
(117)大学野球引退インタビュー 上田希由翔主将

上田希由翔主将(国際4=愛産大三河)
――4年間を振り返っていかがですか。
「5位も経験して、優勝も経験できて、いろんなことをリーグ戦では経験できたのが良かったかなと思うし、野球の技術だけじゃなくて、いろんなところで成長できたと思うんで、この4年間大切な時間だったなと思っています」
――この4年間で自分の中で一番成長した点を挙げるならどこですか。
「1人の人間として成長できたと思いますし、今まで自分のことばかり気にしてたのが、誰かのためっていう気持ちに変わったり、やっぱり結果残さなきゃいけないっていうところから、粘り強くというか辛抱強く、一つ一つの練習に取り組んでいけたかなっていう感じはしてます」
――一番影響を受けた人、一番支えられた人はいらっしゃいますか。
「同期だったら堀内(祐我内野手・文4=愛工大名電)にはもう練習相手になってもらったり野球のバッティングのことをいろいろ聞いたりしてたので、支えられたと思いますし、先輩だったら村松さん(開人選手・令5情コミ卒・現中日ドラゴンズ)長南さん(佳洋選手・令5文卒・現日本製鉄東海REX)にはお世話してもらったり、後輩だったら宗山(塁内野手・商3=広陵)とかにバッティング聞いたりとかしてたので、1人に絞るのはなかなか難しいですけど、そういういろんな人に支えてもらってましたね」
――一番嬉しかったこと、一番苦しかったことを教えてください。
「2年のときになかなか結果が出なかったのが苦しかった1年でしたし、やっぱり(3年次に)日本一取れたのが一番大きかったかなとは思っています。(4年間でターニングポイントとして挙げるなら)でも今年の新チーム始まった時に、やっぱり3年までとこの4年の1年間で全然取り組み方が変わったと思うんで、そこが一番大きかったかなとは思います。12月ぐらい」
――この1年間はどんな1年間でしたか。
「今この早慶戦見てる時でもプレッシャーがないというか、何もない状態で見ててもやっぱり面白くないし、何かを懸けてというか、何かプレッシャーをかけられてやっている方がわくわくするし、やってやろうっていう気持ちにはなるので、1年間そういう目で見られてたっていうのはある意味良かったのかなっていう感じはします」
――最終戦はどんな気持ちで臨みましたか。
「後輩にいい形でつなげるっていうことと、最後4年生の集大成を見せるっていう意味で、その試合をもう勝つためにやってました。(その試合で決勝打)打ち損じというか、アウトの打球だったんですけど、最後まで運持ってたなという感じでした」
――ドラフト前日、当日は何をされていましたか。
「前日は本当になんかもう1日が長く感じて、早く始まってくれないかなっていう気持ちがあったんですけど、かといって練習ができたかといわれれば全然できなかったので、もう本当に待つだけって感じでした。当日も髪切りに行って、神宮参拝行って、本当にもうずっと待ってたっていう、基本的に何もしてないですね。早く時間経ってくれないかなっていう感じで待ってました。宗山とゲームしてたり、それで紛らわすしかなかったので。(神宮に行くのは部で決まっているんですか)いや、全然決まってないんですけど、もう自分は一人で行ったんで、全然決まり事とかではないんですけど、一応最後は神頼みかなと思っていきました」
――指名を待っている間は深呼吸をされたり、緊張されているという印象でした。実際どうでしたか。
「緊張はしてましたし、シンプルに緊張してたのと、カメラ慣れもしてなかったんで、ずっと撮られてるっていうのが嫌っていうか、早く終わってくれないかなっていうのもあったみたいな感じです。(石原さん蒔田さんが結構お話されてる中で、希由翔さんと村田さんはあまり喋っていない印象でした。緊張すると喋れなくなるタイプだったり)別にそこまで気にしてないですけど、さすがに選ばれるまでは気抜けないなっていう感じだったんで、気を抜かずに、何があるかわからないんで、集中してというか、待ってた感じですかね」
――今回は競合が多くドラフト1巡目が22回も呼ばれました。その度に緊張したりしましたか。
「うーんまあそんなにないですけど、長いなと思いながら、やっぱり呼ばれる瞬間というか、その瞬間は楽しんで見ているんですけど。こんなに長かったっけ、4年前見てたときもこんなに長かったっけ、みたいな感じでした。昨年もその前とかもずっと見てるけど、こんなに長かったっけって。(ロッテの指名前には隣の村田さんと『ピッチャーでしょ』という風に話していましたが、正直、ドラ1はないかもなと思いましたか)元々そんなに思ってなかったんで、呼ばれたらラッキーだなと思って待ってたのでそんなに期待もしてなかったし、あの巡り的にピッチャーだろうなみたいな予想はしてたんで、そういう会話してたかは忘れたんですけど、でもそういう気持ちではいました。ピッチャーだろうなって」
――その中で名前が呼ばれた瞬間、まず何を思いましたか。
「シンプルにほっとした気持ちが大きかったです。(3年次から密かに口にしていたドラ1という点については)いや正直全然実感湧いてなくて、まだ自分があそこでプレーを本当にするのかっていう感じなんですけど、これから少しずつでいいから実感して自覚とか責任とかしっかり持っていけたらなっていう感じです」
――ドラフト1位でプロにまでなれた理由はご自分の中ではどう考えていますか。
「全然実感湧いてないんですけど、やるべきことをやってきたと思うので、運もあったと思うんですけど、諦めずにやり続けてよかったなっていう感じはしてます。(自分の中で誇れる部分は)いやあ全然ないですけど、継続してやってこれたっていう。これがっていうのはないですけど、4年間通して継続して何事もこつこつできたっていうのが少しの自信にはなったのかなっていう感じはします。(継続できた理由は)プロに行きたいっていう気持ちもあったんですけど、シンプルに野球で成長したいっていう気持ちがあったので、打ちたい、走りたい、守りたい、投げたいって、全ての項目においてのレベルを常に上げたいなっていう気持ちでやってたので、一歩一歩上げていけたっていうのが自分の中でも楽しさの一つでもあったのかなっていう感じはしてます」
――高校でプロに行く選択はされなかった。そのことが大学野球生活のモチベーションになっていたりもしましたか。
「モチベーションではないですけど、プロに行くためにやろうと思って4年間やってたんで、でも行けなくてもこの4年間っていうのは大事な時間になるだろうなと思って入ってきたので、今思ってもいい時間を過ごせたなっていう風に感じてます」
――ドラフト会議の後、周囲からはどんなメッセージがありましたか。
「おめでとうっていう言葉もたくさんの人からいただきましたし、たくさん祝っていただきました。(通知は何百件とか)200か300ぐらいは来ましたね」
――会見で『開幕一軍』を書く前に『応援される選手』というのをご自身は書こうとされていて、実際弊部向けに書いていただきました。その目標を思いついた理由はありますか。
「自分的にもみんなにそうやって目標とか言うのはあんまり好きじゃないので、応援される選手を目指すっていうのを自分は掲げてやっていたので、みんなというか、自分の口からみんなに伝えるのはそういうことかなという感じで最初に言いました。(実力、結果の部分は自分の中に秘めておきたいみたいな)言う必要ないなと思いますし、結果を言うのは見ている人たちだと思うんで、自分がそれについてどうこう言っても意味がないと思うんで、自分から(結果を)言うのはあんまり好きじゃないんです」
――登場曲を今選んでくださいと言われたら、何を選びますか。
「え~、なんだろうね、もう全然これっていうのはないんですけど、自分で決めないと思います、多分。周りに聞きながら、どんな曲がいいって周りが言ってくれたやつにしようかなと今は思ってます。(その周りっていうのは誰)同期もそうですし、弟とかも誰でもいいんですけど、誰かに聞いて」
――これからオフに入りますが、何をしようと考えていますか。
「いやでも本当に1軍目指してやりたいし、選んでいただいたからには貢献したいという気持ちが強いので、ドラフトまでの期間、引退してから3日間ぐらいはだいぶ緊張もしましたけど、リラックスもできたので、ここからまたもう1回目標立てて今ある課題をしっかり潰して野球をやりたいなっていう気持ちではいます」
――ありがとうございました。
[栗村咲良]
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