(108)大学野球引退インタビュー 森裕規主務

2023.11.13

(この取材は10月29日、電話にて行われました)

 

森裕規主務(法4=滝川)

――主務としての1年間を振り返っていかがですか。

 「最初主務になった時のイメージと比べたら、最後そのイメージで終われなかった実感で。正直この1年間めっちゃしんどくて、うまくいかなかったことの方が多いです」

 

――主務になった時はご自身でどのようなイメージをしていましたか。

 「いいマネジャーがいる代はチームも強いって言われるので、それを目指して、いろんなことにチャレンジしながら指導者と選手をつなぐみたいな。けど(この1年間は)選手とのつなぎ役になれなかったというのがあります」

 

――この1年間で最も記憶に残ったできごとはなんですか。

 「春の慶應の4回戦です。ベンチに入ってたんですけど、チームが一つになった瞬間を感じたんで。スタンドもめっちゃ気持ちが伝わってきて、ベンチのみんなも本当に勝ちにこだわって。当たり前なんですけど、勝ちにこだわる執念とか気持ちが前に出てて、今年一番熱くなった試合です」

 

――秋季リーグ最終戦、どのような心境でベンチに入っていましたか。

 「朝参拝をするんですけど。(島岡吉郎元監督の)銅像のところで校歌歌って出発するんですけど、もうその瞬間からずっと『もう最後か』みたいに思って1年がよみがえってというか、今まで苦しいこともあったなって泣きそうになって。神宮行ってからも、ずっと苦しい時のことが思い出されて試合に入るまでは寂しいなって思ってました。試合中は明治の流れだったのでベンチも雰囲気が良くて、俺らの集大成みたいなのを出したから良かったなって思ってます」

 

――試合前からこみ上げて。

 「これも最終戦だけじゃなくて、最終戦の前に優勝がなくなって。自分は秋一度もベンチに入ってなくて、最後入らず負けて優勝なくなって、すごい悔しかったんですけど『もういいや』っていう自分もいて。けどキャプテン(上田希由翔主将・国際4=愛産大三河)と学生コーチ(熱田泰祐・営4=明大中野八王子)が『一緒に頑張ろう』みたいに声掛けてくれて。それで『ああ優勝したかったな』って。悔いは本当にないんです、でも最後優勝できなかったっていう悔しさで前の日はめちゃくちゃ泣きました。それで最後は自分たちの代の集大成を出そうって切り替えて最終戦に臨めたかなと思います」

 

――この4年生はどんなキャラクターの方が多いですか。

 「個性豊かです(笑)。30人全員色が違って、それが良かったなって。何事もこうやろうってなったことに対して必ずいろんな意見があることが良かったなって思います。(まとめるのは)大変だったと思います。キャプテン上田と副キャプテン3人、学生コーチの熱田が中心になってチームをつくってくれて、いろんなことを試行錯誤しながらやってくれて、あいつらはチームのことを思ってやってくれてたなって思います。あと、最後は同期に対する思いが強い代だなと思いました。試合に同期が出ればめっちゃ応援するし、掛け声とかもスタンドが大声で叫んだりとか、そういうのが良い代でした」

 

――上田主将はどんな主将でしたか。

 「希由翔は最初キャプテンっていうキャラじゃなかったんです、黙々とやるし、あまりしゃべらないので。けどキャプテンになってから自分のことじゃなくてチームのことを優先に考えるようになって。春は本当に、チームのためにチームのために。自分の実力とかじゃなくて、どうやったらチームを活気づけられるかみたいな。それがうまくいって春はチームの成績も自分の成績も良かったんですけど、秋のリーグ戦に入る前になかなかチームが思うようにいかなくて、どうにかしたいってなってすごい話すようになりました。4年生一人一人と話すようになって、その分厳しく接するようにもなったというか。今までは、言うと反感買うからなかなか言えてなかったんですけど、そこをチームのために厳しく言うっていう姿も見えたし、最後は本当に希由翔がキャプテンで良かったなってすごく思いました」

 

――ドラフトは見ていていかがでしたか。

 「これは4人とも選ばれてほしかったんですけど、3人だけでも選ばれて、もう希由翔が選ばれた時は自分のことのようにうれしくて。やっぱりマネジャーって、チームが勝った時とか選手が活躍してくれた時とかプロに指名された時にしかうれしさ味わえないから。この3人選ばれて本当に良かったなって、今まで支えてきて良かったと思いました」

 

――改めて4年間を振り返っていかがですか。

 「苦しかったことの方が多かったなって自分の中では思ってます。1、2年生の時はコロナで夜通し対応みたいな時もあって、もう大変だったなって。その時期って優勝もできなくて『何のためにやってるんだろう』みたいに思った時もあったんですけど、野球部に入る時日本一になりたいっていう思いがあったから、それがモチベーションで4年間続けられたなって。本当にこの4年間日本一だけを追い続けてきたから、そのためなら苦しいことも乗り越えられました。あとはこの野球部に入って人としてのマナーというか常識を学ばせてもらって。明治って本当にあまり野球の指導はされないんですけど常勝軍団じゃないですか。私生活の面を結構言われて、スリッパ一つにしても並べたり、ごみの分別一つにしても徹底したり。そういったところで120人一緒に暮らしてるからチームの輪ができて強いのかなって感じました」

 

――マネジャーとして心掛けていたことや欠かさず続けていたことはありますか。

 「下級生の時は毎日、誰よりも早く起きて事務室で作業始めるっていうのをずっと意識してて。6時半に全員体操する時は6時に起きてきて仕事してっていうのを欠かさずやってました。続けてきたことは、チームを勝たせるためにやってたっていうのはあって、その環境を整えること。マシーンが壊れてたらすぐに直したり、常に選手が野球をやりやすい環境だったり、野球をやりにくいと思うことが少ないように努力してました」

 

――4年間で一番印象的だったことは何ですか。

 「3年の時に日本一になれたことです。あの時は本当にマネジャーやってて良かったなって思えました。あの瞬間は泣きそうでした」

 

――萬谷天音マネジャー(総合4=広島なぎさ)、石田朗投手兼マネジャー(政経4=明治)はどのような存在でしたか。

 「朗は選手の意見をすごい聞いてくれます。自分はマネジャーで4年間やってきて分からない部分もあって、そこで選手としてやってきた朗がいてくれたから、選手ってこういうこと考えてるんだなとか、何気ない連絡とかでも選手ってこうやって捉えてるんだみたいなことも知れたし、そこに気配りがすごくできてたから、同期だけど勉強になる部分も多かったし、すごく尊敬できる存在だったなって思います。天音はずっと2人で4年間一緒にやってきたから、3年の時とか次のチームについて毎日話してました。自分は窓口になるだけで、事務作業とかはずっと天音にお願いしてて、お願いしたことは何も文句言わずやってくれるんで、マネジャーは自分だけだったら成り立ってなかったなって。自分はもうただ単に窓口になるだけで、中身開けたらちゃんとしたマネジャー2人がいたから1年間成り立ったなって思うんで、本当に2人には感謝しかないです」

 

――下級生の頃の自分にアドバイスするとしたら何を言いますか。

 「もっと選手と距離を詰められたら良かったなって思います。下級生の時って仕事もたくさんあって、あんまり選手と対応できなかった時もあって、それをもっとオフの時間とかも選手と一緒にリフレッシュできたら良かったなと思います。これは唯一悔いが残ってるといえば残ってますね」

 

――後輩にメッセージはありますか。

 「マネジャーの子たちにはこの1年間嫌なこともお願いしてきたし、不満もあったと思うんですけど、1年間一緒に仕事してくれてありがとうって言いたいです。来年は下の子たちが中心になっていくので、日本一になるチームを支えてほしいなって伝えたいです」

 

――ありがとうございました。

 

[西田舞衣子]