
(101)大学野球引退インタビュー 直井宏路外野手

(この取材は11月14日に行われました)
直井宏路外野手(商4=桐光学園)
――リーグ戦を終えての心境はいかがですか。
「春、早稲田に負けてどうにか秋は優勝したいと思っていたので、それが結果にならなくて悔しい気持ちと、4年間試合に出させてもらったのですごい感謝もしてますし、成長できたという気持ちもあります。(優勝決定戦後)後輩がすごい泣いていて、勝たしてあげられなくて申し訳ないなという思いも出てきました」
――優勝決定戦を振り返っていかがでしたか。
「可能性が低い中で、この試合があると思って準備もしてきていたので『よし、やってやるぞ』という感じでした。平日でしたけど、すごい人も入ってて、負けたら終わりの感じがすごい緊張感があって、いつもと違う感じがありましたね。試合自体は、やっぱ伊藤樹(早大)に対して、チームとして対策はしてきたつもりだったんですけど、それを上回るピッチングをされたので悔しい気持ちでいっぱいです。伊藤はやっぱり球種が多いのと、コントロールがいいので、狙っている球と違う球が来たりとか、うまく交わされたとこもありますし。やっぱり球の精度がすごい高いので、全く崩せなかった印象です」
――今季は2位でしたが、この結果をどう受け止めていますか。
「冬から4冠っていう目標を掲げてやってきたんですけど、結局1冠も取れなかったので、ここまでの準備とか、チームとしてもっと考えることがあったのかなとは今思ってます。(一番印象に残っている試合は)早稲田の引き分けた試合(早大2回戦)は自分の成績はもう本当にひどかったんですけど、負けられない試合でチームとして最後まで粘れたのが、明治の野球ができた試合かなと思います」
――今季のご自身の結果を振り返っていかがでしたか。
「特にバッティングに関しては春と同じような感じで、最初の3カードはある程度結果が出せて最後に失速するパターンが同様だったので、それに向けて対策はしてたつもりだったんですけど、また同じような結果になってしまったのはすごい悔しいです。でも3年生までと比べたら成長している点も多いので、そこはいい点かなと思います。(どういった点に成長を感じましたか)シンプルにバッティングが良くなったというのは自分でも思いますね。冬から言っていた振り込みの成果。あとは、結果が出てるからかもしれないですけど3年生の時より4年生の1年間の方が自信を持って、迷うことなくプレーに集中できていた感じはします。あとは守備が自分の中では一番の武器なので、そこは練習でも意識してやってきたので、ピッチャーを助ける守備が何個かはできたかなと思います。走塁はコンディション不良であまりできなかったので、それは次のステップで、もっとよくしたい点です。(後半戦は四球や内野安打などで塁に出ていましたが、調子が落ちていた中でも意識していたことはありますか)そうですね。もう最後のカードは特に調子も悪くて、どうしたらいいのかなっていうふうに思っていたんですけど、やっぱり足が自分は人よりもあると思うので、あとは出塁率が自分は求められる立場なので、そこを踏まえて打席に立つようにしていました」
――最上級生としての1年間を振り返っていかがでしたか。
「最上級生になって、特に副キャプテンもやらせてもらったので、下から見られてるという意識は常に持ってやっていました。姿勢で見せるだけではなくて、試合に出る以上は結果も求められると思うので、チームを見つつ自分の結果も出すことに考えて取り組んでいました。まあ結果出し続けれたら一番いいですけど、もちろん出せない時もあるので、そういう時のベンチでの振る舞いだったり、チームメートへの声掛けだったりとか、結果を引きずったりとか、弱い部分を見せないようにというのは意識してやっていました」
――幹部の3人(宗山塁主将・商4=広陵、飯森太慈外野手・政経4=佼成学園、中山琉唯捕手・文4=常総学院)はどのような存在でしたか。
「宗山は一番自分と考えが似てて、キャプテンキャラではないんですけど、なんとかしてチームをいい方向にしようっていうのが見えて、自分も宗(宗山)がなるべくプレーにも集中できるようにという思いでやってました。中山はとりあえず宗、自分、飯森とは違う角度の考えを持ってるので、4人で話してる時も、そういう考え方もあるんだっていうのをすごい一番思わせてくれた選手ですね。飯森は自分たち3人よりも後輩とかと一番喋ると思うので、そういう下の子の意見とかを出してくれて、それを取り入れていました」
――高校時代、そして大学4年間でご自身が変わったと思う点はありますか。
「基本的にマイナス思考で、自分で自分を追い込む癖があったので、それが少しポジティブになって、自分を肯定できるようになったのは一番変わったかなと思います。4年になってからは副キャプテンでもあるので、選手に言わないといけないことも多いので、そこで自分がやってないと、いやお前やってないだろうってなってしまうので、そこは意識して自分がまずはやるようにしていました。やっぱ練習量自体で言ったらもう宗山とかには全然叶わないですけど1、2年生の時はとりあえず練習しておけば結果が出るって思ってましたけど考え直して、自分に何が足りないのかを考えて練習してやらないと、ただ体力を消耗してるだけだと思ったので、そういった面でも考え方が変わりました」
――この4年間は長かったですか。短かったですか。
「長いとは思わないですけど、短いともあまり思わなかったですね。自分はなんかきちんと4年間を過ごしたなという感じです。正直、こんなに試合に出られると自分は思っていなくて。今日ちょうど見たんですけど、4年間で89試合も出させてもらっていて。試合に出ることでいろいろな経験もできましたし、自分でも成長したなと思う部分もいくつもあるので、そこは本当に1年生の頃から出してくれた監督に感謝しかないなと思っています。それ以外にも初めての寮生活も経験しましたし、120人以上、130人ぐらいですかね。そのくらいの規模の組織で4年間を送れたということは、自分の野球人生においてプラスになったと思います」
――4年間で一番印象に残っている試合を教えてください。
「やっぱり悔しいことがすぐに思いつきます。2年生の時は本当にしんどくて『なんで自分が試合に出てるんだろう』ってすごい思ってましたし。その中でも特に2年秋の慶應戦のツーアウト満塁で三振したんですよ。それがもうすごい覚えていて、本当にもうだめだって、どん底まで行った気がします」
――これまでの野球人生の中で影響を受けた人はいますか。
「山田(陸人選手・令5法卒=現ENEOS)さんですかね。高校、大学一緒で、本当に野球に対して熱い人なので、練習の取り組み方だったり、試合の中での鼓舞の感じだったりとか真似しているとこは多くありますね。明治に入る直接な理由ではないですけど、明治に行けば山田さんいるなっていうのは思ってました」
――来年のチームはどのようなチームになると思いますか。
「ピッチャーも多く残りますし木本(圭一内野手・政経3=桐蔭学園)小島(大河捕手・政経3=東海大相模)あたりも残るので 心配は全然してないですね。(期待している後輩は)自分は今井(英寿・政経3=松商学園)さんに出てほしいです。投げることも打つこともスケールが大きくて、自分にはないものを多く持っている選手なので何か一つのきっかけでチャンスを掴んでもらいたいなと思います」
――社会人野球での活躍も期待されていると思います。今後の目標を教えてください。
「今年に限っては優勝もできなかったですし、結局最初は順調でも後半失速してタイトルも取れなかったので、最後にそういうのを勝ち切れるとか、掴み取れるような選手になりたいなと思います」
――最後に明治ファンの方々に一言お願いします。
「神宮球場で、あれだけの大歓声の中で4年間野球ができたことはすごい幸せでしたし応援がすごい力になったので、応援してくれた人にはとても感謝しています」
――ありがとうございました。
[佐藤あい]

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