
(100)大学野球引退インタビュー 千葉汐凱投手

(この取材は11月9日に行われました)
千葉汐凱投手(営4=千葉黎明)
――今季は故障で出遅れたものの、最終的にはチーム最多タイの7試合に登板しました。
「リーグ戦が始まる前くらいに左肩のインナーマッスルの部分で肉離れをしてしまい、出遅れてしまいました。東大戦と慶應戦は投げられなかったのですが、みんながカバーしてしっかりと投げてくれてました。自分が投げていない中でチームが勝っている悔しさもあって、復帰に向けて最善を尽くしていました。試合で投げていない状況で立教戦に投げさせてもらって、そこは一発で結果を残さないと登板機会も減るだろうと思ったので、一試合一試合自分が抑えるんだと強い気持ちで投げていましたね」
――今季は右足の上げ方を少し振り子のように動かすように調整されていたように見受けられました。
「勝手にそうなっていた感じですね。リーグ戦前に映像を見て『こうなっているのか』と。そうしようという意識などはなかったのですが、ケガがあったのでそれを庇っていた部分があるのかもしれません」
――以前からチェンジアップの割合を増やしたいと発言されていた中で、今季初登板となった立大1回戦の初球にはチェンジアップを選択されていたのが印象的です。
「そうですね。戸丸(立大)のところで、チェンジアップから入ってまた3球目に投げたと思います。バットが折れていたのではないでしょうか。チェンジアップに関しては練習の中でコツをつかんだ感覚があって、小島(大河捕手・政経3=東海大相模)もそれを知っていたのか要求してくれました。立教だけではなくて早稲田や他のチームにも自分がチェンジアップを持っているということを頭に入れさせられたのが大きかったと思います」
――早大2回戦では1点を先制された6回表、1死二、三塁の厳しい場面からの登板でした。
「どんな時でも自分のピッチングをするというのはイメージしていて、ブルペンでは最悪な状況を考えて準備していました。嫌な場面で投げると思っていたので気持ちは作れていました。最初の梅村(早大)にセンター前を打たれたのですが、その後を抑えられたので少しは流れを持ってくることができたかもしれないというように覚えています。そういったピンチは逆に燃えますし、そんなに嫌だと思っていません。(梅村選手の打席の結果球にはスライダーを選択しましたが、何度も首を振った末の投球でした)確か首振りのサインだったと思います。よく首で演技をしたりするのですが、もしかすると演技がうまかったのかもしれません」
――3連投となった早大戦では、千葉投手の投球時に俊足の石郷岡選手(早大)から2度併殺を奪いました。
「肩が張っていて、3回戦は球速が落ちていたのではないですかね。元々野手をやっていたのでフィールディングに関してはそこまで不安は持っていませんでした」
――リーグ戦が後半へと進むにつれ再び直球とスライダーの割合が再び増えていきました。
「小島が一番分かると思うのですが、自分の一番の武器はスライダーです。先発であればいろいろ散らしてというのはあると思います。ただ自分の登板は、基本1打席しか対戦しないような相手との対戦の連続なので、その1打席を抑えるためにということを考えたときにそうなったと思います」
――そのスライダーに関して、今季は横幅を作りに行っていたようにも見られました。
「どうですかね。ただ1ストライクだったり最初のストライクを取るスライダーと、三振を取るスライダーは自分の中で変えています。初球は大きく遅くという感じですが、三振を狙うときは小さく早くという感じで握りを変えて調整しています。そこまで横幅をつけようとは考えていないのですが、スライダーは操れていたので自信がある部分です」
――法大2回戦の8回表の藤森選手(法大)の打席ではより一層曲がりの大きい変化球で空振り三振を奪いましたが、打者の体勢を大きく崩す投球になりました。
「スライダーですね。カウント3−1になって、藤森は真っすぐを狙っていたと思います。自分のスライダーは回転数が多いので、バッターの言葉も聞いていく中でそこがキレにつながっているのではないかと考えています。回転数は自分で上げようとしても難しいと思うのですが、元々あったものを知ったからそれを操って、という感じです。ちなみにカーブも投げています。120キロ出ないくらいのボールはカーブですね。あの試合は慈英(大川投手・国際3=常総学院)ややましょう(山田翔太投手・国際4=札幌一)が苦しんでいた中で、それを助けたいという思いがあって集中して投げていました。スライダーもラインが見えていた感じがあります」
――卒業後は社会人野球の世界に進まれますが、どんなイメージをされていますか。
「やはり先発をやらないとプロに進むのは難しいのではないかと思います。もちろん中継ぎでも指名を受けている選手はいますが、自分はもっと球速を上げないといけません。先発をやりたいのですが、自分が進むチームの左の先発投手が2人いらっしゃって、そこに食い込まないといけません。1年目はリリーフだと思うので球速も平均147キロくらいに上げたいと考えています。その上でサブ球種のツーシームやチェンジアップをいつでもストライクや空振りを取れるように極めたいと思いますね。大学からはプロに進めず悔しい感じで終わってしまったので2年後は行きたいなと思います。高校時代にはプロは全く考えていなかったですし、大学2年くらいのことは全く無理だと思っていた中で、球速が少しずつ上がっていってそれに伴って考えるようになりました」
――チームに残せたと思うものがあれば教えてください。
「何を残せたんでしょうね。自分の口からは難しいですが、ポジティブさとかではないでしょうか。高校時代に当時の監督から『心の充実』という言葉を教えてもらったことがあります。心が充実していればプレーや技が充実するので、心をまず重視するということを教えていただきました。その言葉が好きなので、心を準備した上で体を準備するというのはもしかしたら自分から見て取れるかもしれません」
――大学野球の4年間を振り返っていかがですか。
「2年のときに優勝をさせてもらったり、全国の舞台で投げさせてもらったのがあっただけに、4年の自分たちの代で優勝したかったという思いはあります。成績で見れば悔しい部分の方が多かったのですが、本当に成長させてもらった4年間でした。先輩方にも助けられて、ここに来ていなかったらどんな人生になったかも分かりません。社会人で野球を続けることができていたかも分かりませんし、とにかく仲間にも感謝してます。2年春の蒔田さん(稔投手・令6商卒=現JFE東日本)が10回投げて自分が最終回を投げて優勝を決めた試合は印象に残っていますね。あの試合の歓声はよく覚えていて、月曜だったのですが観客も多かった気がしますし、印象的です」
――ありがとうございました。
[上瀬拓海]

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