(95)ドラフト指名特別企画 上田希由翔主将ご両親インタビュー

2023.11.08

 10月26日、ドラフト会議にて千葉ロッテマリーンズから1位指名を受けた上田希由翔主将(国際4=愛産大三河)。その成長をいつも見守っていたご両親にお話を伺った。

(写真はすべてご両親提供)

 

――指名はどんな状況でご覧になっていましたか。

 

父・節二さん(以下、父) 「2人で家で見ていたよ。完全に気を抜いていたね。最初は、本当の1巡目にはある程度期待して、テレビを2人で見てたけど、競合で最後ロッテが残った時はちょっと気を抜いてたね」

 

母・恭代さん(以下、母) 「そこはないだろうなみたいなね。見てたよ、見てたんだけど、一番最後だったもんね。いろいろ迷って、府中に行こうかなとも思ったけど、そんな余裕もなくて。結局もう家で2人で、朝から希由翔の好きなカレーを作り(笑)、それを2人でお昼に食べて。希由翔がどんな感じで待ってるんだろうって気になりながら、呼ばれたときはもう本当にびっくりしたのもあるし、2人で号泣だったね。そこからいろいろ電話とかお祝いがたくさんきて。希由翔の高校関連の先生に連絡したりとか、中学校から電話がきたりとか。会社の人もワインとか夜に持ってきてくれたりとか、花束持ってきてくれたりとか、そんな感じで1日が過ぎましたね」

 

――指名された後、ご両親に一番最初に報告したとおっしゃっていました。どんな言葉でしたか。

 

 「8時半ぐらいかな。9時前ぐらいに電話があって、俺が出て、おめでとうって話して。本人はホッとしたって感じだったね。今やっと終わった~って感じで、おめでとう、ありがとうって本当にそんなたわいもない感じで。かしこまったそういうのでもなかったね。今終わったーほっとしたって感じで」

 

 「改めてありがとうございました!みたいな、そんなのじゃない(笑)そういうのは改めてあるのかもしれんけど(笑)」

 

父 「面と向かってそういう話はしにくいんだろうし、そんな会話だけだね」

 

――小さい頃はどんなお子さんでしたか。

 

 「当時育休も1年間とかしか取れなくて、フルで働いていたから平日がやっぱり大変で。旦那の実家が近かったのもあって、そこに平日朝から旦那が出勤前に実家に預けて出勤して、夜になったらじいじが家に連れてきてくれて、だから実家の両親にすごい助けてもらって。夜ご飯とかお風呂も全部実家で、習い事とかも全部そっちでやってもらって」

 

 「性格的にはね、やっぱり本人もキャプテンは自分には向いてないって言っていたように、決して自分から前に出るような子じゃなかった。どっちかっていうとちょっと引っ込み思案な子なんだけど、でも自分たちの世界で、絶対大丈夫っていうとこだと前に出たがるタイプで、基本的にはおとなしいというか」

 

 「動くほうは活発で、足が速かった。でも野球よりサッカーっていう世代で。ずっと動き回ってるような感じではあったかなあ。学年でも体格は大きかったし、背も高かったんだけど、ちっちゃな子たちにもあまり言えなくて弱いみたいな(笑)」

 

――野球はご本人からやりたいとおっしゃったのでしょうか。

 

 「いや、うちの親父が少年野球チームを元々持っていたんです。その親父がやらせたくて、小学校1年生になった時に、たまたま3年生以下のチームで人が足りないから、チームとして成立させるために、やれなくてもいいから、孫を連れてきてくれっていうのがきっかけです」

 

 「じいじはやらせたかったんだとは思うけど、言ってはこなかったかなあ」

 

 「だから、ある意味かわいそうで、希由翔の選択権はなかったんだよね。別にどこのチームがいいとかそんなのも体験したわけじゃなくて、親父がやってたからそこに。そういう意味では少しかわいそうだったかもね(笑)」

 

 

父 「この写真を見たら絶対プロになるとは思わないでしょう?(笑)」

 

母 「本当に始めた頃って感じで(ユニホームも)ぶかぶかでかっこ悪いよね(笑)そこから上田家の野球人生みたいなものが始まって。希由翔が始めた時に弟も一緒に始めて、まだ保育園だったけど、5歳とかで始めちゃったから、もうがっつり週末は野球みたいな感じで。そこから始まったね」

 

 

 「でも3年生くらいからはセンスあるなというか、うまいなという風には思ってきたんだけど、やっぱりチームが弱かったから、人数も少なくて。早熟な子とかもいて、すごく小学校で活躍する子もいるんだけど、その子たちにはなかなかかなわないというか、目立たなくて、あんまりいい思いができなかったね」

 

母 「ちょうど岡崎に有名な子が多くて。石川昂弥くん(中日ドラゴンズ)なんか全然比較にならないくらいでさ。試合できるような相手じゃなかった。石川くんだったり、日ごろ練習試合やってるような知ってる子たちがドラゴンズジュニアに入っちゃったりして、希由翔はそういうのに選ばれる感じではなかったから、始めた時は全然、中学も弱かったし、行く高校もなかなかなかったんですよね。ケガもあって、骨折しちゃったから。昔はもう全然有名ではなかったね」

 

 

 「この写真ぐらい、4年生ぐらいからちょっとセンスがあるかなって感じで」

 

(体格も全然違いますね)

 

 「あ、でもね、それは頑張った。旦那がいつも『人の3倍食べて4倍練習しろ』みたいなことをずっと言っていて、希由翔も真面目というか、ご飯とかもよく食べるから、体も大きくなって」

 

(当時はキャッチャーも)

 

 「元々はキャッチャーだった。というか、少年野球って投げる子はいるけど、受ける子がなかなかいなくて、だからキャッチャーやらせて。ピッチャーは本当、6年生でたまに投げるぐらい。メインはキャッチャーだったね。それも本人の選択権はなくて、俺がただやれって言ってやらせただけなんですけどね(笑)」

 

 「彼が唯一、自分で選択したのが明治大学で。少年野球は親父の関係で、中学校は、いくつかボーイズもあったんだけど、たまたまバッティング練習で通っていたお店が新しくボーイズを立ち上げるって言って、そこに入った。高校も、野球ができるかできないかっていう状況だった中で三河高校が取ってくれて、そこに。だから高校まで選択肢が彼にはなかったと思うんです。その中で甲子園に行ってどっか大学行きたいとこあるのかって言って、彼が初めて選択したのが明治大学で。それこそロッテにも選んでもらっているから、本当に自分で選択したのは明治大学だけなんじゃないかな(笑)」

 

 

 「これは中学の時で、完全にピッチャーと内野手だったね」

 

 「たまたま、バッティングはずっとやらせていたんです。バッティングを生かして欲しかったんだよね。で、高校の先生がバッティングを買ってくれたの。そこからちょっと野手にシフトしだして。僕も野球やってたもんだから、変に期待しているところは正直あったのね。だから、例えば小学校でも、少年野球用のバットがあるんだけど、それを使うなって言ってたの。体も大きいし、多分面白いように打てると思うんだけど、それじゃ駄目だからって中学生が使うバットを小学生で使わせてたのね。中学生になったら、高校野球のバットを使わせてた。自分がやりたかった野球でもないかもしれないんだけど、ちょっと期待もあって、少し無理をさせていたところは正直ある。でもそれで結果を出してきたから、良かったかなとは思うんだけどね。中学校から高校に行くとバットの重さが80グラムぐらい一気に変わっちゃうから、それに対応できなくなるのが嫌で。中学の時点で高校生が使うバットを振らせていたし、結果は出なくてもいいからってもうとにかくそれで練習して。だから高校への対応は、それが良かったんじゃないかなとは思ってるんだけどね。ちょっと無理させてた感じは正直あるな(笑)本人のやりたいようにはやれてなかったかも」

 

 「でも、何も言わなかったから、どう感じてたのかがわからない(笑)」

 

――お母様もスポーツをされていたと伺いました。

 

 「私はバスケットで、実家は福岡県なんだけど、高校から寮生活でそこからずっと家には戻っていない生活で。宮崎の小林高校に行って、そこから日体大でやっていて、トヨタでバスケを7年間やってって感じで。でもバスケやってほしいとは全然思わなくて、勧めなかったんだけど、希由翔は好きだったみたい。今もオフの時斉藤くん(勇人外野手・文4=常総学院)とかとやっているみたいだし、やっぱりバスケ好きなんだなとか思うんだけど(笑)。私は野球をやってほしかったのね。でも、野球のことは分からないから、本当にサポート、弁当だったり洗濯だったりって感じかなあ」

 

 「アスリートだからか、全然野球とは関係ない話だけど、身なりをかっこよくしたいっていうのは、ユニフォームを真っ白にさせたいとかね、そういうのは頑張っていたね。希由翔も見え方とか身だしなみに気を遣うっていうのは、小さい頃から与えたそういうのがちょっと入ってるのかなっていう気がするね。そのためにもできるだけ黒土をきれい落としてあげたいとかさ、本当は縫えば済むユニホームを買い与えたりとか、きれいな身だしなみに気をつけてたような感じはあるかな」

 

 「昔から口出しはしなかった。中学の頃とかは『素振りやらなくていいの?』とか、まだ昭和の根性論みたいな、そういうのもあって言ったことはあるんだけど、高校で1回言ったときに、『高校のグラウンドで、1日自分がどれだけやってるか分かってないでしょ』って言われたのね。そこから一切言わなくなって、知らないところでちゃんとやってるんだって信じて。そしたら監督とかからも『バットを振ってないと病気になるくらい』とか言われていたり、そういう努力を陰ながら聞いて、やっぱりそうなんだなと思って。家に帰ったら当時は乃木坂の西野七瀬が好きでずっと曲聞いてたりするからさ、そんなんでいいんかな?とか思ってたんだけど(笑)」

 

 「野球は持ち込まなかったな」

 

 「そう、持ち込まなかったから、いいんかなって思ってたけど、途中からそういう不安もなくなって、とにかく応援するだけって感じだった。あと、とにかく私がずっと気にしていたのは、ちょっと目立つと、勘違いしちゃうことがあるじゃない。自分はすごいんだとか。私もずっとスポーツ選手だったから、そういうのは気を付けないといけないとずっと思ってて『謙虚に、本当に感謝しながらやらないといけない、みんなに応援される選手にならんと駄目』っていうのはよく言ってた。ドラフトの会見でも、応援される選手になりたいと言っていたから、たくさんの人に支えられたっていうのを分かってるんだなと思って。今の希由翔があるのは、指導してくれた人たちがいい方向に引っ張ってくれたからだと思っていて、すごく感謝しています」

 

――食事面で気を使っていたことはございますか。

 

母 「とにかく飽きないお弁当を心掛けていて、毎日同じものはあんまり入れなかったし、量も確保して。でもその時はまだ勉強不足で、今だったらたんぱく質とかそういうのを考えばよかったんだけど、本当に毎日毎日、念を入れながら。『怪我しないように』とか、『頑張れるように』とか『結果が上手く出るように』とか思いながら作ってた。もうお弁当もあんなに作ることは絶対にないよね(笑)」

 

――ほぼ毎試合、神宮球場でお見掛けしました。

 

 「僕らは小中高と、行けるところは全部行っていたんです、基本的にはね。遠征が静岡であっても行っていたし、行ける範囲は基本的には現地でちゃんと見たいっていう思いがあったから、それは別に苦でも何でもなかった。近いに越したことはないけど、行くのが当たり前、みたいな」

 

(いつもお車で。どのぐらいかかりますか)

 

 「ちょうど家から神宮球場まで300キロぐらい」

 

 「4時間はかからないくらいだね、4時間、3時間半とか」

 

 「開門30分前に行くから、プロ併用日だったら8時半の開門の30分前だから8時には着くように」

 

 「だから3時台とかに起きて準備して、4時くらいに出たり。行く車の中で4年生の春はすごい切なかった。ラストイヤーだーって。秋はもっと切なかった」

 

父 「僕が幸せだったのが、行くときは楽しみだから、行くのはいいじゃん。でも帰り、負けて帰るとつらいじゃない。でも3年、4年の2年間は圧倒的に勝ちが多かったから、全然帰るのが全然苦じゃなかった。だからそこは本当に感謝。勝って帰っているから、全然苦にならなかった」

 

 

――上田主将から言われた中で、一番記憶に残っている言葉はありますか。

 

 「小学校で野球を始めてから、彼は野球を休んだことがないと思うんだよ。病気しても熱があっても野球してたし、野球に対して、妥協したことはなかったんだよね。だけど2年生の法政戦の最後に『野球を辞めたい』って初めて言われて。あれが一番印象的かな」

 

 「私もその試合のことを思い出していて、直接というよりは、ラインで言われて。初めてそんなこと言われたなと思って。だから明治で4番っていうこともすごい重圧だろうし、大変なんだろうなって。練習もさぼるようなタイプではないと思うので、これだけやっても駄目なのかっていう、そういう気持ちもあったと思うんだけど、初めて弱音を吐いたというか。多分それを周りには漏らしてなかったとは思うんだけど、初めて言ってきてくれたから。

優勝したとか、もちろんそれもあるけど、あの法政戦の希由翔がつらかった。春も結果が出ていなかったし、でもあの2年があるから3年4年があるのかなって」

 

――今回プロに指名されて、将来的にどんな選手になってほしいですか。

 

 「それは欲を言っちゃうとWBCだメジャーだとかって色々あるけど、僕らはやっぱりいちファンというか、そういう感覚なので。だから長く野球が見られればいいなって、そんな感じかな。WBC、オリンピックで金メダル、メジャー行ってとかさ、でもそんなのは結果であって。小さい時から高校大学と見させてもらって、またプロのステージで野球ができるっていうのは、親からすると、長くプレーを見続けさせてもらうのがなによりの希望だし、楽しみですよね」

 

 「希由翔は希由翔で自分の目標を持って頑張るだろうから、私はとにかく応援されるような選手になってほしいですね」

 

――最後に余談ですが、お名前の漢字の由来は聞いたことがあるのですが、響きに由来はあるのですか。

 

 「あるにはあるね(笑)」

 

 「それはもうちゃんと伝えて、あとは任せた方がいいよ(笑)」

 

父 「僕ね、節二っていう名前なんだけど、お袋が節子っていう名前なの。それがすごく嫌で(笑)。あと、ポケベル世代というかそういうのでもあるんだけど、五郎だったら5と6とか、数字で簡易的に表現する名前に憧れていて。あとは中性的な名前にすごく憧れてて、かわいい名前を付けたいなっていうのがあって、そこからフルーツを思いついて見ていって、『キウイか~』って。でもキウイはさすがに変だねとなって、それなら『きゅうと』って響きでいいんじゃない、っていうのが最初」

 

 「旦那は女の子をすごく欲しがっていて、かわいらしい名前がよかったみたい。でも私は男の子が欲しくて、最初、きゅうとはおかしいって思って(笑)」

 

 「だから本当に『かわいい』っていう響きの『きゅうと』。それなら910とも書けるし、CUTEでも書けるし、いいんじゃないって。野球は全く意識してないです。よくきゅうとっていうと球に何とかって言われるけど、本当に野球やらせようなんて微塵も思ってなかった」

 

 「漢字は『希み(のぞみ)をもって由い(おもい)のまま翔く(はばたく)』っていう願いを込めて」

 

――ありがとうございました。

 

[栗村咲良]