
(126)大学野球引退インタビュー 蓑尾海斗

(この取材は11月2日、12月1日に行われました)
蓑尾海斗捕手(文4=日南学園)
――今年度を振り返っていかがですか。
「しんどかったです。楽しかったのは最後の試合くらいだけでしたね。今まで明治の座ってきたキャッチャーは、優勝した時は坂本誠志郎さん(平28文卒・現阪神タイガース)とか、今にも語り継がれるようなキャッチャー陣の方が多かったので、そういう中で俺が座っていいのかなって、その中の1人になっていいのかなって気持ちとかがやっぱりあって。プレッシャーはすごかったです。こういう大学で座るってこういうことかって」
――大学の4年間を振り返っていかがですか。
「楽しかったですが難しかったです。頑張っても報われないし、結果が出たからと言って使ってもらえるわけではないし、自分次第という感じでした。去年の秋に少しだけ頑張ってよかったと思います」
――4年間で成長したと思うところはどこでしょうか。
「自分は高校の時はスマートに野球をするタイプで、きれいに野球をしたいと思うようなタイプでしたが、大学に入った時から周りのみんながすごすぎたので、人と違う色を出そうと思って、それで声掛けとか一生懸命プレーするところをアピールしようとしました。そこが一番4年間で成長したなと言えます」
――リーグ戦ではどの試合が印象に残っていますか。
「いい意味だと、やっぱり春の立教戦ですかね。1年生の時の優勝は気付いたら優勝したというか、リーグ優勝したらマウンド行くのも知らなくて『みんなが走ってきたから行こう!』みたいな感じだったので。でも優勝を知って、2年生3年生とチーム的にも個人的にも苦しんだ中で4年生の春で優勝して、その時運よく自分が打席に立てて決められたので、将来的に誇れそうだなと思います。あれが一番いい試合です」
――逆に悪い印象が残っているのはどの試合でしょうか。
「去年の(秋の)早稲田です。今年の秋の慶応も3試合とも苦しかったイメージはありますが、あれ以上に生きた心地がしなくなるのは早稲田戦でした。ずっと怖かったです。まず、自分は1年生の秋に座った試合の中で勝ったことがあるのが東大しかなかったんです。他の試合で全部負けていて。そこから3年生の秋になってまず慶応に勝てなくて、その後東大には勝って、そこでまた東大以外は終盤になると怖くなるんです。自分がキャッチャーだと勝ち点取れないと思ってしまって。そう思いすぎて、最終回に『俺が座ってるからだめなのかな』と思っていたらランナーが出て『ああ、またそうだ』って。ランナーがたまって『これで長打を打たれたら同点だ』とか思っていたら、本当になんて言うんですかね、おかしい感覚になるんです。確実に打たれるのが分かってサインを出してしまうみたいな。でもその指しか出せないんですよ。それで打たれちゃって、苦しかったです。今年の春はその指が出そうになりながら、違う指を頑張って出していたら勝つことができました」
――今年度その指を思いとどまれた要因はなんでしょうか。
「その時の経験と自信です。今までこのチームを引っ張ってきた自信を持つことができたことです。自分は勝てるキャッチャーになりたいという思いで(昨年度の)秋に負けてから取り組んできたので、その自信はあったと思います」
――3年次の秋にレギュラーに定着するまではどんな気持ちで野球に取り組んでいましたか。
「自分は1年生の時に試合にも出させてもらって、2年生もうまくいくのかなという気持ちがあって。自分今までの人生で挫折したことがなかったので、大学に来て挫折したいって思っていて、そうしたら1年目から出ることができて『これもっとうまくいっちゃうのかな』と思って。それで2年生になって初めて挫折を経験して、本当に野球辞めようかなと、野球辞めろと言われたら全然辞めるところまでいってしまって。今聞いたらみんなびっくりしますよ、自分が副将とか。それで3年生になって春から少しずつメンバーに入れてもらって、それから夏くらいに『プロ野球選手になりたくて大学野球に来たのに、このまま就活をしたらあとあと後悔しそうだな』と思って。後悔する前に少しだけ頑張ってみようと思って、村松(開人主将・情コミ4=静岡)と一緒にウエイトさせてもらって。自分は頑張るのが苦手なので、人並みくらいに頑張ってみました」
――この4年間は早かったと感じますか。
「上級生になってからの2年間は早かったですが、下級生の2年間は長かったです。いつ辞めてやろうかなと思ってました(笑)。ずっときっかけを探していたのは覚えてます。(それでも野球をやろうと思えたのは)ずっと小さいころからプロ野球選手になりたいという気持ちがあったので。後悔しないようにあと少し、あと2年だけ頑張ろうと、本当にその時だけ頑張ろうと思えたんです。それで、自分は継続力がなかったので、菅原(謙伸捕手・政経3=花咲徳栄)と同部屋の時に『2人で毎日日記書こうぜ!』って言ったらそれだけが続けられました。あれがあったから自分は4年間生きていけました」
――ホームページで昨年度は『再起』、今年度は『最輝』と掲げていました。
「あれいいですよね(笑)。3年生の目標でもう1回試合出てやるという思いで『再起』にして、4年生で同じ言葉にしたいと思って、最初違う文字にしてたんですよ。それでトレーナーの方と『今年は輝くでサイキにしたいんですよ』と話していたら『じゃあ最も輝くで最輝って良くない?』と提案されて『めっちゃいいです!』って。部屋の一番高い所に貼り付けています」
――この日本一は自身の野球人生の中でどのような経験でしたか。
「自分以外のキャッチャーが注目されて、他のキャッチャーがプロに行くという中で、自分は〝勝てるキャッチャーが一番いいキャッチャー〟とずっと思っているので、実力もそうですが、そういう部分でしっかりと何としても負けない気持ちをこうやって出すことができたので良かったです」
――明治神宮大会決勝はどのような心境で臨みましたか。
「自分はあまり人生の中で決勝で負けたことがなかったので、負けるイメージはつかなかったです。(前夜は寝られなかったと聞きました)自分いつもリーグ戦中だったら同点のパスボールの場面を想像しちゃうんです。『うわー! 蓑尾のパスボール!』みたいな。それでいつも寝られないんですけど、あの試合の前日だけは急に『9回2死バッター蓑尾!』みたいに思って『うわー! やべー!』ってうきうきしてきて、早く試合こないかなって。そしたら本当に寝られなくなってやらかしたと思いました。リーグ戦の時は、メンタル弱くてプレッシャーを感じてしまうので本当に寝られなくなります。隠してます(笑)」
――ファンの皆さんへ日本一になってメッセージをお願いします。
「勝てない時もいつもしっかりと応援してくださって、最後にこういう一番いい形で、日本一という形で最高の感謝の気持ちを伝えることができました。これからの後輩たちにも応援よろしくお願いします!」
――後輩に期待することはなんでしょうか。
「自分たちができなかった4冠は今の後輩たちならやりかねないと思うので、日本一で終わるのは本当に幸せだよって伝えたいです」
――これからの目標をお聞かせください。
「2年後にプロに行きます。試合に出て、スタメンをとって、都市対抗も優勝して、プロに行きます」
――ありがとうございました。
[西田舞衣子]
◆蓑尾 海斗(みのお・かいと)文4、日南学園高、174センチ83キロ、右投げ右打ち、捕手
いつも明るく取材に対応するのが印象的。ある日の取材では仲のいい髙山陽成投手(文4=作新学院)の声まねを交えて話してくれたことも。退寮1週間後に行われたこの取材では「やっと家(新居)までの道覚えたってちゃんと書いておいて!」とのこと。
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