
(95)大学野球引退インタビュー 岸上さくら主務

(この取材は11月8日、zoomにて行われました)
岸上さくら主務(政経4=立命館慶祥)
――マネジャーと主務の仕事の内容は、やはり変わりますか。
「マネジャーは部内向けの仕事が多いです。例えばSNSや取材関係、野球部に関わることを中心にやる仕事がマネジャーです。主務はそれに加えて六大学野球連盟の運営委員という立場になるので、部外の仕事が足されるという感じです」
――入部前と入部後でイメージのギャップはございましたか。
「私は野球が好きではあるのですが、野球に携わりたい、六大学でマネジャーをしたいという気持ちは最初は大崎(未稀マネジャー・営4=滝)と小池(璃子マネジャー・政経4=桐生)ほど強くはなかったというのが正直なところです。ただ優勝回数が多くて、素晴らしいプロ野球選手を輩出している超名門という印象で入部しました。入部してからはその印象に加えて野球をすること以外全てマネジャーがやっているのではないかというくらいのかなりの仕事量に圧倒されました」
――他のマネジャーとは違うご自身の武器、意識していたことは何ですか。
「礼儀と挨拶はかなり意識して特に最後の1年間は取り組みました。これまで男性が担ってきた役割をいざ、私がやるということになって全員に理解していただけるようなものではないという思いはあったので、応援していただいている以上、私も野球部の部員の1人として、部員以上の正しい礼儀や元気な挨拶を心がけて第一印象を良くするというところに力を入れて取り組みました」
――野球部の公式ブログで中学時代は吹奏楽部、高校時代は野球部のマネジャーと厳しい環境に身を置いていたと拝見しました。その辺も礼儀という部分で生かされていますか。
「そうですね。中学も高校もどちらも礼儀を重んじるような部活動だったので大学に入ってから(礼儀が)身についたというよりかは中学時代から刻まれていたというか、当たり前のようになっていたものをさらに意識したというのが正しい表現かもしれないです」
――4年間、野球部で過ごして忘れられない言葉はありますか。
「自分の人生が変わった言葉で言うと『主務どう?』という一言ですね。自分が2年生の秋の主務の方の一言で今の私があると考えると忘れられないですね。(意識の変化はございましたか)考えてもいなかったことだったので、最初はどういうことだろうという感じでしたが、主務と言いつつマネジャーであることには変わりはないので、マネジャーとしての意識は1年生の頃から変わらないです。主務になってからは六大学を運営するということと、主将と並んで部の顔になることが多いので、そういう面で責任という言葉の意味を考えるようにはなりました」
――代が変わると仕事内容も改革していかれるのですか。
「そうですね。一応、マネジャーの中でもこういうことを大切にする1年にしようというのを毎年決めていて、それは毎年全然違います。(今年はどのようなスローガンでしたか)それは、千と千尋の釜爺の『手出したら終いまでやれ』という一言があるのですが、そのセリフに習うように自分で手をつけた仕事は最後まで責任を持ってやるという、他人任せにしないというスローガンを立てていました」
――特に思い入れのある仕事はございますか。
「保護者の方に関する仕事は結構力を入れましたし、好きでした。私は親ではないですけれど、近くで自分の子供を近くで応援したくてもできない親御さんがいることは、みんなの出身地を見れば分かりますし、リーグ戦に来てくださった保護者の方々から『普段、元気でやっているのは知っているけど何をやっているか連絡ない』みたいな声を聞いた時に、そういう方にも楽しんでもらえるようなSNS、いらしていただいた時のおもてなしというところは自分が好きだったっていうのもありますけど、責任を持って仕事をやったと思います」
――この代から新しく始めた仕事はありますか。
「今まで寮にいた男子マネジャーしかやってこなかったことを自分がこういう立場になったというのもあり、性別に関係なく全員で把握しようということで、種類別に分けて連絡するアプリを導入し活用するようになりました」
――ドラフト会議の日が岸上さんの誕生日でしたが、いかがでしたか。
「自分にとってめでたい日が部にとってもそれ以上にめでたい日になってうれしかったです」
――今年度の最上級生はどのような代でしたか。
「40人いて個性も強くて、大変な年になるなというのは入部した時から薄っすら思ってはいました。その勘は当たっていて大変だったことも多かったです(笑)。でもキャプテンの宗山(塁主将・商4=広陵)を中心に最終学年、ラストシーズンが近くなるにつれて、人数が多いなりにいいところがだんだん出てきて、最初は少し心配だったチーム力も今は大分いいチームに宗山がしてくれたかなと思います。それにみんながついていって最高の同期だなと思います。(漢字一文字で表すといかがですか)『色』くらいにしておきます(笑)」
――4年間続けてこられた原動力は何ですか。
「巡り合った人ですね。同期2人もそうですし、野球部の選手、OBの方、応援してくださるファンの方、選手の保護者、そういう全員に特別な思いがありますし、そういう人たちのために頑張ろうという他の人のことを思ったことで、自分の一時の感情で辞めたいというのが消えました。周りの人のおかげでした」
――ここまで共に乗り越えてきた大崎マネジャー、小池マネジャーに何と声を掛けたいですか。
「ありがとうと伝えたいというのは一番にあります。感謝は絶対なのでそれ以外のことでいうと、この3人の中では一番、体育会野球部を選ばない可能性が高かった私と4年間一緒に仕事をしてくれて、プライベートでもお世話をしてくれて、私のせいで彼女らはコロナの濃厚接触に2回もなって、それでも見放さず最後まで駆け抜けてくれて結局ですけど、ありがとう」
――ありがとうございました。
[小松錦葵]
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