
(69)髙橋慎 心強い扇の要へと才能開花

今春行われたフレッシュトーナメントで神宮の初打席を経験した期待の1年生捕手・髙橋慎(文1=大垣日大)。明るい性格で周囲を盛り上げるムードメーカーとしての一面を持つ。幼い頃から夢見ていた甲子園の舞台で得たさまざまな経験を胸に、明大の正捕手を目指し日々努力し続ける。
好きを追いかけて
野球の道へ進んだのは小学3年生の時。野球をしていた兄の影響でおのずと野球を始めた。小学校から中学校にかけては投手を務め、エースナンバーを任されていた。「つらいとか辞めたいと思ったことは一度もなかった」と野球漬けの日々が嫌になることなどはなく、ひたすら大好きな野球を極めていった。中学卒業後、髙橋は幼い頃から夢見ていた甲子園の舞台に立つため、育ちの地であった愛媛県を離れ岐阜県の大垣日大高に入学。監督は母校の東邦高をはじめ計57年間野球部の監督を務め上げ、甲子園通算40勝を挙げた名将であり自身の祖父でもある阪口慶三監督だった。高校1、2年生では内野手を務め、打撃にも磨きをかけると、高校2年生の春、念願かない初めての甲子園の舞台に立つことができた。「とても広くて、最高の景色でした」。チームは2回戦で敗れるも、再び甲子園の景色を見るためさらに戦術を磨き、高校3年春のセンバツ出場を決める。一塁手として出場し、打席では4番を任された。敗退こそしたものの、髙橋は5打数3安打の好成績で、最後までチームをけん引し続けた。
リスクを楽しむ心
センバツ敗退後、阪口監督は髙橋に捕手転向を命じた。捕手をやるのは髙橋の野球人生においてこれが初めてだったが「面白そうだなと思いました」。夏の甲子園前に持ちかけられた捕手転向というリスクの大きな提案だったが、すぐに練習を始めた。岐阜大会決勝では仲間の活躍にも支えられ、甲子園出場の切符をつかみ取った。捕手として出場する初めての甲子園。広いフィールドを見渡し、積極的に仲間とコミュニケーションを取りながら1回戦を突破。迎えた2回戦のおかやま山陽高戦では1点ビハインドの中磨いてきた打撃力で甲子園初本塁打を記録。試合を延長戦に持ち込んだ。しかし10回裏2死満塁のピンチで、痛恨のバッテリーミス。「勝って、その後の景色が見たかった」。一心不乱にボールをホームに投げるも、既に逆転のランナーがホームベースを踏み、勝利の喜びをかみしめていた。最後の夏は、思いがけないかたちで幕を閉じた。
新たな環境で邁進
高校野球を引退後も後輩に指導するなど、野球に触れない日はなかった。進路について考えた際「近年の大学野球の中で結果を残していて、本当に一流の選手が集まっている中で自分も挑戦してみたい」という思いで明大進学の道を選んだ。優秀な結果を残している先輩の姿を追いかけながら、守備力や打撃力の向上に努めている。目標は「捕手としてレギュラーに入れるようにしたい」。祖父の提言から被ったマスクも、次は明大正捕手の座を目指して。向上心とたゆまぬ努力で、髙橋は日々成長し続ける。
[平良有梨奈]
◆髙橋 慎(たかはし・しん)文1、大垣日大高、180センチ80キロ、右投げ左打ち、捕手
最近筋トレに目覚め、自主的に筋トレに励む日々を送っている。
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