(96)ドラフト指名特別企画 愛産大三河高・櫻井春生監督インタビュー

2023.11.08

(この取材は11月1日、電話で行われました)

 

櫻井春生監督

――入部当初は投手だったとお伺いしました。上田希由翔主将(国際4=愛産大三河)が入部されたのはどのような経緯でしたか。

 「『幸田ボーイズ』という中学生の硬式クラブチームの監督さんから紹介があり、プレーを拝見したのが始まりでした。幸田ボーイズの監督さんとは初対面だったのですが、「本人が、愛産大三河を希望しているので…」ということでした。投手として十分期待できるスピードと器用さも持っていました」
 

――入部してきたときの印象は覚えていらっしゃいますか。

 「中学生の頃、初めてプレーを見た時に、体も大きくて、冷やかしかなと(笑)。他にどこか(学校が)決まっているのに、いろんなところに顔を出して『俺、すごいだろう』って見せて、実は他に行くみたいなね(笑)そんな冷やかしのかなと思ったぐらい、中学校3年生にしてはボールも速いし、体もあるしバットも振れるし、今までうちに来たことのないような選手が本当に来てくれるのかなっていう感じでしたね。そして、本当に入学してくれた。(驚)」
 

――実際に入部されて、どんな部員でしたか。

 「最初はもう全然目立たなくて。体は大きいけどあまり目立たなかったんですね。春の愛知県大会があって、彼の同級生で2人目立っていたので、その子たちをベンチ入りさせて試合にも出したんです。その頃はその2人が目立っていて、上田はなんて言うのかな、まだ様子をうかがうというか、そんな感じだったんです」
 

――練習はかなりされていましたか。

 「そうですね。県大会が4月に終わって、5月に1学期の中間試験があるのですが、それが終わったら、新入生も朝練習に来たい者は来ていいよというふうに毎年やっているんです。それを解禁してから、上田は毎朝来てずっとバットを振っているし、僕も多少誇張しているかもしれないけど(笑)、卒業式の日以外は、彼、学校に登校する日は必ず朝練習に来ていたと思います。引退してからも。下級生捕まえちゃ投げてもらって、打っていたので。そのぐらいやっぱり練習は熱心でしたね」
 

――高校3年次は主将を務められていましたが、監督の指名や推薦もあったのでしょうか。

 「いや、もうやっぱり周りからの信頼もあったし、上田じゃないのっていう。そういう感じですね。ちょうど僕の息子もいたんですけど、選手間の感じではやっぱり上田っていう感じだったんで、そのまますんなりという感じでしたね」

 

――上田主将ご本人が櫻井監督に対して「自分を正しい道に導いてくれた」とおっしゃっていました。具体的にどのような指導をされたか覚えていらっしゃいますか。
 「え~そうですか。いやー、どうかな、いつも同じようなことばっかり言ってるのでね(笑)でも世の中には天狗というか、そういうのはいっぱいいるので『やれる気になったとこから人間落ちてくからな』みたいなことはいつも言いますね」
 

――上田選手は大学に入ってからも帽子の裏に、櫻井監督からの言葉だという『恐れず驕らず侮らず』という言葉を書かれていました。どんなお気持ちで伝えたのでしょうか。

 「おぉ! そうですか。まぁうれしい(笑)僕はこの立場になってからそればっかり言っているんですけど、結局いらんことを考えると、思い切って出し切れないというかね。そういうところがあるので。だから『恐れず』は相手を勝手に上に見ない、『相手が強いからもう駄目だ』なんてね。『驕らず』は、自分らはやれるんだって思い込んでいると、蓋開けてみたら『あれ、こんなはずじゃなかった』と。そして『侮る』は、相手を下に見ない、『この相手だったら何とかなるだろう』と。どれもそんな考えを思っとると結局また『あれ、こんなはずじゃ』で力を出し切れなくなるし、そうならないような戒めみたいな感じで、ずっと言っているんです」
 

――高卒でプロへという道は、監督が止められたりされたのでしょうか。

 「何かそういう形でよく言われるんだけど、止めた気はなくて。あ、でも止めたと言えば止めたのかな(笑)。プロの世界は厳しいじゃないですか。今回ドラフトと同時に各球団10人以上の人間が切られているわけで…。だからもしも、高卒で入団して頑張っても、どこかで切られたときに、結局、高卒じゃないですか。でも彼はね、それだともったいない気がしたんです。本当に野球しか道がなくて、勉強もやらずに野球をやってきたような子も中にはいるけれど、彼はきちんと両立していたんです。先々のことを考えると、大学でお世話になって、希望通りもう一回ドラフトにかかるチャンスがあって、プロに行けたんだったら、それが最高かなと。その先、精一杯やって、もし駄目になったときも道があるかなと思って、そっちがいいんじゃないのっていう感じで話はしましたね」

 

――高校時代、上田主将は勉強もできたりされたのですか。

 「そうですね。勉強は本当に地頭がいい子なので、校外模試なんかをやると彼は成績がいいんですよね。定期試験はほどほどだけど、校外模試の方が成績がいいみたいな。やっぱり基本的に賢いんだと思います(直接授業で教えたりもされていたのですか)残念ながらないんです。僕は商業で、彼は普通科なので。(ちなみに何を教えていらっしゃるのですか)僕は商業、簿記が中心です。金勘定なら任せといてください。(笑)だから計算高く、考えていたかもしれないですね。(笑)」

 

――チームはガッツポーズなどが禁止だったとお伺いしました。

 「あはは(笑)いや、禁止なんて言ってないですよ(笑)。喜ぶなら喜んでもらえばいいんですけど、僕が嫌いなのは、喜んで弾けすぎて、次に試合途中で苦しくなったとき、立ち直れなくなるんですよね。一気に沈むみたいな。そういうのが嫌いで、弾けてしまうような喜び方はよく怒っていましたね。(それはリスペクトという部分も)全然ないです(笑)。そんなかっこいいもんじゃないですよ。自分たちから崩れてくことにつながる気がして。喜びすぎることで、逆に崩れていくのが嫌だから、みたいな感じですね(緩みというか)そうですね。そっちにつながらんように。だからホームラン打っても本当にうちはシーンとしているんです。ちょっと喜んではいるんだけど、打った本人がベンチに来る頃には、もうシーンとしているみたいな。いつまでもそれを引きずるというか、ワイワイなっていることはないですね。だから禁止している訳じゃないんです。喜びすぎるなと言っているだけで」
 

――甲子園出場が決まった時もそうだったとお伺いしました。

 「マウンド上に集まって…みたいなのはなかったですね。それも僕は何も言ってないんですけど、最後三振取って、上田も喜んでホームベースの方向に走ってきたのかな。走ってきたけど、そのまま整列したみたいな。秋にウチが愛知県で準優勝して、東海大会に出て、センバツへ行こうと思ってやっていたんですけど、その東海大会は初戦で負けてしまい、それから(やる気が出ず)どうしようかなと思って。その負けた晩に思い至ったのが、国体でした。甲子園でベスト8に入れば、ほぼ出られるんですけど、国体を目標にしたら、夏の甲子園は通過点になるから、選手にもそう言ってみようかなと思って、次の日にはもう最終目標はこれだと言って自分もまたやる気になったみたいな。多分、彼らは夏勝ったときも、結構本気で国体まで行くんだって思ってくれていたと思いますよ。だから甲子園決まった時も、本当にこれであと二つか三つや、って、通過点ぐらいに思っていたと思います」
 

――大学を選ぶときにも助言はされましたか。

 「いや、僕は彼が1年の秋に『将来的にはどうするんだ』というのを聞いた覚えがあるんですけど、そこから1年経って2年の秋に『本当にどうする』という風に聞いたときに、彼が明治さんの名前をポンと出したんです。明治さんのことしか言わなかったですね彼は。僕も今までに(明大で)お世話になった選手がいるわけでもないので、知り合いをたどって、明治さんに行きつき、練習に参加させてもらって、見てもらったって感じですね」

 

――指導をされていた中で、上田主将が特に優れていたポイントはございますか。

 「やっぱり練習もよくやるんだけど『練習やらな』って自分で考えを持っていけるところはすごいですよね。普通の子だったら、例えばあいつ遊んでるから俺もいいだろうとか、やっぱり人間なので怠ける方に行くと思うんですけど、彼は逆でしたね。オフにウチへ顔出して練習していて、ある時同学年の子が『今日こんな練習やりました』って何かに出しとったらしいんですよ。それ見て『多分1週間のうちにたまたま1日練習したのを載せとるんだろうな。だけどそれ見るとやっぱり、あいつもやっとるからやらなって思うんです』って言っていました。誰かがたまたまちょっとやったよっていうのを載せただけで、いかんいかん、自分は1週間の内5日は練習しているけど、やらなって思うって言っていました。そのぐらい自分が頑張らな、という方向に考え方を持っていくのがすごいですよね。(自律心というか)はい。それも強いと思うし、やっぱりね、目的とか目標とかを常にちゃんと持っていると思います」
 

――上田主将は櫻井監督から見てどんな性格でしたか。

 「性格かぁ。結構見せないところもあると思うんですけどね。でも律儀ですよ。ちゃんと『今からオランダ行きます』とか『帰ってきました』とか『明日からリーグ戦が始まりますのでまた頑張ります』とか、折々にちゃんと連絡をくれたりだとか、そういうところがあるので、なんて言えばいいんだろう、真面目というか、やっぱり律儀なんじゃないですかね」
 

――法大との最終戦も神宮球場に応援に来られていたというお話をお聞きしました。

 「最終戦になってくれと思って行ったんですけど、逆転負けを食らって、月曜日まで伸びましたね。第2戦に行っていました。去年の明治神宮大会の初戦と、その2回だけは行きました。(直接お話はされましたか)いえ、そのときはもう両方ともやめておきました。去年はやっぱりまだ次の試合もあったし、今回は同じように、その日負けたため次の日も試合になっちゃったんで、邪魔にならんようにと思って帰ってきました」
 

――今でも長期オフがあると高校にも帰られているというお話をよくお伺いします。

 「必ず来ますね。必ず来て、またそこでも練習して、後輩にもちょっとアドバイスをくれたりして。いつもそんな感じです」
 

――指名が決まった後のやり取りは覚えていらっしゃいますか。

 「よかったなっていうのと、こっちもほっとしたって言っておきました。やっぱりね『大学の方がいいんじゃないの』みたいなことを言った手前、もし大学4年間でドラフトにかからんと、勧めた手前ちょっとつらいなというのはこの4年間ずっと思っていたので、だからそういった点ではやっぱりほっとしましたよね」

 

――最後にプロ入りにあたって、上田主将にメッセージをお願いします。

 「僕自身はそんな立派な選手でもなかったので、プロの世界なんて全然わからんのです。だから立派なアドバイスとかはできないんですけど。そうだなあ、今までとプロは全く違う世界かもしれないけれど、また同じように人間がやることなので。今の三つの言葉(『恐れず、驕らず、侮らず』)になりますかね。それを忘れんと、頑張って欲しいなって思っています」

 

――ありがとうございました。

 

[栗村咲良]

※写真はご本人提供