
(109)大学野球引退インタビュー 石田朗投手兼マネジャー

(この取材は10月29日に行われました)
石田朗投手兼マネジャー(政経4=明治)
――この4年間を振り返っていかがですか。
「元々付属から入ったので、入った時の周りのレベルの衝撃じゃないですけど、それはすごく大きくて、特にピッチャーやってたので村田(賢一投手・商4=春日部共栄)だったり、石原(勇輝投手・商4=広陵)だったり蒔田(稔投手・商4=九州学院)だったり、そのレベルの中でやっていけるかなという不安が最初はやっぱり大きくて。とんでもないレベルの差があったので、それを埋めるためにどうしようかなって、もがいてきた4年間だったなって思いますし、そこのレベルが縮まったかというと、そうだとは思わないんですけど、でも自分なりにそのレベルの差を見せつけられたからこそ、取り組み方も変わりましたし、ちょっとでも差を縮めようと思ってやってきて良かったなって思う4年間だったかなと思います」
――マネジャーと選手を兼任されているからこそ心がけていたことはございますか。
「自分の中では両方の面で言い訳しないというか、マネージャーやってるときに選手だからできないとか、選手やってるときにマネージャーだからできないっていうのは自分の中ですごく嫌で、それはしないようにというのは心がけてる部分としてはあって、やっぱりそれをしてしまうと、周りのマネージャーだけやってるマネージャーにも失礼ですし、選手だけやってる選手にも失礼なので、そこはそれを言い訳にしないように、自分が今どの立場であるのかっていうのは考えた上で、そのやるべきことに集中しようっていうのは思ったりしてました」
――付属校から野球部に入らない選択をされる方もいる中で、野球部に入ろうと思った理由はございますか。
「元々そんな強くないチームなので、自分自身がプロ野球選手になれないっていうのは、野球をやっているうちに何となくわかるといえば分かるといえば分かるんですけど、なんで自分がプロ野球選手になれないのか、それをこの肌で感じたことないっていう言い方が合ってるか分からないんですけど、プロになれる選手となれない自分の差って何だろうとか、甲子園で活躍してる人たちと自分の違いは何だろうみたいな。それを探したいというか、体感してみたくて。自分自身すごく野球が好きだったのもありますし、野球を高校までやってみて、でも追いつかない壁があって、そういう環境で自分がどこまでできるかも挑戦してみたかったですし、もしそれがかなわなかったとしても、その差は何なのかっていうのは、肌で感じてみないとわからないことなのかなと思っていたので、そういう思いですかね」
――ご自身の中では、チームの中での自分の役割をどう捉えていましたか。
「自分でも正直結構曖昧な立ち位置だなってすごく思ってたので、何を求められてるのかっていうのは模索しながらだったんですけど、自分が勝手に大事にしてたのは、潤滑油になることというか、チーム内でなるべく摩擦をなくすじゃないですけど、選手もやって、マネージャーもやってという立場ってやっぱり特殊なので、なるべくそこの間の摩擦だったり、指導者の方と選手だったり、マネージャーだったりの間のコミュニケーションを滞りなく行うとか、あとはマネージャーの間でのコミュニケーションにおいても、ピッチャーの間でのコミュニケーションでも、潤滑油的な役割を果たせたらいいなっていうふうには思ってました」
――マネジャーを兼任される決断をしたときの気持ちを教えてください。
「最初驚いたんですよ。2個上の方に、選手兼マネージャーという形でやってた方はいたんですけど、どちらかというとマネージャーメインみたいな感じで、選手兼マネージャーの正確な形というのが見えない中で、戸惑いもありましたし、そもそも、選手兼マネージャーで打診されると思ってなかったので、驚きはありました。(どなたから)最初は投手コーチから話があって、その後に正式には監督の方から打診があってそこで正式に受けたみたいな感じで。選手一本でやりたい気持ちはもちろんありましたし、理想だなって、自分の中ではやっぱり4年生になる以前は思ってました。選手としてリーグ戦出てバリバリ活躍するっていうのが目標でもちろん入っているので、元々はそう思っていたんですけど、4年生になる段階では、同期すごいメンバーが集まってるので、戦力としてチームの力になるのは難しいなというのは思ってた部分で、何かしら他の役割で自分がチームに貢献しないと、チームにいる意味ないなと思ってたので、何かをやることに対しては前向きだったんですけど、それがマネージャーなんだなっていう、そこの驚きがあったという感じですね。だから葛藤は、意外と多分、みんなが思ってるほど悩んでないんだろうなと、周りの反応を見たら思いますね」
――選手と両立をされる上で一番大変だったことは何ですか。
「やっぱり時間ですかね。両立っていう意味では時間だと思います。午前中練習して、午後マネージャーやってみたいなことが多かったんですけど、マネージャーの仕事は突発的に何かをやらなきゃいけないこともありますし、大きな行事というかイベントがあればそれをやらなきゃいけないので、その中で選手としての練習量を確保するのが難しいけど、やらなきゃいけないし、やりたいし、というのが難しさだったかなと思います。就活やったりしているとなおさら大変でした」
――4年間で一番思い出に残っている試合はどの試合ですか。
「1個はやっぱり自分が投げた試合はすごく印象的です。春の立教の2回戦は。あんな大観衆の中投げたことなかったんで、でもマウンド上がった時意外と冷静だったんで、割と周りを見る余裕があって、もちろん緊張はしてたんですけど、ベンチから仲間が出している声とか、あとスタンドから出している声とかが自分の中では、すごいなというのは率直に思った試合だったので、そういう意味ではすごい印象に残っています。マネージャーをやっている中だったら、この秋の慶應の3戦はすごい印象に残っているというか、悔しかったので印象に残っていますね。スコア書いてるだけなので、別に自分がどうこうできたのかって言ったらそうでもないんですけど、やっぱり悔しかったので」
――法大3回戦でもブルペンにはいらっしゃいました。正直、出たかったですか。
「出たかったはもちろん出たかったです(笑)。でも最後いい試合したので、そういう意味では出なかったですけど、いい試合に入れていただいたなっていう思いはあります。あと周りが出したかったみたいに言ってくれたのもうれしかったですし。(石原投手に謝られていましたよね)あ~はい、そうですね勇輝に謝られましたね(笑)あれは勇輝は2アウトランナーなしだったら監督が変えてくれるかもって思ってくれてて、それでつなぎたいみたいなこと言ってくれてたんですね。それで、1アウトからレフト前にヒットを打たれたんですけど、宗山(塁内野手・商3=広陵)が取れなかったので、宗山は勇輝に謝ってて、勇輝は自分に謝ってるっていう(笑)。そんな感じでしたね」
――4年間でやめたい、つらいと思ったことはございましたか。
「ありましたよ。野球自体はないですけど、そもそも入るときにやっていけるのかっていう不安はありました。それが一つと、あとはマネージャーやってから、正直野球部をとか、選手をというよりは、マネージャーを辞めたいなって正直思ったことは何回もあります。こんな言い方悪いですけど、マネージャーやってなかったらなって思う瞬間って、やってなかったら練習もっとできたなとか、っていうのは思っちゃうときはあるので。それは思いましたね」
――その中で最終的に兼任という道を選んでよかったと思いますか。
「そうですね。もちろんです。やっぱり普通の人が経験できないようなことをやらせていただいたっていうのは、大きいなとは思ってますね。やっぱり選手だけやってたら、関わることのなかった方と関わって、できなかった経験をできたので、自分自身そういう意味で成長できたなっていうのはすごく思います。あとこれはつながっているのか全くわからないんですけど、マネージャーやるようになってからというのか、4年生になってからの方が、投げる方の調子がいいっていう。自分の中で時間が限られているのでやらなきゃいけないことを絞ってやらなきゃいけないというか、それがピッチングにもいい方向に出たのかなって思っていて、そうだとしたら、良かったのかなと思ってます」
――選手としてベンチ入りする時とマネジャーとしてベンチ入りする時の気持ちは全く違いますか。
「気持ちは違いますし、違うようにしようって心がけてた部分はあったかなという感じですかね。マネージャーで入るときは選手と同じ気持ちでいると熱くなりすぎちゃうので、なるべく広く見てというか、ベンチの中の様子だったりを見て、判断したい、振る舞いたいというのがありました。選手として入るときは正直投げることだけに集中してるんですけど、マネージャーで入るときは、なるべく広く冷静にっていうのは意識しますね」
――同期のマネジャー2人はどんな存在でしたか。
「2人ともやっぱりチームに対する思いというか、自分たちがチームに貢献したいっていう思いはすごく強いなっていうのは、一緒にやってる中で感じる部分ではありました。選手だけでやっているときはそこまで密に関わる機会はなかったので、そこまでの熱意を持ってやっていたんだなっていう、それを強く感じた1年間だったかなと思います。自分が後から入った身なので、それにもかかわらず自分の意見を尊重してくれたりというのがあったので、そういう面ですごく感謝しています」
――後輩たちにメッセージを
「大変なことはあると思いますけど、見てくれている人は見てくれているというのを思った4年間というか、特に最後の1年間はそうだったので、努力がそのまま報われるとは思っていないんですけど、努力する姿勢を見てくれている人は見てくれていると思いますし、諦めず努力していたら、結果として自分の実力がちょっとでも上がるっていうことを感じたので、諦めずに頑張るって簡単なようで難しいけど、地道に積み重ねてほしいなって。ここにいる選手は自分なんかより全然才能ある選手が多いので、その伸びる幅も大きくなると思うので。自分の才能に自信を持って、努力を積み重ねてもらいたいって思います。偉そうに言ってますけど(笑)。マネージャーもそうだと思います。一つ一つ仕事を丁寧にやるっていう、簡単なようで難しいことを毎日積み重ねるっていうのが大事なのかなって思います」
――ありがとうございました。
[栗村咲良]
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