
(97)ドラフト指名特別企画 春日部共栄高・佐藤元コーチインタビュー

(この取材は10月30日に行われました)
佐藤充彦 現作新学大監督
――高校時代の村田賢一投手(商4=春日部共栄)の印象を教えてください。
「野球に対しても勉強に対しても愚直で真っ直ぐに向き合って文武両道を実践してくれた素晴らしい卒業生です。でも下級生の時にはちょっと抜けたところがあって体を痛めたりすることもあったので、ピッチングコーチの私としてはずっと見守ってチェックをしておかないとケガをしてしまったり、良くない方向に進んでしまったりするんじゃないかという心配がある選手ではありました」
――入学当初に初めて村田投手を見た時の感想を教えてください。
「高校1年生にしては力強い球を投げるとは思ったんですけど、まだまだ体も細いですし、上半身の力でボールを投げるフォームのことが多かったので、投球動作はすごく細かく伝えながらよく一緒にキャッチボールしました」
――高校での成長過程を見てきて、一番成長させた要因は何でしょうか。
「本人覚えているかどうかわからないですけど、県大会の時に実は勝った試合なんですけど、味方のエラーであったり、ミスが目立った試合がありました。村田が珍しく高校帰ってきても勝ったのにも関わらず、すごく怒りを我慢できない。行動、表情、言葉遣いにすごく出した1試合があって、ものすごく叱りました。(どのようなことを伝えましたか)『ピッチャーが味方のミスなどで態度に出す。言葉に出す。それはエースじゃない。そんな時だからこそ三振を取るでも、次を抑えるでもしてチームをとにかく勝ちに導かせる、チームを引っ張るのがエースだ』と。そのエースという部分。ずっとそのことは1年間言い続けました。少しずつ春日部共栄の1番を着ける自覚というのが伝わってきました」
――村田投手の原点であるコントロールを佐藤さんから教わったと話していました。頻繁にしていた練習を教えてください。
「たくさんありすぎるんですけど、ボールの回転のこととか、リリースのこととか体の使い方でよくキャッチボールしました。コントロールという部分で、彼は140キロ後半は高校から投げられたんですけど、初速が140キロ後半でも終速が圧倒的に落ちるんですね。多いと15、6キロ落ちるんですけど、140キロを少し切ったくらいだと終速は1、2キロしか変わらないんですね。それだったので彼がずっと投げて4番も打っていたので体力面とか試合数も多いですし、埼玉を全部勝ち抜くためにはコントロール、少ない球数でいかに自分の体力を削られないで甲子園に導けるか。そのためには無駄な球を減らす。球速ではなく球威という部分。球のキレであったり、目に見えない部分も含めて細かい部分を詰めていく必要があったので、ブルペンでも試合でもよく声を掛けていました」
――最終学年ではエースで4番。やはりチームの中心でしたか。
「やっぱり村田というのがあったと思うんですけど、すごいいいチームだったので『村田だけに頼るなよ』という同級生の会話が良くありました」
――村田投手の一番の武器を教えてください。
「何事にもしっかり向き合える。そこが素晴らしいと思います。すごく大ざっぱな話ですけど、野球に対しても勉強に対しても愚直に毎日夜に勉強できる。もちろん人との付き合い方、人の話を聞くという姿勢、そういったこともそうですし、成功に対しても失敗に対しても同じトーンで向き合えるそんな人間だと思います」
――大学入学後にプレーを見る場面はありましたか。
「日体大戦の時に見に行きました春。(感想はどうでしたか)やっぱり立派ですよね。明治のユニフォームがかっこよく見えました(変わっていないところ)マウンドで三振を取った時の表情ですね。あのマウンドさばきはどうだーっていうようなすごい表情をしていて、そこは変わらないなと思います」
――今後プロの世界で活躍していく。どんな選手になってほしいですか。
「自分の夢であるフェーズに行くので、成果結果は自分の追い求めたところにいってほしいんですけど、やっぱり夢を与える仕事でもあるので次の世代の小さい子たちの目標になってほしいと思います」
「実はセンバツに行く時に春日部共栄の試みとして明治大学の応援部の方に学校にきていただいて、応援の指導をしていただいたんです。センバツ前に来てもらってうちの応援団に手ぶりや気持ちの入れ方などを指導してもらって、その中で村田はセンバツで戦ったので、その時から明治大学と村田は縁があったのかもしれないなって今は思っているんですよね」
――ありがとうございました。
[中村謙吾]
※写真はご本人提供
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