
(124)大学野球引退インタビュー 渡部翔太郎

(この取材は11月2日に行われました)
渡部翔太郎投手(総合4=千葉黎明)
――秋季リーグ戦立大戦での復帰登板を振り返っていかがですか。
「ケガしてて投げられていなかったんですけど、最後の最後に復帰登板させてもらってチームの力になれたっていうのはすごくうれしかったし、ケガしてた悔しさを、立教戦で発揮できたっていうのはよかったです」
――最終戦の立大2回戦では念願の黎明リレーもありました。
「ずっと2人で神宮の場でリレーしたいねと話していて、その日に高校の監督も見に来てくださってて、その高校の監督の前でやっと達成できたのは本当にうれしかったです」
――長いリハビリ期間を経てメンタル面の変化はありましたか。
「やはり同期がみんな投げて、みんな出ている中、自分はケガをして、気持ちが下がることはなくはなかったんですけど、そんなことしててもだめだと思って、マイナスのときでもプラスの気持ちを持った方が前向きな方向にいくというのは身に染みて感じたので、そういう面では本当によかったかなと思っています」
――リハビリを経てようやく帰って来れたときは率直にどう思いましたか。
「いやあ、うれしかったです。4年生がすごく喜んでくれて、『やっと投げれるな』みたいな。そこが本当にうれしくて、何とかしてチームに貢献しようと思いました」
――投げられない中でも、チームのことを常に考えていた印象があります。
「やはりやれることをやりたいなと思っていましたし、自分だけのチームじゃないので、何が何でも優勝したかったので、やれることをやろうと思って常に動いています」
――チームのことを考えられたのはなぜですか。
「このチームが好きというか、このみんなで優勝したいという気持ちが強いので、自然と出ているのかなと思います」
――この1年は振り返ってみてどんな1年でしたか。
「自分にとってはプロを目指してたこともあり、それがかなわなくなってしまったので、そこは悔しいのですが、有意義な時間にできたので、次のステージの社会人野球に行ってからもためになるんじゃないかと思って、総じていい1年になったと思います」
――4年間を振り返ってどんな4年間でしたか。
「自分は1年生の頃から試合に出させてもらっていて、3年秋にちょっと調子を崩してしまって、周りからも次期エース候補というようなことをずっと言われていて、それで4年の春に結果を出せなかったのはすごく悔しかったんですけど、人としても野球人としても4年間通して周りの人たちに恵まれたこともあり、成長できたかなと思います」
――4年間で一番良かった時期はいつですか。
「結局、今かもしれないです。デビューしたときはよかったんですけど、それよりも今が一番いいかなと思います」
――逆に一番苦しかった時期はいつですか。
「3年秋のシーズンから4年春、ケガしたときですかね、そこは試練というか、なかなかうまくいかない時期だったのでつらかったです」
――高校時代からの憧れだった明大で過ごした4年間はどうでしたか。
「本当に入学してよかったなとつくづく思いますね。やっぱり強豪校上がりのやつが多くて、その中で自分が活躍できたっていうのは自信にもなりますし、挑戦してよかったなと思います」
――社会人野球では明大での4年間をどう生かしていきたいですか。
「社会人野球って大学野球よりもっとシビアな世界で、負けたら終わりだったり、企業の代表として勝たなきゃいけないプレッシャーのかかる試合が増えると思うんですけど、それはリーグ戦も一緒で、チームのためにということをずっと思いながら自分は投げていたので、その勝負強さだったり、メンタルの強さっていうのは社会人になってからも生かせるかなと思っています」
――ありがとうございました。
[栗村咲良]
◆渡部 翔太郎(わたなべ・しょうたろう)総合4、千葉黎明高、181センチ・89キロ、右投げ右打ち、投手。
明治神宮大会優勝時には号泣していた渡部投手。「希由翔(上田内野手・国際3)と千葉(汐凱投手・営2)が隣に来て何かすごいうるっときてしまって」
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