(93)大学野球引退インタビュー 大崎未稀マネジャー

2024.11.21


(この取材は11月8日、zoomにて行われました)

大崎未稀マネジャー(営4=滝)
――高校時代、六大学野球のマネジャーになりたいと思い勉強を始めたとお聞きしました。六大学野球のどこに惹かれましたか。
 「六大の他大学のマネジャーもそうですし、明治のマネジャーもそうだと思いますが、みんな自分の野球部に対する思いがすごく熱くて、自分のチームが日本一になれるようにという熱い思いを持って仕事をしている人が一番多いのかなと思って入部しました。そして、そういう人たちと一緒に仕事をできたのはすごいいい経験になったなと思っています」

――入部前と入部後でイメージのギャップはございましたか。
 「私は元々、過去の(野球部の)ブログとかを見ていて、すごく大変なイメージもあったし、六大学の中でも明治は名門で厳しい世界だという覚悟を持って入ってきたので、大変さでギャップはなかったのですが4年間やっていく中で大変なことは本当に多かったです」

――同期に男性の専任マネジャーがいらっしゃらなかったということですがいかがでしたか。
 「自分たちでできること、できないことを(岸上さくら主務・政経4=立命館慶祥、小池璃子マネジャー・政経4=桐生との)3人で話し合って、できないことは下の学年の男子マネジャーに頼んで仕事の分担を考えて話し合ったので、1年間大きな問題なくやれたのかなと思います」

――他のマネジャーとは違うご自身の武器、意識していたことは何ですか。
 「あまり前に出るタイプではないので、入部した時から今でも野球部の仕事を裏から支えるタイプです。細かい仕事を中心に、ミスとかがないように周りを見ながらやろうと思ってやっていました」

――野球部の公式ブログで同期で1人だけ野球に全く関わってこなかったと書いてありましたが、だからこそ強みとなったことはございましたか。
 「全て新しい挑戦だったので、とにかく自分が今できることをできるところからやろうという気持ちでできたので、どんな仕事でも少しずつ丁寧に4年間やってこられたのかなと思います」

――4年間、野球部で過ごしてきて忘れられない言葉はありますか。
 「入部の面接をしてくださったのが自分たちが1年生の時の4年生の先輩方だったのですが『明治のマネジャーが1年生であろうと、外部の人から見たら明治のマネジャーであって、1人がちゃんとできていないだけで連帯責任で部全体が印象が悪くなるから明治の野球部という看板を背負って入るからにはそれをちゃんとできるのか』というのを言われて、その言葉は4年間忘れなかったです」

――4年間での一番の思い出はいつですか。
 「他が楽しくないわけではないですが一番楽しかったなと思うのは2年生の時です。1年生の時は仕事で精一杯という感じでしたが、少しずつ仕事に慣れてきてというのが2年生ですね。3年生、4年生になると仕事での責任が増してきて、仕事の大変さの方が勝っていたかなと思います。2年生時の秋のフレッシュトーナメントで自分たちの代が優勝できたのもすごく印象に残っていますし、 その1年間はすごく楽しかったなという思い出がありますね。同期マネジャー3人での思い出もたくさんあります」

――チーム全体を見ていて、今年度はどのようなチームでしたか。
 「同期は40人いて他の学年に比べても2倍近く多いので、個性豊かだなというのをすごく感じていました。リーグ戦の前の学年会で一致団結したらすごくいいチームだというのを感じていました。幹部の人たちはまとめるのはすごく大変だったと思うし、3年生以下をまとめるのも大変だったと思いますが4年生の人数が多いからこそ一致団結したら引っ張っていく力も大きくなって、 秋はまとまったいいチームだったと思います」

――4年間続けてこられた原動力は何ですか。
 「私は野球部に入部する時点で4年間、野球部の活動に貢献できるようにマネジャーとして最後までやりきると決めて入部していたので、途中で投げ出す選択肢はなかったのですが、大変なことや辛いことがあった時に心が折れずにやってこられたのは、やはり同期のマネジャー2人がいたからだと思います」

――ここまで共に乗り越えてきた岸上主務と小池マネジャーに何と声を掛けたいですか。
 「この4年間、特に最後の1年、さくらは主務として璃子は宗山(塁主将・商4=広陵)の取材に奔走していて見えないところでも仕事をしてくれて本当にお疲れ様。2人が同期で良かったということを最後に伝えたいです」

――ありがとうございました。

[小松錦葵]
※写真は硬式野球部提供。