(115)大学野球引退インタビュー 石原勇輝投手

2023.11.15

(この取材は10月28日に行われました)

 

石原勇輝投手(商4=広陵)

――優勝に届かなかったですが、今季を振り返っていかがでしたか。

 「今シーズンは4連覇が懸かったシーズンで、みんな緊張とか背負うものは大きかったと思います。序盤はみんな自分の野球ができたと思いますが、後半からどんどん崩れていって。自分も含めて全員悔しいっていうのは言ってたので、悔しいシーズンだったかなと思います」
 

――法大3回戦では2アウトで菅原謙伸捕手(政経4=花咲徳栄)と笑顔で話す姿がありました。

 「『大学いい思いさせてもらったのもお前のおかげだから』って言ってくれて。最後いい形で締めようっていう話をしました」
 

――今季で一番良かった登板を教えてください。

 「早稲田の試合ですかね、自分の中では。慶応はちょっと3者凡退のイニングが少なかったので。でも三振を取る部分では自分のピッチングができたかなと」


――高校ではエースではありませんでしたが、当時を振り返っていかがですか。
 
 「実力の世界なのでもちろん悔しい気持ちもあったんですけど、河野(佳選手・現広島東洋カープ)はジャパン候補のピッチャーでもあったし、実力もあって当然かなという気持ちもありました」
 

――明大に入学した経緯を教えてください。

 「高校でも人間力っていうのは大事にしてて。人間力を重んじてる大学だったのと、やっぱり六大学で野球をしたかったので。高校の監督には六大学に行きたいですって言いました。それで明大から声を掛けていただいた感じですね」

 

――明大に入学後、球速が大幅にアップしました。

「トレーニングをしっかりやったことと、ご飯だったりの体作り。栄養を取るっていうことを頑張ったら、出せる出力っていうのも大きくなって、その分やっぱ球も速くなったのかなと思います」

 

――武器である直球に磨きがかかった4年間だったと思います。

 「自分のストレートは綺麗なストレートじゃなくて。動いたりしたりするのでバッターからしたら打ちにくいのかなと思います。あと自分のピッチングフォームがちょっと人とは違っていて。タイミングが取りづらいと思うので、それがいい結果につながっているのかなと思います」

 

――中井哲之監督(広陵高)も「石原は体ができてくれば面白い」とあるメディア媒体で話されていました。

 「そんなこと言ってくれてたんですね(笑)。ここに入ってきた時は体重71キロで、今89キロあって。元々ほんとに食べるのがあまり好きじゃなくて、ウエートとかも全然できなかったんですけど、大学で活躍するためには体を大きくしないといけないと思っていたので、体ができて技術も上がったのかなと」

 

――明大での4年間を振り返っていかがですか。

 「ほんとに自分の中では成長できた4年間だったなと思っています。ピンチになっても動揺せずにしっかりと自分のピッチングができることが一番成長したかなと思います」

 

――野球以外で成長した部分は何かございますか。
 
 「自分ちょっと人見知りなところがあって、初対面の人とあまり話せなくて。最初の方は首脳陣とかそういう人たちと話す時は、ちょっと話せなかったんですけど、この4年間で報告、連絡、相談っていう部分をしっかりするようになったら、自然とそういうのも解消されていって。自分が思ってることとかを素直に伝えられるようになりました」

 

――1年次に思い描いていた姿と比べていかがですか。

 「途中までは順調に来てるかなと思っていたんですけど、3年生の初めにちょっと挫折して、今思えばここが自分の中で結構大きな分岐点だったかなと。 あそこで頑張れたから今の自分があると思います。思い描いた大学生活とはちょっと違ったんですけど、最終的にはプロ野球選手になることができて良かったかなと思います」

 

――下級生の頃はよく帽子を落としていた姿が印象的でした。

 「『頭振るな』とはずっと言われていて、言われた当初は『どうやって投げるんだ』みたいに思ってたんですけど、トレーニングセンターに行ってるんですけど、そこの人に聞いたりして、野球の知識を増やして。そしたら振らない方がメリットが多いっていうのに気付けて。それで、どうやったら振らなくなるかっていうのを模索したら、自然と落ちなくなりました」

 

――不調に陥った3年春は振り返っていかがですか。

「半分野球を諦めていましたね。ああやって村田(賢一投手・商4=春日部共栄)と蒔田(稔投手・商4=九州学院)が活躍していて悔しいというか自分は何をやっているんだっていう気持ちと、このまま2人に任せてもいいやっいう気持ちもあって。正直ちょっと腐っていた時期でした。でも同級生だったり、親だったり、中井先生だったり、もちろんここの首脳陣の方からも『野球頑張れ』と言ってもらって、それがあって今の自分があると思います。感謝しています」
 

――3年春はオープン戦では結果を残していました。

 「その年から神宮の球場が固くなったんですけど、3月の社会人対抗戦が神宮であった時に高いマウンドへの対応ができなくて。明治のグラウンドは柔らかかったのでタイミングが合って投げやすかったんですけど、神宮に行ったらそれができなくて。不安な気持ちのままリーグ戦入って、それが悪い方向に行ってしまいました」


――4年春には村田投手がエースナンバーを背負うことになりました。

 「まあ悔しい気持ちと、でもほんとに村田が良かったのであれがエースなんだなと思って。蒔田とも2人で話して『村田がエースなら、仕方ない。村田を支えられるようなピッチングしよう』っていうは話しました」
 

――4年春の優勝報告会でも「村田、蒔田に負けないように頑張ります」と話されていました。

 「本当に刺激をもらいましたね。自分の野球のモチベーションにもつながっていて、この4年間なくてはならない存在でした」

 

――4年間で一番印象に残っている試合はございますか。

 「3年春の慶應戦です。追い上げムードの中、自分が投げて打たれてしまって、その試合を落としてしまって。あの試合がなかったら今の?自分はないと思いますし、あそこでもう1回頑張ろうと思えたので、大きな分岐点というか、自分の中で大事な試合だったかなと思います」
 

――高校、大学とエースナンバーを背負うことはなかったですが、そういった状況でも頑張れた原動力を教えてください。

 「高校、大学とレベルが高い中で野球ができて、同級生、下級生、上級生のピッチャーの中にもプロに行けるレベルの人がたくさんいて。そういった中で野球ができたので、モチベーションを高く持てて、エースナンバーじゃなくても自分の役割を全うできたんだと思います」
 

――ご自身の性格で何か野球に生きている部分はございますか。

 「負けず嫌いは本当に生きたかなと思います。小さい頃は兄の背中を追いかけてきましたし、負けず嫌いというか負けたくないっていう気持ちがあったのでここまでこれたと思います」

 

――ドラフト会議にて東京ヤクルトスワローズから3位指名を受けました。
 「まさか3位で呼ばれるとは思ってなかったので。本当にびっくりしました。記者会見の時も全然実感湧かなくて、 ほんとに選ばれたんだなみたいな感じでした」
 

――ドラフト前の取材では「だんだんと、緊張している」と話されていました。

 「ドラフトまでの1週間全然寝れなくて。1人になったらドラフトのこと考えちゃうんで、夜は同級生の部屋に一緒にいたりして気持ちを紛らわせてました。でもやっぱり寝る前とかは考えてしまって、寝れない日々が続いていました。前日も全然寝れなくて、どうしたらいいか分からなくて。考えても意味ないじゃないですか。でも、考えてしまって。結局、3時ぐらいまで寝れなかったです」
 

――ドラフト当日はどのように過ごされましたか。

 「眠くても寝れなかったので、朝もパッと起きて。ご飯食べて動こうとして、でも眠くて。でも寝れなくて、気分転換に練習してという感じですね」

 

――高太一選手(大商大)が指名された瞬間は、笑顔とともに悔しそうな表情も見られました。

 「あれは悔しかったですね(笑)。うれしいっていう気持ちももちろんあるんですけど、前日とかも電話してやり取りしてたんですけど、同級生で頑張ってて、うれしいっていう気持ちと悔しいっていう気持ちがありました」

――指名会見はいかがでしたか。

 「あの時は頭が全然回ってなくて『うれしいです』しか言った記憶がないです(笑)。考えとけよとは言われていたんですけど、いざ座ったら何言ったらいいのか分かんなくなって(笑)」
 

――どなたに一番最初に連絡されましたか。

 「両親には一番初めに連絡して、その次に中井先生に掛けたんですけど、つながらなくて。お世話になった方、日頃からお世話になってる方に、徐々に電話をかけていた感じです」
 

――ご両親からはどのような言葉を掛けられましたか。
  
「家に家族みんな集まって、親戚とかもちょっといたらしくて。電話を掛けたら隣で、ばあちゃんとか泣いてくれてて、『ほんとにおめでとう』って言ってもらいました。まだスタートラインに立っただけなんですけど、幼い頃から夢であったプロ野球選手になれて、親とかからも『本当に嬉しい』って言われて、自分の中でも喜んでる姿を見ることができて良かったです」
 

――中井監督とは話をされましたか。

 「いや、後日かかってきてお話ししました。『スタートラインに立っただけだから、ここからが本当の勝負』っていうのは、言っていただいたので。これからが本当の勝負だと自分でも思っているので、気を引き締めて生活していきます」

 

――高校同級生投手で3人プロ野球選手になるというのは、非常に珍しいことだと思います。

 「河野と高とも話して、同級生でこれだけプロがいるのはほんとにうれしいし、誇りだしっていう話はして。でも本当にここからが勝負なので。3人それぞれがどれだけ野球を長くできるのかちゃんと考えないといけないなと。浮かれた気持ちは一切なくて、しっかり野球と向き合ってプロ野球生活を頑張っていこうっていう話をしました」

 

――ヤクルトのユニホームが似合っていると話題になっていました。
 
 「明治のみんなもすごい似合ってるって言ってくれてて。自分も鏡見た時に似合ってるなと思いました(笑)」
 

――大学時代は打撃も武器としていましたが、プロ野球でも打撃をしてみたい気持ちはございますか。

 「いや、したいです。バッティング練習はそこまで好きではないんですけど、打席は好きなので打ってみたいです」
 

――これからプロ野球選手としての生活が始まります。

 「スタートラインに立っただけなので。自分の目標はプロで長く生活して活躍できる投手を目指しているので、その目標を達成できるように日々の生活から気を引き締めて頑張っていこうと思います」
 

――後に4年間応援してくださったファンの方に何かあればお願いします。
 
 「4年間応援ありがとうございました。これからも神宮球場で投げる機会をいただいたので、気が向いたら応援してくれると本当にうれしいです」

 

――ありがとうございました。

 

[伊藤香奈]