
(76)宗山塁主将 指名後記者会見/プロ野球ドラフト会議

宗山塁主将(商4=広陵)が今年度のドラフト会議では最多となる5球団から1位指名を受け、東北楽天ゴールデンイーグルスが交渉権を獲得した。大学1年時の春から遊撃でレギュラーに君臨し、同秋にはベストナイン選出。華麗なグラブ捌き、柔らかいハンドリング、広い守備範囲と圧倒的な存在感を放った。また打撃でも抜きん出るものを持ち、早大3回戦でリーグ通算安打数を116とし、リーグ歴代8位タイに浮上。過去にはリーグ戦首位打者を獲得、大学日本代表にも選出された、攻守で魅了する宗山の指名直後の声をお届けする。
「多くの方にお集まりいただき、誠にありがとうございます。今日こうしてドラフトの日を無事迎えられ、5球団の方々、そして東北楽天ゴールデンイーグルスの方々にここまで評価をしていただいたことをまずうれしく思い、感謝の気持ちでいっぱいです。今日この日を迎えるためにここまで野球を頑張ってきたので、こういう評価をしていただいたことでまずは一つ、成果が現れたのは自分としても非常に良かったかなと思います。ですが、まだまだ学生野球も続いていきますし、スタートラインに立ったばかりだと思うので、これからもっともっと自分の技も心も磨いていきたいなと思います」
――指名を受けたことをまず誰に報告したいですか。
「まず一番は両親。落ち着いて話をしたいなと思いますし、高校の恩師である中井先生(哲之広陵高監督)だったり、中学の監督だったり、そういう今まで自分がお世話になった方に伝えたいなと思います」
――プロ野球選手になるにあたって、どのような選手になりたいと考えていますか。
「まずは球団の顔やファンの方から愛される選手というのを目指していきたいなと思いますし、試合に出続けられる息の長い選手になっていきたいなという思いはあるので、そこから日本代表やトップレベルでプレーし続けられる選手を目指してやっていきたいなと思います」
――1年目の目標としてどのようなことを想像していますか。
「まずはスタートで開幕から試合に出たいという思いが強いのと、1年目なのでまずは新人王を目標にやっていけたらなと思います」
――プロでの活躍はもちろん、侍ジャパンとしての期待もあると思います。今年、2月には侍ジャパンに選ばれました。それまでも大学代表にも選ばれたりしていますがその中で、プロで戦っていく上でどういうものが財産になったかお伺いできればと思います。
「大学代表やプロの一流の選手たちのプレーを見れた、大学生のうちにそういうトップレベルを感じられたというところは自分にとって非常に大きな経験になりましたし、財産になったので、そこから得たものというのを自分なりに吸収して、良いものにこれから変えていければなと思いますし、これからもまだまだいろいろな選手を見ていけると思うので、その中で自分で考えながらいいものを取り入れてやっていけたらなと思います」
――中でも印象に残っている出来事や一番財産になったものはございますか。
「3月のトップチームの代表のときには、やはりプロの選手の方々のプレーを同じグランドレベルで感じることはなかったので、プロの選手たちのプレーを感じたというところは非常に自分としては大きな経験だったなと思いますし、選手というよりかは、全体的なレベルの高さというのを感じていたので良かったかなと思います」
――未来の侍ジャパンでどんな存在でいたいですか。
「自分が常に侍ジャパンの中軸を持たせてもらえるような選手になっていきたいなと思いますし、そのためにはいろいろクリアしていかないといけない壁があると思うので、まずはプロの世界に入って、そういったところを一つ一つクリアできればなと思います」
――同じパ・リーグの北海道日本ハムファイターズが浅利太門投手(商4=興国)を指名しましたが、同級生とも今後対戦する機会があると思います。そういうのも楽しみにしていらっしゃいますか。
「大学で同じチームだったので、これからさらに上のレベルで一緒に対戦したいという思いはもちろんありますし、勝ちたい思いも強くあります」
――次の法大戦で学生野球最後ということになりますが、明大での4年間で何を積み上げられたのか、そしてその前の広陵高でどういったものを身につけられたのかということと、2020年の夏の甲子園がなかった年、あの時の自分にもし何かメッセージを伝えるとしたら何があるのか教えてください
「明治大学では今の田中監督から非常にたくさんチャンスをいただいて、試合にずっと使い続けてもらったので、まずそこで得た経験というのと、いろいろな舞台で試合をさせてもらったので、自分の中での野球の引き出しや、野球に向けての準備のところ、いろいろなことを学べたので、そこは試合に出たからこそ分かることというのが、この4年間での強みであり、非常に成長した部分かなと思います。広陵高校の3年間では特に今置かれている環境、野球ができること、寮生活ができること、それが当たり前ではないということを3年間で学ばせていただいたので、そこは今でも忘れずにずっとその気持ちを持って日々生活しているので、とても大事な3年間だったと思います。コロナの影響で甲子園がなかった代なので、そのときはもちろん悔しかったですし、どう表現していいかわからないような気持ちにはなったのですが、そこから先を見てというか、これから甲子園がなかった分、さらに大学野球で自分のプレーを見てもらいたいという思い、大学でもっと頑張りたいという思いが強くなったので、その思いは間違いではないということを当時の自分に伝えたいなと思います」
――小さい頃から野球でいろいろ努力をされてきたと思いますが、今日の5球団の指名につながったような自分の努力というのはどんなことがございますか。
「日々の練習を自分がすごく頑張っているや、やらされているという思いが一切なくて今の自分には何が足りないのかというところを日々考えて、今の自分にはこの練習が必要だというところを常に意識してやってきていたので、嫌々やる練習と自分でしっかり意識を高く持ってやっていく練習とでは成長の具合が全然違うと思うので、頑張っていると思わないというか、必要だからやるというような思いで、毎日考えながら練習してきたことが非常に大切だったかなと思います。(それはいつ頃から)野球を始めたときも、最初は楽しくてやっていたというのもありますし、そこから年代が上がるにつれていろいろなことを考えながらやるようになっていたので、まずは打てたら楽しい、守れたら楽しい、そういう根本的なところの思いというのは今も変わらずにやっているのかなと思います」
――野球を続けていく中でお父様の言葉で一番、自分の中で糧になっているものはありますか。
「やはり小さい頃にずっと言われていたのは、何も考えずに100回やるよりかは、考えて10回やった練習の方が絶対身になるということはずっと言われていたので、そこは今も大事に日々考えながらやっていますし、変えずにこれからもその意識でやれたらなと思います」
――お父様の教えは今、どのようにつながっていますか。
「やり続けることの大切さを学びましたし、自分の目標や夢をしっかり発言して、それに見合う努力、練習をしていくことが必要だと思うので、変えずにやっていきたいなと思います」
――ありがとうございました。
[硬式野球部担当一同]
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