
(70)林謙吾 理想の選手像は勝てる投手

高校時代、選抜高等学校野球大会(センバツ)で全6試合696球を投げチームを優勝に導いた林謙吾投手(政経1=山梨学院)。しかし、最後の夏は県予選敗退。その悔しさをバネに、六大学野球の舞台での活躍を誓う。
野球の出発点
兄の影響で幼稚園生の頃からキャッチボールをするようになると、小学1年時から軟式野球団に入り本格的に野球を始めた。競技を行ううちに甲子園に憧れを抱く。「あんなに観客が入っていて、そういうところで、野球がやれたらどれだけうれしいのだろう」。高校は甲子園に行きたいという思いから、強豪・山梨学院高に進学した。
憧れの甲子園
当初は内野手だったが、高校1年生の冬ごろから投球練習を始め、投手へ転向。2年の春から秋までに6キロ増量するなど自己研さんに励み、2年の秋に初めてベンチ入りを果たす。その後の関東大会では4戦すべてに先発登板し、防御率0.89の好成績でチームを優勝に導いた。そして、センバツへの出場が決定。「野球をやっていて、自分が行きたかった場所だったので、すごくモチベーションは上がっていた」。3年の春に迎える自身初の甲子園。優れた制球力を誇る林だが、他の選手と比べて球速が劣っていると感じたため、体重を10キロ増やし、球速の上昇やストレートの質の向上、スケールアップを狙った。センバツでは、全6試合に先発登板しチームをけん引。決勝では9回3失点の力投を見せるなど活躍し、優勝を果たした。「(優勝を)したときは本当に、あまり実感がわかなかったんですけど、山梨県に帰ってきていろんな人に声かけてもらったりとかいろんな表彰していただいたときにすごく感じました」ところが、最後の夏の甲子園への県大会準決勝。林は6回途中4失点と崩れ、マウンドを降りる。延長10回に再登板するも、失策や自身のボークが重なり5失点し敗戦した。「チーム全員で勝ちに行こうと思っていたんですけど、負けてしまった。(負けた)実感はすごくゆっくりでした。負けたって捉えたくなかった。感じたくなかった」。夢の舞台に再び立つことはかなわなかった。
理想の選手像
次の舞台に選んだのは六大学野球。チームの雰囲気がいいと感じ、ここなら自分も成長できると考え明大への進学を決めた。「0対1で抑えて負けてしまうより、9対8で勝った方がいい」と理想の選手像は勝てる投手。新たな舞台でも努力を重ね、躍動する。
[野原千聖]
◆林 謙吾(はやし・けんご)政経1、山梨学院、180センチ・84キロ、右投げ右打ち、投手。フレッシュトーナメントでの登板について「ちょっとうるさかったかな」とはにかんでいた。
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