
(96)退任インタビュー 田中武宏監督

(この取材は11月9日に行われました)
田中武宏監督
――3季ぶりのリーグ優勝を目指した今季を2位で終えましたが、振り返っていかがでしょうか。
「目標としてたケガ人を出さないというところを第一に考えていたのですが、髙須(大雅投手・法3=静岡)の離脱などもあり目標通りにはいきませんでしたね。早稲田戦に関しては万全な状況で戦えなかったというところと、向こうは野手も含めて故障者が出ていないと思うのでそこは要因としてあるとは感じます」
――毛利海大投手(情コミ3=福岡大大濠)は先発としてシーズンを完走しました。
「夏場に一番怒った子だったんですよね。これは他の会見でも言ったんですが『そんなんじゃ投げさせねえぞ』と言っていたところから結局は一番シーズン投げてね。ただ体つきを見れば高校生の部類に入りますし、まだ1試合任せられないというところが今後の課題ですかね」
――昨季全試合で4番を務めた横山陽樹外野手(情コミ4=作新学院)は開幕戦で4安打を記録した以降は出場機会を減らすこととなりました。
「結果として夏あまり良くなかったので、そこの競争は杉崎(成内野手・総合4=東海大菅生)の方が上回っていました。開幕戦も4安打はしたけども、内容は良くありません。それをきっかけに上がってくれるかなと思いましたが状態は上がらなかったので、そこで榊原(七斗外野手・情コミ2=報徳学園)に替えました。榊原は一打席しかない中でも結果を出していましたし、自分一人で決めたのではなくスタッフみんなで決めたことです」
――夏に海外遠征に参加していた髙須投手について、開幕前には10月から先発で起用すると明言されていた中で、9月の2カード目の慶大1回戦で先発のマウンドに送り出しました。
「本当は使いたくなかったのですが、慶應さんは左ピッチャーより右を行かせたいと言う考えがあったので1週早めて使いました。左ピッチャーの方が合いそうでしたし、中軸の右バッターが打つと乗ってくるチームなので。やはり1回戦で清原くん(慶大)に打たれたあの1球ですよね。あれで髙須を月曜もう一度先発させて、肘にも影響を与えてしまいましたし、痛いなと。清原くんを悪く言うわけではないのですが、一番投げてはいけないところですよね。真っすぐで押しとけば何ともないのですがね」
――菱川一輝投手(文3=花巻東)はリリーフとしてチーム最多タイの7試合に登板しました。
「7登板したんですね。短いイニングですが出力上がって大川(慈英投手・国際3=常総学院)あたりと変わらないくらいになってきましたね。ただこれも同じで変なカットボールとかそういった球種で目先を変えようとして打たれるというのがあるので、縦の変化球をちゃんと覚えさせないといけないなと思いました。来年は今季投げた5人に、1年間ゆっくりやらせてる湯田(統真投手・政経1=仙台育英)とか渡邉(聡之介投手・政経1=浦和学院)とか林(謙吾投手・政経1=山梨学院)あたりが加わって争っていくのだと思います。大室(亮満投手・文1=高松商)もかなりの可能性を秘めた大型左腕なので、ここは大いに期待するところですね」
――勝ち点を落とした早大戦では、春に続き伊藤投手(早大)を攻略できませんでした。
「春の第3戦の延長完投から完全に自信をつけましたよね。うち以外に対しても勝っていますし自信をつけたんじゃないですかね。まず明らかにコントロールが良くなったと見ていていました。去年までは結構逆球を放っていて、それを宗山(塁主将・商4=広陵)にバーンと打たれたりとかしていたように見えたのですが、今はないですよね。まあ抑えられといてこんなこと言うのもおかしいのですが、出力を下げながら投げているように感じたので『これはどうしようもないや』という感じではありませんでした。150キロ近いボールはほぼなく、140中盤くらいでしたから。ただ丁寧ですよね。きちっと放られるボールに対して失投待ちではなくて、しっかりと球数を投げさせていかないといけなかったですし、次やれるとしたらそこですよね」
――早大1回戦の9回裏、1点差に追い上げ無死二塁から迎えた木本圭一内野手(政経3=桐蔭学園)の打席では強行策を選択したものの、見逃し三振に倒れ後続も打ち取られました。
「あの(下位に下がる)並びからしたら一番信頼できるのが木本だったので打たせました。あいつがあまりバントが得意ではないのでね」
――故障から復帰した内海優太内野手(商2=広陵)も初打席で適時打を放ちました。
「彼は2年生ですがレベルの高いピッチャーに対しての対応力がずば抜けています。夏のオープン戦に出してないわけですから経験値的な懸念はありましたが、故障についてもほぼ万全ですよ」
――最終カードの法大戦では4番で起用し続けた杉崎選手が適時打を放つ活躍を見せました。
「やっとバットに当たったなって頭こづきましたね(笑)。実は何回か変えようとしたんです。相手が右ピッチャーなら内海4番で行くかとか考えたりはしたのですが、杉崎はベンチに置いとくだけなら意味はありませんよね。助監督や他のコーチ連中にも『使うんだったらもう4番で使いましょう』というアドバイスはもらっていたのでこいつでだめならもういいやという感じで起用しました。思いのほか送球や捕球のミスがなくて守りの心配がなくなったこともあります」
――今季は終始打順を固定して戦いました。
「例えば(不調の)飯森(太慈外野手・政経4=佼成学園)なんかもどうしようかとは思ったのですが、あいつを9番くらいに置いていても相手からしたらあまり嫌ではないよなと考えていました。1番の直井(宏路外野手・政経4=桐光学園)が良かったですし、飯森の打席で3番の宗山が目に入るでしょうからいろいろ考えてくれるかもしれない、という見立てはありましたね。ある程度固定した方が使われる方も楽だと思うんです」
――夏のオープン戦では田上夏衣外野手(商1=広陵)らが出場を重ねていましたが、最終的には年間を通じて1年生の公式戦出場はありませんでした。
「そうですね、これは自分が監督になってから1年生を全く使わなかったのは初めてのことです。思えば自分も5年目になって、全員ではないにしろ自分が取ってきた選手が思い通りに、育ったんだなと。上(上級生)が詰まってるから1年生が出られなかったんだなとも思いましたね。萩(宗久外野手・商1=横浜)なんかもキャンプを完走させてオープン戦でも起用しましたが、神宮はまた違うんだと分かってくれたんじゃないですかね。スタンドにいれば試合に出たいと思うでしょうし」
――山田翔太投手(国際4=札幌一)や千葉汐凱投手(営4=千葉黎明)も厳しい場面での起用がしばしば見られました。
「山田は腕を下げたのが転機でしたかね。上から投げていたら出番がなかったと思うのですが、スピード上がって140後半出るようになりました。社会人のJR北海道さんに進むのですが、十分戦力になると思っています。適正能力や体の作りがあるのでみんながみんな腕を下げたら良いわけではないのですが、上背がそこまでない子でも通用するいい例でしたね。千葉は元気が良くて、笑いの中心みたいなところにはいるけども、それをマウンドの上でも発揮しなさいと言ってきました(笑)。進路についてはプロも一時封印してHondaさん一本でというところで理解してくれてね。試合でも先発投手にアクシデントがあったときのために最初から準備してもらうのがこの2人で、かなり負担をかけたのですが結果を出してくれました」
――日本ハムから3位指名を受けた浅利太門投手(商4=興国)はシーズンが進むにつれ状態を上げていきました。
「(ドラフト会議後の法大戦は)もう顔色が全然違いましたね、もう何もアピールすることないやと。早稲田のとき(早大2回戦では3回と3分の2を投げ無失点)もバットに当たらないのが見ていて分かるので、久しぶりにそういうピッチャーを見たなと。甲子園も出てない、注目もされてないような選手が地道にやってここまでね。下級生のころからいきなり使う気は全くなくて、体もペラペラだったので体作りからやらせた中で、3年生から経験を積ませていきました。この度NPBからそういった評価をもらえるということは、他のピッチャーと成長度合いが違ったということですかね。それでも彼の力からしたらまだ成長できるはずなので、そこは宗山以上にちょっと楽しみですね。日本ハムの大渕スカウト部長と担当のスカウトさんのあいさつでは『お互い成長していこう』というお言葉をいただいて、本人も安心してると思いますね」
――先日退任の意向を公にされましたが、5年間を振り返っていかがでしょうか。
「最初はコロナでしたね。僕自身も一度感染して、あのころはまだ10日間(隔離)だったので『もう何してんだろ』と。リーグ戦も中止で夏に5試合しかできませんでしたし、その後も10試合限定のポイント制でね。本来の勝ち点制に戻ってからは3連覇することができて、その後も2位、2位ですか。今季はまだ分かりませんが常に上位にいれましたし、勝率も7割を超えているようで、幸せな監督生活でしたね。選手たちにも常に優勝争いができたということは素晴らしいことだし、誇りに思ってほしいと思っています」
――任期中は一貫して守備を重視し、機動力や犠打を重用する堅い野球を展開されていた印象があります。
「まずやっぱ守りを重視して、大量得点じゃなくて1点。ロースコアに持って行きたいので、とりあえず先に1点っていうのはどの学年に対しても思っていましたね。印象的なのは日本一(22年秋に明治神宮大会決勝で国学院大を下し全国制覇)になったときかな。最後のセカンドゴロも村松(開人選手・令5情コミ卒=現中日)が取れないと思ったところを取って、最後は村田(賢一選手・令6商卒・現ソフトバンク)がカバーに入ったっていうのを覚えていますね」
――15年連続でドラフト指名を受け評価を高める中で、入学する高校生の質もより一層向上してきた印象を受けます。
「明らかに違いますよね。本当か分かりませんが、志望してくれる高校生が全国にいて、明治に行きたいと思ってくれる子が多くいるというのはいろいろなところで聞きます。プロどうこうというのだけではなくて、学業もだめだったら使いませんとはっきり伝えています。野球だけしに来るところではないというのが全国にかなり浸透したのではないかと思いますね。今年の4年生もマネジャー含めたら13人が社会人野球に進むのですが、ここに入ってきちんと取り組めば、そんなに落ちこぼれてというのはいなかったかなと思いますね。今はもう高校2年生の(スカウティング)もやり出しているのですが、最低限今度入ってくる子たちの4年間までは、自分が前に出てどうこうってことはないけれどもその手助けをしたいと思います。僕が就任するときも善波(達也前監督)からあったように『ここの企業はこうなんだよ』という引き継ぎはしようと思います」
――後任の戸塚俊美助監督について教えてください。
「非常に我慢強くてね、股関節が悪くてこの冬ようやく手術するんですけども。(手術を)やってくれって言うのに『いや大丈夫です』と言うような男でね。恐らく戸塚あたりが(島岡)御大に直接指導を受けた最後の世代だと思うんですよね。その島岡野球というのは変えずに受け継いでいってもらいたいですね。(後任人事は田中監督が主導したのでしょうか)いえ違います、人事はOB会ですから。人事はOB会で学校が承認する形です。そこで僕がいやいや、というのはありませんし分かりましたと」
――今後についてはどうお考えでしょうか。
「僕は特別嘱託で12月31日に学校との契約が終わります。そこからはもう無職です。隠居ですね。来年は64なので孫と遊んでます(笑)。退任の方向が決まってからも、年齢的にもうちょっと若ければ一応家庭があるので、次の就職先をというのはありますが、その気はありませんでした」
――5年間でチームを変えた発言などは記憶されていますでしょうか。
「いろんなこと言っていますから分かりませんね。ただ幸いにも六大学ってのは注目されていますし、中でも彼らは特に注目されています。その年その年でいろんな選手がいますが、今年は特にこれだけの数の報道陣が来たことはないですからね。当然自分が見られてないと思っても目に入りますし、一歩外に出たら結構知られてるぞと。ですから神宮の日は毎回朝全員に『今日の目標は何のトラブルもなく全員がここに帰ってくることです』と言っています。昔はベンチ外の選手がタバコを吸っていてそれをOBが見て、とか10年くらい前ですがそういったこともあったのですが、行動もだいぶ変わってきてるんじゃないかなと思いますね」
――4年生やファンに向けて報告をお願いします。
「みんなよく協力してくれて、ありがとうございます。一人でなんでもやるというのは無理だと分かったので、ありがとうと。応援してくれる方々に対しては、宗山居なくなっちゃいますけども来年以降も(笑)。それは冗談ですけども、明治の野球も変わらず続いていくと思うので、来年以降も温かい応援をいただきたいなと思います」
――5年間お疲れさまでした。
[上瀬拓海]
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