグ戦始まる時には電話をするのは欠かさずやっていて、今はフランクに接してもらっています」

――大学進学後に変化したことはありますか。
 「やっぱり意識が高い人が多くて、特にメンバーに入ってる同期はすごい練習するのでそれは刺激でしたし、1個上のピッチャー陣も自分とは全くタイプの違うピッチャーだったですけど、環境が人を変えるというか、自分もそこに引っ張られて生きてきたし、意識が高い人が集まってる集団が成長させてくれたというふうに思います。高校の時は自分が1番、2番で意識が高い自信があったんですけど、今だと自分より意識が高い人がたくさんいると正直認めざるを得ないし、だからこそリーグ戦とかになるとその中で出せてもらっているという責任を感じました。高校の時は自分ができなかったらまあ仕方ないやとい思っていたんですけど、今は毎日全力でやってきた子たちの努力を無駄にしてはいけないみたいな感覚はすごい感じるようになりました」

――大学1、2年時はリーグ戦への出場はありませんでしたが、下級生時代を振り返っていかがでしたか。
 「下級生の2年間は本当にずっとトレーニングをして、球が速くなることだけ考えてやっていました。もう少し完成度みたいなところを考えながらやっていたら、これだけ荒れることも四死球出すこともなかったって思いますけど(笑)。その分自分の武器をより良くできた感じはあるので充実はしていたと思います。1年生の時はゆっくり過ごして、2年はリーグ戦で投げられてはいないですけど、ベンチに入れてもらって運良く神宮大会のメンバーに入れてもらって優勝をグラウンドで経験できたので、試合に出れない焦りとかはなくて、気持ち的にも充実していたと思います」

――大学入学後、球速が10キロ近く上がったと伺いました。
 「高校時代たぶん141キロだったんですけど、今は154キロです。(球速が上がった要因は)コツコツとトレーニングをし続けて、出力を上げられて、投球フォームにも生かせるようになったからですかね。フォームづくりも速いボールを投げることだけを考えていました。高校の時から胸郭のところを支点にして、肘を支点に投げないイメージで投げていて、リリースは前の方が良いとも言いますけど、今は後ろのイメージ投げていて。リリースが後ろだと背中が疲れたりとか、肘を使わずに投げられるのでケガの予防にもなって、球速も速くなりました。相場は前で投げた方がコントロールが安定するので前が良いと言われるんですけど、球を速くするためには後ろでリリースすることが良いかなと思ってそうしています」

――持ち味である直球のどのようなところに自信を持っていますか。
 「ずっと角度って言い続けていたんですけど、指名された他の高校生がみんな角度あるので一旦角度を無視すると、回転数が多いことだと思います。球速もそうですけど、空振り取れるキレというか。早稲田戦で特にいい感覚で投げれて、真っすぐでファールももらえて。相手が真っすぐ来るって分かっていたと思うんですけど、その中でもしっかり投げれている感じだったので、手応えはありました。(直球が通用すると感じるようになったタイミングはいつ頃ですか)オープン戦で2軍3軍のプロと試合した時もそうですし、3年生のリーグ戦でほとんど真っすぐ中心で抑えられたときですかね。今よりは全然前に飛ばされるし、バットに当たるシーンが多かったですけど、ゾーンが甘くてもいけるなっていう感じはありました。そのあと今年の8月のオールスターの時で日本ハムの2軍と試合した時に、相手のメンバーが1軍で活躍しているような選手を自分が投げている時に代打で送っていただいて、真っすぐ勝負をどんどんして。特に野村(佑希・日ハム)さんとかには5球連続真っすぐ続けたんですけど、結局ライト前に持っていかれて悔しい気持ちはありましたけど、4球ファールもらえたし、プロ相手にも通用する真っすぐなのかなと感じました。(エスコンフィールドの球場はいかがでしたか)めちゃくちゃ投げやすかったです。下のマウンドが本当に神宮とかよりも硬いので、投げた次の日はちょっと支障出たんですけど、投げていた感じマウンドの硬さとか、感覚とかは本当に投げやすい球場だなと感じました」

――直球以外に、プロ指名の要因はどこにあると思いますか。
 「自分は即戦力としては弱い部類だと思うので、将来性も含めて、体格とか伸びしろを評価してもらったと思います」

――4年生での1年間を振り返っていかがでしたか。
 「自分は特に春とかは試合でも結果残せなくて、悩む時間が多くてしんどかったですけどやることはやったというか、失敗したけど、 挑戦して失敗したみたいな気持ちはあるのでそこまで悲観的にはならにようにしていました。チームとしても4冠目指していた中で春から残念な結果になったんですけど、秋は出力も良くて、今までで一番感覚良く投げれていた気がします」

――今までの野球人生で転換期となったと感じる出来事や時期はありますか。
 「いっぱいあると思うんですけど、高校の学校長が中学校に来られた時と、明治大学のセレクションに来て、それが受かった時と、3年の秋、リリーフとして活躍できたことで、松山の代表候補合宿に呼んでいただいた時ですかね。松山の合宿は周りがすごい選手ばかりで。さっき高校の時の話したと思うんですけど、自分が一番と思いがちな性格なんですけど、まだまだ駄目なんだというか、気を引き締めるきっかけになりました」

――これまでで影響を与えられた人はいますか。
 「高校の監督はもちろんそうですけど、田中監督もですね。田中監督に自分が指導してもらったことはほとんどないんですけど、たまにピッチング見てちょっとこうした方がいいんじゃないかみたいなアドバイスもらうことはあるくらいで、直接何か言われたことはなくて。それがオープン戦とかで自分が全然だめだった時とかでも全然指導されないし、何も言われなかったです。自分がだめだったって一番分かってると思ってくれたのだと思うんですけど、それが自分の中では救われていて『今回はだめだったけどまた次の試合でやり直そう』という感じでいけたので。オープン戦で結果が出てなくてもリーグ戦で使ってくれてるとかしてくれたのを感謝していて、もちろん自分が成長したことでのドラフト指名ではあるんですけど、監督さんが辛抱して使ってくれなかったら絶対になかったドラフト指名だと思うので本当に感謝しています」

――プロではどういった選手になりたいですか。
 「ファンの方々が居てこそのプロ野球だと思うので、ファンの方々が自分が出るのを楽しみにしてくださったりとか、自分が出てきて喜んでくださったりとか、そういう選手にならないといけないというふうに思いますし、ファンだけではなくてチームメートからも信頼されて、大切な場面で送り出してもらえるよう選手になりたいです。あとはやっぱり日本一を争う試合で投げたいという気持ちもあります」

――プロ1年目での目標を教えてください。
 「できるだけ早く1軍で投げて経験を積めたらいいですけど、やっぱり課題が多いので。 何年プロ野球でできるか分からないですけど、先を考えてやはり土台づくりを無視できないので、しっかり土台を作ることが最優先だと思っています。フィジカル的なところもそうですし、技術面で力任せに投げていたら今までは2ヵ月でしたけど、1シーズンが半年あって、しかも毎日試合って感じで今とはまた変わってくるので。体力とかケガしないようなうまいやり方とかをどういうふうにしてるいかとか、調整の仕方とかは全く検討もつかないところなので、プロに入っていろいろな方の話を聞いて、その上で土台を作っていきたいと思っています」

――ありがとうございました。

[佐藤あい]