
(92)ドラフト指名特別企画 言葉と写真で振り返る上田希由翔4年間の軌跡

10月26日、ドラフト会議にて千葉ロッテマリーンズから1巡目指名を受けた上田希由翔主将(国際4=愛産大三河)。その大学野球生活を、弊部記者が4年間取材したコメントをもとに振り返る。
決意の明大進学。コロナ禍の鮮烈デビュー
「あまりプロで活躍するための自信がなくて。一回大学にいってレベルアップしようと」
高校通算47本塁打。高卒でプロへ進む道も一度は考えたものの「レベルアップできる場所」と感じた明大への進学を決意。
「明治の4番らしいプレーをしていきたいです。まだあんまり自覚がないんですよね」
ルーキーイヤーの秋にはいきなり4番に定着。立大1回戦では大学初ホームランも放ち、打率.344と大ブレークを果たす。
「プレッシャーを感じられる位置にいるということが、自分の中ではいい経験」
当然、プレッシャーはあった。
下級生時代からの経験が持ち味の勝負強さにつながった。
〝明治の4番〟その期待に応えたくて
「期待のされ方も見られ方も違う。みんなが思う明治の4番になれるようなバッティングをしていかなきゃいけないなって」
学年が上がり自覚も変化。
「勝てない試合は4番が打てない証拠」
2年春には打率が4年間で唯一2割5分を割り込み、10試合で本塁打なしという不振を経験。
下級生ながら4番としてチームの責任を背負い込んだ。
「4番らしいバッティングをしないといけない、打たなきゃいけないと勝手に思い込んで自分で自分を苦しめていた」
明大の主力として、主砲として、4番として。
自覚が芽生えたからこそ、その苦しみは倍になって襲いかかった。
「自分で優勝を逃した感じが強かった。本当に悔しい思いが強くて勝手に泣いていた。悔しいです」
普段寡黙な上田が珍しく悔しさを言葉にしたのが2年秋の法大戦。
優勝の可能性が残っていた9回裏のチャンスで三振し、思わず悔し涙がこぼれた。
連覇の裏で芽生えたもう一つの決意
「だいぶ落ち込みました、もう野球やりたくないって。この悔しさを持って頑張ろうと」
法大戦の悔しさを糧に、上級生として決意を新たにした。
「ほとんど毎日ノック受けてたんで、それが自分の中では安定剤」
村松開人選手(令5情コミ卒・現中日ドラゴンズ)の離脱もあり、わずか2カ月の短期間で二塁守備を急造。
福王コーチに志願して毎日受け続けたノックは、自信となって身についた。
「4番は結構思い入れあったんで簡単に外れるのか、と最初は思ったんですけど、やっぱり与えられたところでやるのが一番」
1年秋から4番に定着した上田。
しかし3年春の開幕戦は「2番・セカンド」で迎えた。
チームのためにどんな場所でも咲き続ける姿勢を見せた。
「自分は引っ張っていかなきゃいけない存在」
夏のキャンプ、日本代表選出と大きく飛躍した3年次。
「この経験をチームに還元したい」との思いから、徐々に背番号〝10〟を背負うことを意識するように。
のちにこの球場を本拠地として戦うことを、この時の上田はまだ知らない。
「また新たに目標ができたなという感じですね。自分もドラ1で選ばれるように頑張りたい」
村松開人選手のドラフト会議を見守っていた上田。
「いろんな人から来年の自分を当てはめて見なよと言われていたので」と、その先に自身の夢を重ねていた。
「夏のキャンプぐらいから自分がキャプテンをやらなきゃいけないという気持ちがどんどん出てきた」
(左:上田、右:村松)
「秋はこれが終われば新チーム」と、上田は秋季リーグ戦前から来季のチームを見据えた行動を常に心がけた。
「いやあ向いてないっしょ(笑)」
主将のようなポジションに自身は向いていると思うか、という質問に対しての回答。
「人にいろいろ言うのは昔から苦手」と笑う。しかし、チームのためならと、その役割を率先して引き受けた。
重圧、歴史、連覇 すべてを背負った最終年
「(田中監督から)『背番号を変える気はあるか』って。キャプテンやるつもりで動いてたので、別に驚くとかはなかったです」
田中武宏監督から主将指名を受けた際のコメント。
「勝てるかな、ほんとに強いんかな、みたいなプレッシャーと戦ってます」
連覇中のチームの主将を引き受けた上田。
リーグ戦期間中、常にそのプレッシャーと戦っていた。
「今までは自分のためということが多かった。今はもうとにかくチームのためを思ってやっているので、そういう意味で違ったかなと思いました」
上田は主将になってから一番成長したと思う部分に、精神面を挙げた。
「たくさんの人に応援されているんだなっていう自覚を持ったうえで、その人たちのためにも頑張らなきゃなと思いました」
重圧の中だからこそ、応援が力になった。
「0:10です。自分が0、チームが10」
日々個人とチームをどんな割合で考えているか、と質問した際の答え。
上田は即座にこう答えた。
「個人的にはもうずっと苦しかった。でもずっと、わくわくして臨んではいましたね」
重圧に苦しむ中でも、野球を楽しむ信条だけは忘れなかった。
「報われた時っていうのは本当にほっとする。それで自然と涙が出ました」
優勝後、上田は歓喜の中で涙を流した。
「キャプテンが一番頑張らなきゃいけないと思っているし、常に自
分のことでいっぱいいっぱいにならないようにしてます」
自身のラストシーズンを迎えても、口から出るのはチームのこと。
主将としての自覚は、いつの間にか当たり前のことになっていた。
「ずっと緊張していたので、名前を呼ばれて安心しています」
10月26日、運命のドラフト会議にて千葉ロッテマリーンズからドラフト1巡目指名を受けた。
4年間ひたむきに野球と、自分と、チームと向き合い夢を叶えた上田ならば、プロの世界でも必ず大きな花を咲かせるだろう。
[栗村咲良]
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