(75)光弘帆高 進学で見えた壁

2023.10.02

 高校時代は大阪の雄、履正社高にてチームをけん引。当時から大型内野手として注目を集めた光弘帆高内野手(商1=履正社)だったが、進学を機に大学野球の過酷さを目の当たりにしていた。

 

いつも中心にあるもの

 中学時代は神戸ボーイズで主将を担い、全国大会へと出場。高校は名門・履正社高で副主将としてチームの要を務め、高校日本代表にも選出。そんな彼の輝かしい経歴を支えていたのは、胸に秘めた1本の太い柱だった。「気持ちを出していくことが一番大事だと思っている」。自身がどれだけやる気を持っているのか。それを正確に理解してもらうのは難しい。しかし行動に出せば、その気持ちはおのずと伝わっていくはずだ。思いが自分を動かし、その行動がチームを動かす。火付け役となり成長を追い求めてきた彼の胸中には、野球選手が持つべき思考の原点があった。

 

さらなる上昇を求めて

 強肩を生かした堅実な守備と、高校通算16本塁打を誇る強打が持ち味の光弘。しかし、高校時代から自身の打撃には満足いかない様子を見せていた。課題を痛感したのは高校日本代表の壮行試合だった。社会人らとの試合で感じたのは「スピードが違った」。大学では使用するバットが木製に切り替わり、より緻密なバットコントロールが要求される。無意識のうちに「『絶対芯に当てないと』というのが頭のどこかにある」と、道具の変化にも戸惑いを隠せなかった。数々の猛者と切磋琢磨(せっさたくま)する明大は、果たして覚醒の場となり得るのだろうか。

 

新天地から見えたのは

 その猛進ぶりから〝猪軍団〟と称される明大に、自身と通じるものを感じた光弘。しかし、大学入学後は「現実を知った」。同学年には、全国から粒ぞろいの精鋭が集結。そして、2つ上には世代ナンバーワン遊撃手との呼び声が高い宗山塁内野手(商3=広陵)の姿があった。「今のままでは(プロは)厳しい。あと3年でどうなるか」。新天地に身を投じ、初めて生まれた焦り。だが想像のはるか上にあったプロの壁を前にして、そう語る彼の目に不安の色はなかった。たとえ行き詰まりを感じる場面であっても、とにかく前進を掲げ一歩を踏み出す。殻を破り一回り成長した彼は、誰よりもたくましい遊撃手として、我々の網膜にその姿を焼き付けるだろう。

 

[松下日軌]

 

光弘 帆高(みつひろ・ほたか)商1、履正社高、178センチ、80キロ、右投げ左打ち、内野手。高校入学時、入寮予定だった寮がまさかの満室。両親の献身に支えられ、6時半出発・23時帰宅という厳しい生活を3年間貫徹した。