(94)ドラフト指名特別企画 言葉と写真で振り返る石原勇輝4年間の軌跡

2023.10.31

10月26日、ドラフト会議にて東京ヤクルトスワローズから3巡目指名を受けた石原勇輝投手(商4=広陵)。その大学野球生活を、弊部記者が4年間取材したコメントをもとに振り返る。


酸いも甘いも味わった一年間

 

「六大学で野球をしたかった」

高校時代から東京六大学で野球をすることを望んでいた石原。その中で声が掛かった明大には広陵高と同じく〝人間力〟を大切にする風潮があった。

 

「課題が多く残っているのを痛感した」

1年秋に同期投手の中で一番早くリーグ戦デビューを飾るも、慶大2回戦では満塁弾を浴び敗戦投手に。

 

「自分が最後に投げれて、いい一年の締めくくりだった」その年のフレッシュトーナメントは明大が優勝。石原は2回2/3を投げ無失点の好投で、優勝投手となった。

 

〝23〟を背負い、着実に成長を

 

「とにかく先輩方についていこうと思って投げていた」2年春は中継ぎとしてチームに貢献。実力のある先輩投手に刺激を受ける日々だった。

 

「帽子を落とさないように頭を振るなと」

下級生時代の石原は、投げるたびに帽子を飛ばしていた姿が印象的。本人も自覚していたが「どうやったらいいのかその時は分からなかった」と当時を振り返る。

 

「やっぱり誰よりも輝きたいと思っているので」

石原のグラブには名前からとった〝輝〟の大きな一文字が刺しゅうされている。

 

 

大学入学後初の挫折と成長

「(村田、蒔田と)3人でチームを引っ張ろうと話していた」

春季リーグ開幕前に村田賢一投手(商4=春日部共栄)、蒔田稔投手(商4=九州学院)と共に語ったこと。上級生としての自覚が芽生え、田中武宏監督もかなり期待を寄せていた。

 

「半分野球を諦めてた。2人(蒔田、村田)が活躍してて悔しくて自分は何やってるんだろうっていう気持ちと、このまま2人に任せてもいいやっていう気持ちも正直あった」

 

オープン戦では好成績を残したものの3年春は開幕カードから思うような結果を残せず。自分のフォームを見失いイップス気味になり、精神的にも「腐っていた」という。

 

 

「追い上げムードの中、自分が打たれた。あそこでもう一回頑張ろうと」

4年間で一番印象に残っている試合として挙げたのは3年春の慶大1回戦。追い上げムードの中、登板するも打たれ、その試合を落とすことに。もう一度、奮起するきっかけとなったという。

 

「今思えばあの時期が分岐点だった。あそこで頑張れたから今の自分があると思う」

3年春後、西嶋一記投手コーチとフォームや投球術について話し合い、一から自分の課題と向き合った。しっかりと考えて練習するようになったことも、成長につながった。

 

「いい意味で野球を適当にやろうと思った」

これまでは変なプレッシャーで自分で自分を苦しめていたという石原。楽しむことを意識して割り切って登板するように、精神面も変わっていった。

 

「結構うれしかったですね(笑)」

練習を積み、迎えた3年秋のリーグ戦。東大2回戦では勝利投手に。11試合目の登板にしてつかんだ初勝利だった。

 

「今年の秋はリベンジ。3連投するとは思わなかったが、まずはいい結果が出て良かった」

開幕カードの東大戦から3連投。一本の安打も許さない投球を見せ、少しずつ自信をつけていった。

 

「蓑尾さんのミットめがけて全力で投げたら大丈夫だと思って信じて投げた」

「絶対逃げるなとは伝えた」(蓑尾海斗捕手・令5文卒・現Honda熊本)

法大2回戦では3回を投げ6奪三振無失点の好投。私生活でも仲が良いという蓑尾選手との息ぴったりのバッテリーで実績を積み上げ、信頼を勝ち取っていく。

 

「優勝することができて個人としても良い成績を残せて良かった」

3年秋は結果として12回を投げ、優勝に貢献。連覇を果たしたが、個人としても充実のシーズンとなった。

 

「最高の形で4年生との試合を終えられて本当に良かった」明治神宮大会では国学院大に競り勝ち、日本一に。大学に入学し、初の全国制覇を成し遂げた。

 

3本柱の一角としてフル回転

「4年生としても将来に向けても結果を出さないとダメ」

4年春開幕前に語った決意。中継ぎタイプだがどこを任されても結果を出すという強い思いを持っていた。

 

「初先発は緊張したけど、その日の朝になったらやるしかない、俺が主役だと思っていた」

慶大3回戦でリーグ戦初先発。惜しくも勝ち投手とはならなかったが、最速149キロを記録するなど6回無失点の好投を披露した。

 

「チームに勝ちを呼び込めるように自分が声を出していこうと」リーグ戦3連覇がかかった早大2回戦で先発を任され2勝目を手にした石原は、降板後も一番前で声援を送り続けた。この頃から投げた後も先頭に立ち、チームを鼓舞する様子が多く見られるように。

 

「バッターボックスに立って打つのは好きなので」

3回目の先発登板となった立大2回戦では勝ち越し適時打を放つ。春季は6打数4安打3打点の活躍。通算でも16打数7安打で打率.428と野手顔負けの数字を残し〝二刀流〟の一面を披露した。

 

「あまり投げさせてもらえなくて悔しかったですね」

先発も予想されていた中だったが、全日本大学選手権はわずか1登板に終わる。信頼を得るために、さらなる成長を誓った。

 

「いい結果を出せていたので選考にいけたらいいなとは思っていた」

全日本大学選手権後に行われた大学日本代表候補合宿には呼ばれず、自分に足りない部分と向き合う時間に。

 

「村田と蒔田に負けないように頑張ります」

優勝報告会で口にしたのは、やはり2人へのライバル心。この4年間、野球へのモチベーションを保たせてくれた大きな存在だった。

 

「プロの舞台で投げたいと思っている」

春の時点では進路を決めかねていた石原が、プロ野球の世界を目指すことを明確にしたのは夏頃。決意を口にした。

 

「夏は変化球を磨いてきたのでその成果かなと」

威力のある直球が魅力だが、夏の期間で取り組んだのは変化球の精度向上。4年秋は変化球での空振りが増え、成果が見られるように。

 

「前日投げれなくて悔しかった。その気持ちをぶつけようと」

 慶大3回戦では2回裏から登板し、3者連続三振を奪うなど4回を投げ7奪三振の好投。2回戦ではブルペンで準備をしていたが登板なしに終わり、その悔しさをぶつけた。

 

「大学でいい思いさせてもらったのもお前のおかげだから、最後いい形で締めようと言ってくれた」

 明大での最後の登板となった法大3回戦9回裏2アウト。バッテリーを組んだ菅原謙伸捕手(政経4=花咲徳栄)から言われた一言。4年間と共にしてきた仲間と大学野球を終えた。

 

「まさか3位で呼ばれるとは思っていなかったので本当にびっくりした」10月26日、運命のドラフト会議にて東京ヤクルトスワローズから3位指名を受けた。高校、大学とエースにはなれず、世代別日本代表も経験することはなかったが、悔しさをバネに努力を続けた結果だ。目標としていた舞台で、新たな一歩を踏み出す。

[伊藤香奈]