
(95)村松開人主将 ご両親インタビュー/ドラフト会議

10月20日に行われたプロ野球ドラフト会議で中日ドラゴンズから2位指名を受けた村松開人主将(情コミ4=静岡)。春季リーグは右膝の手術の影響で3打席の出場にとどまったものの、秋季は1番打者として完全復活。二塁手でベストナインを獲得し2016年以来となるリーグ戦連覇に大きく貢献した。今回は村松主将のご両親の父・宏明さん、母・好乃さんに話をうかがった。
(この取材は10月29日に行われました)
ーー指名された瞬間はいかがでしたか。
好乃さん:まさかそんな上位で呼んでもらえると思っていなかったです
宏明さん:むしろ呼ばれないかなと思っていました。やはり春のケガもあって、ポジション的にもいい選手がたくさんいたので。呼ばれないかなというのが正直あったので、気楽な感じで見ていました(笑)。改めて映像を見た時に少し実感したのと、もう一つは親として、本当にこの厳しい世界でやっていけるのだろうかという不安も少しありましたね。うれしさ半分、不安半分というのが正直な気持ちです
好乃さん:社会人野球でいけばいいんじゃないかなという思いもあったところですけれど、本人の小さい頃からの夢でもあったので、やってみてダメならダメで諦められるし。でも志望届出すか出さないかも全く相談なかったんですよ。何となく出すんだろうなという感じはあったのですが、報告もなく、Yahooニュースで知ったんです(笑)。指名された瞬間というのは本当に夢のようというか「本当にうちの子じゃないんじゃない!?」というところはあったんですけど、本当にLINEやら電話やら何百件だったんです。そこで初めて実感が湧くというか、本当に指名されたんだなと思いました
ーードラフト会議が終わった後はどのような話をされましたか。
宏明さん:会議が終わって少ししてからですね。「指名されたよ」ということで。「良かったね」と話をして「このあとすぐいろんな方にあいさつしないといけないからとりあえず一旦切るわ」って切って、また2、3日くらい何の連絡もなくて(笑)。指名届出した子のことも考えれば、立場上そんなに素直に喜べないんだろうなというのも分かるし、キャプテンという立場ですからいろんな方への感謝の連絡とかもあったと思うので。それはしょうがないし、いつものことなので、普通でいられている状態だから逆に良かったかなと思いますね。舞い上がっちゃっていると普段らしくないもので、普段らしくしてくれて良かったかなと思います
好乃さん:私のところに電話がきたので、すぐに「おめでとう」と言ったら「ありがとう」とは言ったのですが、その時はまだ表情が硬かったです。ビデオ通話でみんなで喋れるようにして、それでもまだ少し硬くて「大丈夫?」と思ったのですが、2、3日後にまた話した時はいつも通りの開人だったので、緊張もほぐれて良かったと思いましたね
ーー幼少期はどのようなお子さんでしたか。
好乃さん:いわゆるいたずら小僧ですね(笑)。やんちゃで保育園の頃は泥んこ遊びが大好きで、全身泥まみれになって遊ぶような子でした。足は速かったので、保育園の頃はサッカーをやってたんですよ。野球のやの字もやっていなくて、仕方なく野球に入ったところも本当はあります。お兄ちゃんが野球をやってて「そこにどうしてもお願いだから入って」とこちらから頼みました。「1年間だけね」という約束で入ったのですが、そこでみんなが褒めてくれて、学校の先生が認めてくれたり、いろんなことがあって本人も自信がついて、だんだんと面白くなっていったのだと思います。末っ子なので、いつも誰かしら手を貸してくれるんです。甘え上手というか。だから何かしてもあまり怒られるということがなくて、何かやっても結局はお兄ちゃんが怒られたりとか、お姉ちゃんが庇ってくれたりとかが多かったので。すごくやんちゃにはやんちゃだったんですけど、みんながカバーしてくれるような子でした。それがずっと今でも続いているのかなと思います
宏明さん:一番下なので、あまり怒っていなかったかなというのは正直ありますね。縁とか環境が良かったので、好きなことをどんどんのめり込んでやっていった結果じゃないかなと思います
ーー幼い頃から野球がうまいというのは感じていましたか。
好乃さん:そうですね。小さい頃から試合にも出ていましたし、とにかく足が速いというのが彼の一番のところかなと思うので。打って塁に出て、前の人が塁にいると抜かしてしまいそうなところもあって(笑)。「あー! 前の人抜かしちゃダメ!」という感じで、少しスピードを緩めることもしていて(笑)。そういうところは良かったのかなと思います。中学も高校もお兄ちゃんの後を追っていたので、負けん気が強くて、負けたくないという思いでやってたかなというのはすごく感じました
宏明さん:野球に対してはすごく貪欲なところがあって、さまざまなことを吸収しようというのが見えました。自分の中でやってみて、ダメなことはすぐに連絡よこして「どう?」とか言って。練習試合見に来るなら「常にビデオ撮って」とか「映像もすぐ送って」とか。それですぐにビデオ見ながら話したりとか、常に頭を切り替えて次へ次へ、悪いところはすぐ修正してというようなところは感じました。すごい貪欲だなと思いましたね
ーーご本人が大学に入って性格が変わったと仰っていましたが、ご両親から見ていかがでしたか。
好乃さん:感じます。よく文化祭の時にクラスTシャツ作るじゃないですか。あの時に開人は『静高の末っ子』と書かれていたんです。だから本当に周りにお世話されながら生きてきたんだろうなという感じで(笑)。家でも末っ子で、そのまんまいってしまったので、周りに頼りながらいろいろやってもらいながら「もうしょうがないなー」くらいの感じでやってもらっていたと思うのですが、大学入ってからはたぶんそのキャラを変えたんですよね。入った当時森下さん(令2政経卒・広島東洋カープ)とかいて、先輩もスターばかりだったので「全然違う世界だ」というのはよく言っていて。じゃあ自分はどうしたらいいんだろうと思ったのかなと思うのですが、そこで努力をするっていうことを覚えて、野球部の朝の支度とかも主体してやるというのは言っていたんです。そこからやらないと認めてもらえないのもあって、やれることはやるという感じで変えたのかなとは思います
宏明さん:小学校、中学校と本当にレギュラーで試合に出させてもらっている期間が多いので、なかなか控えメンバーの気持ちが分からない部分がありますよね。それが静岡高でのケガによって裏方に回って、自分が今までやってきてもらったことを自分がする、そこで初めてみんなのおかげで野球がやれていることを実感したと思うんです。ですから、今までは本当に自分のことが中心だったのですが、大学行く前にケガが治ってから周りが見れるようになってきて、自分のことだけでなくて周りのこともやれるようになりましたね。その辺からちょっとずつ変わってきたのを感じました
ーー今年2月の手術を聞いた際はいかがでしたか。
好乃さん:ショックでしたね。親の方がショックだったんですけど、それまでは本当に夢のジャパンにも選んでいただいて、ものすごくいい顔で合宿にも参加しているのを見て「本当に良かった、これからだ」と思っていたところだったので、まさかそんな風には思っていなくて。どうするんだろうと思っていたと同時にすぐ、こうするって本人が決めたのが早かったんです。考える時間もそんなになかったのかなと思うのですが。「じゃあ私たちもそれを応援するしかないから、本人が決めたんだったらそれで」と思って、それからまたバックアップでサポートをしました。ただ本人の中ではその短い間で、山田陸人くん(法4=桐光学園)だったり蓑尾海斗くん(文4=日南学園)だったりに相談しているんですよね。おそらく、ものすごく辛い顔もして、どうしようという感じでいたと思うのですが、背中を押してくれたんじゃないかなと思っています。踏み切って、あとはもう前向くしかないと、そこからはもう全然サバサバしていました。クヨクヨしているところも一つも見せていなくて、あとはもう前を向いて。あまりペラペラ喋る子じゃないので、内の中ではプロはもう無理かなというのもどこかであったのかもしれないですが、そういうことも全然言わずに、とにかくチームのためにというのは言っていました
ーー主将としての姿はどのように写っていましたか。
宏明さん:去年の秋の時から常に丸山くん(令4商卒・東京ヤクルトスワローズ)と一緒にいたので、やるかもしれないなという感覚ではいたのですが、まさかやるなんてとても思わなかったです。そういうキャラでもないので。本当に口数も少ないし、高校の時も黙々と練習をして、その姿をみんなに認められてきたという感じだったので、そういう子に主将が務まるのかなと正直なところ思っていました。でも、やっぱ蓑尾くんとか陸人とか、あと西山くん(虎太郎外野手・商4=履正社)にしても、みんなキャプテン経験者が何人もいる中で選んでもらったので、おそらく口数は少ないけれど態度で示して、言葉で言うのは蓑尾くんとか陸人がやってくれるだろうと。3人でうまくやってくれたのと周りのサポートがあって、初めてやれたのかなと思いますし、あのベンチで声を出している姿や、グラウンドでみんなに声をかけたり指示をしている姿を見てやはり成長したんだなと実感しましたね
好乃さん:ベンチに入れてもらわなくても全然いいかなと思っていたのですが、入れていただいて。 今までは本当に自分勝手で自分のプレーだけ。失敗しても周りが慰めてくれるような、気にするなって言われたりとかしていた子なので。誰かが三振をしたりした時に声を掛けに行ったりしていた姿を見た時は、本当に変わったなと思いました。そういうところで貢献してもらって、チームが優勝してくれたので、うちの子は何もやってないのですが、本当にありがたかったですね
ーー慶大の復帰戦は見ていていかがでしたか。
好乃さん:本当に拍手がすごくて。皆さんが声を掛けてくれて拍手してくれて、感動しました
宏明さん:思い出すだけで泣いてしまいそうですね。あの時の心境は、うれしいの一言ですね。本当にその試合一番の拍手をもらって、いろんな人に応援してもらってるんだなと実感して。本当に良かったです
ーーご両親から見た村松選手の良さは何だと思いますか。
宏明さん:何事も諦めずに最後までコツコツやるところだと思います。意外とすぐ諦めちゃう子がいる中で、最後まで考えを持ってしっかりやってくれるのはすごく良いところかなと思いますね。これだけいろんな人に応援してもらっているのも、たぶん彼の持ってる何かがあるんでしょうね。人を引き寄せるようなもの、面倒を見てあげたいと思わせるものがあるのかもしれないです。それに甘えもしますが、しっかり答えてくれていますしね。言葉ではありがとうと言えないけれど、態度でそういう気持ちを表現しているのは、野球をやっている1人の選手としてすごくいいことじゃないかなと思います
好乃さん:開人のいいところは、やっぱりコツコツ努力して、自分の悪いところも良いところも自分で判断して、物事を整理できるようになったところかなと思います。それに、本当に彼の周りはいつもにぎやかな人たちが集まってくるんですよ。みんなに応援してもらえるところが彼のいいところかなと思います。どちらかといえば、放っておけないのかなと思うんですけど(笑)。そういうところも大事にしながらこれからもやってもらいたいと思います
ーー開人の名前の由来を教えてください。
宏明さん:1月6日生まれで、新しい世紀が変わった年じゃないですか。自分の人生は自分で切り開いて進んでいってほしいという思いがあって、開く人とつけました
ーーどのような選手になってほしいですか。
宏明さん:今までも本当にいろんな方のサポートを受けてきて、それも一つの縁だと思っているので、これからまた新たな縁ができますからね。その縁を大切にしてもらって、誰からも応援される、愛されるような選手になってもらいたいです。短いスパンではなくて、長いスパンで活躍してもらえる選手になってもらえればいいかなと思っています
好乃さん:本当にいろんな人に応援していただければありがたいです。明治の野球見てると応援団もすごいですし、応援している方もものすごく多いので、応援していただけるような選手になってもらえればありがたいです
ーーこれからのご本人に向けてメッセージをお願いします。
宏明さん:これからは今までとは違った本当に厳しい世界での野球になるのですから、恐らく苦しい野球になってしまうのかなと思うんですね。ですから、その中で頑張りすぎて体を壊したりとか、ケガをしたりしたら、元も子もないので。今までやってきたこと、静岡高では準備力ということを監督に教わってきて、明治では人間力を教わってきたものですから、それを十分頭の中に入れてもらいながらやっていってもらいたいなとは思いますね。ケガだけ十分注意してもらって頑張ってもらいたいですね
好乃さん:一番はケガがやっぱり心配なのでケガをしないように、自分がプレーができるように続けて努力してもらうことだと思います。私たちはただただ応援するだけです
――ありがとうございました。
[西村美夕]
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