(83)ドラフト特別企画 広陵高・中井哲之監督

2024.11.05

(この取材は10月27日に行われたものです)

中井哲之監督(広陵高)
――宗山塁主将(商4=広陵)の指名を受けていかがでしょうか。
 「うれしいですよね。彼が高校を出て明治大学に行くときに、プロに行きたいんだと言うようなことを言っていたので『じゃあ100本打てよ、100本打てば目立つから』と伝えました。そこで本当に順調に、努力もしたしチャンスをモノにしましたね」

――広陵高出身のお父様の影響もあり広陵高に進学したと伺っています。
 「親父も僕の教え子なのですが、いろいろな誘惑があっても広陵に来るんだというのは全くぶれずに、他校の話は聞きたくないというくらい一本気な選手、家庭でしたね。(1年生の夏から甲子園の舞台に立ちました)あんなふうになるとは思っていませんでしたね。軟式出身なのでもっと時間がかかると思っていましたが、彼の努力や思いがあって甲子園の打席で初球をフルスイングしたというのは印象に残っていますね。プレーヤーとしてはバランスが良い選手でしたね。パワーばかりでなく軸で、という意識で小さいこと取り組んできたのだと思います。コンタクトする力もあるし、今からもっとパワーもつくだろうし、本当に三拍子そろった選手になってほしいです」

――人間的な部分ではいかがでしょうか。
 「『日本語知らんのか?』というくらい物静かな子で。目立たないですね。偉そうにもしませんし。たかが鞠遊び、野球がうまいだけじゃないですか。そういう教育をしてないのでね広陵が。明治に行ってから3年生くらいから責任者をさせていただいた中で、やはり行動だけではつながりませんから、喋ることを覚えたのではないでしょうか」

――1年次の明治神宮大会では星稜高・奥川恭伸選手(現ヤクルト)から2安打を放つ活躍がありました。
 「もう完成品という感じでしたよねあの時の奥川くんは。真っすぐ、カーブ、スライダー、フォークにコントロールも良くて、当時の神宮大会に出た大学生より良いようなピッチングをしていたのを覚えています。あの子(宗山)だけでしたねファーストストライクを打ち返したのは。目立つところで打つんですよね、結局は。持っているところもあったんだと思いますね」

――1年冬には当時二塁を務めていた宗山主将のポジションを、遊撃の中冨宏紀選手(現三井金属竹原)と入れ替えました。
 「(宗山は)大事なところでよくエラーをしていたんですよね。いつかにゲッツーの時にセカンドのカバーに入るのが遅くて、それがつながって負けた試合があったんです。瞬発力がないのか脚力の問題なのか、なぜだろうと考えたら結局すごくポジショニングが深くて間に合っていなかったんです。そんな中で当時ショートを守っていた中冨は非常に守備の上手な子だったんですけどプレーが軽かったので(入れ替えようと)。自分は両方守れた方がうまくなるという考えがあって、いろんなエラーもあったんですけどやってみました。彼にとってはもう一度自分を見つめ直すいい機会になったのではないでしょうかね」

――最も成長を感じたタイミングを教えてください。
 「2年秋に負けてからですかね。この試合を勝てば中国大会という試合(令和元年度秋季広島県大会3位決定戦で広陵高は盈進高に惜敗)で、宗山のエラー絡みで負けた試合がありました。ゲッツーを取れば終わりというところでやっぱりカバーに入るのが遅くてファンブルをしてしまって。そういうことがあって、冬は黙々と練習していました。ちなみにその試合で渡部(聖弥選手・大商大、埼玉西武2位指名)もサードゴロをぽろっとエラーをしたのでクビにしました(笑)。渡部はその次の練習試合でセンターを守らせたらすごく難しい打球をきっちりと取るんですよ、練習もノックもしていないのにね」

――進学を基本方針とする広陵高の中で、宗山主将の3年次には『宗山は高卒でプロに行ける』とご発言されていましたが、意図を教えてください。
 「いやいや、プロに行きたい、高いレベルで野球をしたいという夢を彼が持っているので、行きたいなら頑張れと言ったまでです。人と同じことをしていて行ける世界ではないですからね。今も夏に引退したうちの3年生がグラウンドで練習をしていますが、今3年生が練習している学校なんてそうないと思うんです。普通は女の子と遊んだり免許取りに行ったりとかじゃないですか(笑)。今日も響(高尾選手・広陵高)が午前中は練習試合の審判をしていたりしてね。年末は卒業生が各地から帰ってきて、うちからプロに行った選手や明治や早稲田に進学した選手もいろいろな話をしてくれるのですが、結局最後は『広陵にプライド持てよ』と言うんです。しつけとか自主練とか思いなど、野球を通じてという部分をここまで実現している学校はないからと。選手たちはずっとそんな話を聞いているので少しずつそれが分かっていくんだと思います」

――明大・田中武宏監督も『広陵の子はきっちり教育されている』と普段からお話されています。
 「田中監督や善波(達也)前監督には『広陵の血が欲しい』とよく言っていただきます。怒ることや馬鹿なことをしませんから。大学生でもレギュラーを諦めたり、どうしても幼稚な選手がいるじゃないですか。楽な方に流れたり、幽霊部員のようになったりしがちですが広陵の選手はならないと。控えになっても練習にも出るし応援にもくるんだと褒めていただいています。そう言っていただけるとありがたいのですが、それは広陵にとっては当たり前のレベルです。うちの子は邪魔もしませんし、多分だめな時も例えば学生コーチとか、マネジャー的な仕事をしたり何でもすると思うんです。そういうところを評価していただいているのかなと思います。明治さんも14人枠があって、もちろん通用しない子は取っていただけませんからお目にかからないといけないのですが、同じくらいの実力であれば広陵から取っていただいているのだと思いますね」

――学生との接し方や自主性を重んじる指導法についても教えてください。
 「本気です。自分の息子だと思ってやっています。自分の息子だったら本気で怒ると思うのですが、最近は本気で怒れない親がたくさんいるわけです。子供が怖いと。それで最終的に結局一番困るのは親ですよね。怒られたことがない子もたくさんいる中で、ここに来たらびっくりするんですよね。その上で例えば、東大に行く人も抑えつけられたから行けると言うわけではありませんよね。まず自分が『東大に行きたい』という思いを持ったから自分で考えて勉強をしますよね。それで物足りなければ家庭教師が来たり予備校に行ったりするわけで、それと全く一緒ですよね。ですが野球がうまいだけではいけません。温かさとか優しさとか、野球だけではない部分も必要です」

――広陵高出身の遊撃手が球界で多く活躍しています。
 「一番うまい子をショートに持っていきますね。ゲッツーの時の逆モーションがあったり、二塁以外のベースに行かなければいけないとか、いろいろな動きがあるセカンドの方が難しいと思うのですが、ボールが飛んでくる確率はショートの方が高いですよね。ショートの方が一塁まで遠かったりしますし、脚力や柔らかさを見てうまい子をショートに行かせてしまう自分がいますね」

――大学進学後は連絡を取ることなどはあるのでしょうか。
 「大学での結果は普段からチェックしていますよ。明治の子はリーグ戦の前後でも必ず電話があります。今だったら宗山が電話してその横に内海(優太内野手・商2=広陵)や田上(夏衣外野手・商1=広陵)がいて『先生、ちょっとお電話代わって良いですか』と来て僕が『代わらんでええわ面倒くさいけえ(笑)』というやりとりがあります。宗山が1年の時から先輩がそうしていたのでつながっているんだと思います。ケガなどに関しても、世間には言えないことも僕には言っていました。春に指を骨折した際も『もう治って投げられるのですが、今のまま投げるとシュート回転やカーブ回転がかかってしまうので、もう少し我慢するように言われています』という感じで報告を受けていました」

――宗山主将は自身の課題としてスピードを挙げていました。
 「そうですね、高校のころも渡部より遅かったですね。普通という感じですよね。1番で起用することもありましたが、高校野球の1番打者ならあれくらいで良いんですよ。大学のレベルで走ろうとなると、という感じですかね。盗塁は加速やスライディング、勇気のなどの要素が必要になります。(プロでは)足があった方がスタメンでは出やすいと思いますね。あまり遅いとエンドランのサインも出せませんし、一かバチかで走らなければいけない場面もありますからね。佐野(恵太選手・横浜DeNA)のようになっては大事ですからね(笑)」

――どんな選手になってほしいとお考えでしょうか。
 「やる限りにはトップの選手になってほしいですし、夢を与えられるようになってほしいです。プレーもそうですし、人としてもです。勘違いしたプロ野球選手も多いのですが、あいさつや雰囲気だったり高校の時に教わったことをそのままに『あんな選手になりたい』と人として尊敬されるような選手になってほしいですね」

――宗山主将に一言をお願いします。
 「調子に乗るなよではいけませんかね。お前らしく頑張れよ、ですね」

――ありがとうございました。

※本インタビューを含めた「明大スポーツ新聞第541号(ドラフト特集号)」は11月7日発行予定です。

[上瀬拓海]