
(112)大学野球引退インタビュー 斉藤勇人外野手

(この取材は10月28日に行われました)
斉藤勇人外野手(文4=常総学院)
――ラストシーズンを振り返っていかがですか。
「最後のシーズンということで、開幕戦などスタメンで使っていただいて素直にうれしかったんですけど、なかなか東大戦と早稲田戦は納得のいく結果ではなくて、そこで悔しい思いはあったんですけど、とにかくチームが勝てればいいという思いがあったので、少しでもチームに貢献できるようにと思って、声掛けとか、自分の中で何とかチームを引っ張れるようにというところでやって、それで最後法政戦はスタメンで使っていただいて、そんなに結果残したわけじゃないですけど、ちょっとでもチームに貢献できたかなと思います」
――スタメン争いが厳しかったと思います。
「外野は正直自分以外に後輩が多くて、本当にみんな頼れる後輩たちばっかりなので。自分の中では自分がレギュラーとは全く思ってないんで、ピッチャーの右左とか、そういうとことで左が来た時にたまたま自分が左予想の時にたまたま自分がスタメンとして選んでいたっていうのがあったんで。全く自分がレギュラーとは思ってないですけど、出していただいた時は自分ができる精いっぱいをと思って練習試合からやってきました」
――法大3回戦でのタイムリーは振り返っていかがですか。
「ノーアウト一、二塁から勝負強い小島(大河捕手・政経2=東海大相模)が送ってくれて、監督さんもそういうサインを出してくれたので、何とかとにかく2点、最悪でも1点取るって気持ちでいって。一度ライトの方にいい打球というか、ちょっと切れちゃったんですけど、自分の中ではいい打球で、それがファールになって『うわ、ついてないなー』って思ったんですけど、その後飛んだ場所が良くて、日頃の行いが良かったかなと思いました(笑)」
――ベンチで声を出していた印象があります。なぜそんなに声を掛けられるのですか。
「4年生だからこそそういうところでも引っ張れるかなっていうふうに思ってたのと、自分が1年生の時に春秋と全部ベンチ入りさせていただいてて、その時の試合に出てない4年生の先輩方のそういう姿を見て、とても重要な存在なんだなってその時に知ったので、そういう先輩方を見習ってというか、少しでもチームに欠かせないような存在になりたいなって思ったという感じです。そういう姿を見てチームが活気づいてるなって1年生でも感じられたので、そういうところを見てですかね」
――今季の結果は振り返っていかがですか。
「チームとしての結果は春全日本で準優勝に終わって、そこからもう目標は秋日本一になることだったので、リーグ戦4連覇を目指しましたし、それが目標だったのでチームとしては悔しい結果に終わってしまったなというのはあるんですけど、チーム上田として最後らしく終われたんじゃないかなと思ってます。個人としては、自分の結果は特に4年生になってからは全く気にしてなかったんですけど、とにかくチームの勝ちにつながればと。打てて良かったです(笑)」
――上田希由翔主将(国際4=愛産大三河)はどんな主将ですか。
「最初は希由翔自身もそうだったと思うんですけど、キャプテンとして不安に思ってたこともあると思うんですけど、副キャプテンの堀内(祐我内野手・文4=愛工大名電)、菅原(謙伸捕手・政経4=花咲徳栄)、村田(賢一投手・商4=春日部共栄)、学生コーチの熱田(泰祐・営4=明大中野八王子)に加えて自分ら4年が、希由翔がどう思ってるか分からないですけど支えて。最後はもうキャプテンとして誰よりも頼れる存在だったし常にチームのこと考えてたので、とても良いチームだなって感じられたし、それはほぼ希由翔のおかげだなって思います」
――この4年生の代はどんなキャラクターですか。
「悪く言うと群れちゃうんですけど、よく言ったら全員が同じ方向見てるというか。特に最後のシーズンはちょっと野球継続組と就活組で毎年少し意識の差があってチームとして一つになり切れないのがあると思うんですけど、そこは希由翔がいろいろ頑張ってくれて。最後チームの全員が同じ方向向いてたなって思います」
――大学での4年間を振り返っていかがですか。
「苦しいことの方が圧倒的に多かったんですけど、ずっと小さい頃から目標にしてた明治大学の野球部で4年間やり切れたっていうふうに後悔は全くない状態なので、苦しいことの方が多かったですけど成長させてもらった4年間だったですし、本当に幸せだったなと思います」
――後悔がないと言い切れるのはなぜでしょうか。
「優勝したかったっていう気持ちはあるんですけど、個人としても最後ああやって少し試合に出させていただいたり、神宮でプレーする時には自分の中でできることはやったっていう気持ちで神宮に立って、ちょっと結果が出たので、そこはもう後悔はないです」
――長かったと感じますか。短かったと感じますか。
「短かったですね。1年生の時にベンチ入りさせてもらってその後2年3年はベンチ入りできなくて、2年生の時はフレッシュでキャプテンをやらせてもらってって感じなんですけど、なんで短かったんだろう……。野球のことが頭から離れてなかったんで、短く感じたのかもしれないです」
――影響を受けた先輩や指導者はどなたですか。
「それこそ1年生の時に4年生の姿を見たっていうのは、同じ高校の先輩でもある清水風馬さん(令3商卒)の姿。あとは一つ上の先輩だったら山田陸人さん(令5法卒・現ENEOS)。陸人さんとは半年間一緒に同部屋で過ごさせてもらって、その時に陸人さんの野球に対する向き合い方とかそういうのを見てたので、苦しい時期にも頑張れたのかなって思いますねその方々には特に。みんな感謝してるんですけど、特に感謝してます」
――常総学院高出身の後輩へ伝えたいことはありますか。
「和田さん(慎吾さん・令2商卒)であったり風馬さんであったり、2個上の陶山さん(勇軌選手・令4商卒・現日本製鉄鹿島)だったり、みなさん副キャプテンとかベストナインや首位打者取って、すごい常総学院の先輩方が結果残してるなって思ったんですけど、自分はその方々に比べたら全く、常総学院の斉藤として明治にいい結果をもたらせなかったので、常総学院出身の選手は活躍するんだぞっていう明治の後輩たちにはそれをファンの方や明治の首脳陣の方に常総が活躍するっていうのを見せてほしいなって思います」
――これからの目標をお聞かせください。
「社会人で野球ができる環境があるのは当たり前のことではないですし、そういう環境を与えてもらったからにはいろんな方々に感謝しなきゃなって思いますし、頑張りたいなって思ってます」
――ありがとうございました。
[西田舞衣子]
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