(67)湯田統真 貫く自分への期待

2024.10.04

 150キロ超えの速球が武器の右腕・湯田統真投手(政経1=仙台育英)。甲子園を3度経験した注目のルーキーだ。「周りを統べる、真っすぐな人に」という名前の由来通り、夢に向かい続けている。湯田の謙虚でひたむきな人柄は周囲の視線を集め、人々を魅了する。

村で育った湯田少年
 高校2年時の夏、仙台育英高が東北勢初の甲子園優勝を果たした。その際、頻繁に耳にした「白河の関を越えて」というフレーズ。この白河の関が湯田の地元・福島県泉埼村だ。「自然がたくさんあるので、小さい頃はずっと木登りをしていた」と人口約7000人の村で活発な幼少期を過ごす。野球を始めたのは小学校4年生の時。仙台育英高野球部出身の父に影響を受け、野球の道に進むと中学1年時の夏までリトルリーグに所属。全国大会に出場し、キャプテンを経験した。その後は中学の軟式野球部で汗を流し、親子2代で仙台育英高のユニホームに袖を通した。

密な仙台育英高時代
 2年時の夏に甲子園優勝、3年時の春は選抜ベスト8、夏は甲子園準優勝と記録的な成績を残し続けた仙台育英高での3年間。そんな中でも「甲子園は経験値が上がる場所。どれも忘れられない」と、甲子園での思い出は特別だ。高校最後の夏、初戦の浦和学院高戦では投手として球速150キロ、打者として本塁打を同試合でマーク。松坂大輔や大谷翔平ら歴代のドラフト1位投手が達成した記録に史上7人目として名を連ねた。3年時は春夏通じて甲子園で全試合登板。2年時の夏6.35だった防御率は3年時の夏には3.20へと成長し、チームトップを誇った。

夢を追い続ける日々
 常にレベルの高い環境に身を置く湯田が野球に夢中になる理由は「目標を見つけて達成していくのが楽しい」から。目標を達成することよりも、その過程を楽しんでおり「色んな人のトレーニング方法はいつでも興味がある」、「読書は野球のメカニズムの本」と常に自己鍛錬の方法を研究中だ。プロ野球選手になりたいという大きな夢が明確になったのは高校生の時。「小学校の頃は漠然としていて、中学校も意識せずにいた」。刺激となったのは仙台育英高の同期・山田修也(阪神タイガース)のプロ入りだ。「同級生が(プロに)行ったり、明治に来てプロになれそうな人がいたりする中で自分も頑張りたいと思った」と話す一方で「でも話はリーグ戦で投げてから」と謙虚な姿勢を忘れない。今日も夢に向かって真っすぐに。

[小松錦葵]

◆湯田 統真(ゆだ・とうま)政経1、仙台育英高、181センチ、85キロ、右投げ左打ち、投手。自分の性格を一言で表すと「貫く」。