
甲斐京司朗 目指せ声出し番長
明大準硬式野球部の声出し番長を目指す甲斐京司朗(営1=大分舞鶴)。高校3年次春には独自の練習方法が注目を浴び、第94回選抜高校野球大会(以下、センバツ)に21世紀枠で出場。積極的な声出しでチームを鼓舞し、打撃でも魅せるその姿は大学でも変わらない。
高校へ進学
父と兄と一緒に遊ぶうちに好きになったという野球。甲斐の野球人生を大きく変えたのは県内トップクラスの進学校・大分舞鶴高への進学だった。他の中学の主力選手が進むことを聞き、強いチームになると確信し進学。高校2年次の秋には、持ち前のリーダーシップを買われ部員間の投票でなんと満票で主将に選ばれた。「選ばれる気はしていたけど、満票だったのは素直にうれしかった」。
センバツへ
〝自分が一番に声を出す〟。これをモットーに主将となった。「1学年上の先輩方は技術力で引っ張っていた。でも自分はあまりうまくないので声で引っ張るしかない」と決意。また、主将として練習メニューを自分たちで作り上げた。「その練習意味あるのかとかまたそれかとか、部員からの反応が怖かった」と毎日同じ練習メニューにならないよう試行錯誤を繰り返す。練習ごとに班分けし効率良く取り組むなどの工夫も凝らし、勉学との両立を図りながら研さんを積んだ。そしてセンバツ出場を懸け臨んだ秋の九州大会。結果は初戦敗退。それでもこれまでの実績や学業面に加え選び抜かれた練習法が評価され、センバツ初出場の切符をつかんだ。「感動した。まさか自分が選手として出場できるなんて」。全国の壁は高く、名門・浦和学院に2安打完封負けとなるも「甲子園の経験は残りの野球人生に自信をくれた」と話す。得た自信を胸に再び聖地を目指した最後の夏。県大会準々決勝、準決勝で共にサヨナラ勝ちの快進撃を見せる。「準決勝は人生で一番印象に残る試合。4点差を追う中で、自分がサヨナラ打を放って決勝に進めたことが一番うれしかった」。決勝の明豊戦では惜しくも敗戦。それでも高校最後の大会で一番のプレーを見せた。
次なる目標
大学では野球を選ばず学業とアルバイトに力を入れるつもりでいた。だが野球への思いは諦め切れず「硬式野球部に入部する勇気はなかった。だったら父もしていた準硬式をやろう。野球も学業も両立できるこの環境で悔いのない野球生活を送りたい」。理想の選手像は明大随一のスラッガー・田村陽大内野手(農3=花巻東)。「同じ一塁手でバッティングがすごい」と田村の打撃を追うも「目指すのはチーム内で一番声の大きい選手」。入部早々公式戦打率6割超えを見せた甲斐だが打撃だけが売りの男ではない。大学でもこれまでと変わらず声でチームを引っ張り〝声出し番長〟を目指す。
[阿部倖明]
◆甲斐 京司朗(かい・きょうしろう)営1、大分舞鶴高。趣味は筋トレ。それもありスポーツクラブでバイトをする。尊敬する人物は松井秀喜氏。173センチ・78キロ
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