(79)宮田知弥 ひたむきに努力を重ね、明大の中心選手へ

2022.10.10

 昨年度夏の甲子園では先発のマウンドに立った宮田知弥内野手(商1=横浜)。その投手経験から生まれた肩の強さと安定感のある守備は田中武宏監督からも評価を受ける。絶えぬ向上心を持って、明大の中心選手へと駆け上がる。

 

上には上が

 8歳離れた兄の影響で始めた野球。小学6年次の横浜ベイスターズジュニアでの経験が宮田の原点だ。700人弱の応募の中から選考会を重ねた末、18人のメンバーの中に入った。しかし「(所属していた)チームでは一番だったけど、ジュニアの中では下の方」。周りのレベルの高さに圧倒された。加えてチームはグループ予選で敗退と結果を残せず。自分の実力不足を痛感させられた。

 

憧れの舞台

 高校は小さい頃から憧れていた横浜高に進学。宿敵・東海大相模高を常に意識する日々を送った。2年次秋の県大会では準決勝でコールド負け。「相模に勝てるように」。チーム全体として持ち続けたこの強い思いが最後の夏、甲子園へと導いた。

 夢だった甲子園初戦では先発のマウンドへ。「いつも通りやるだけ」と意気込んで上がった大舞台で8回103球を投げて1失点。自身も「完璧だった」と振り返るほどの好投を見せた。チームもそれに応えるように逆転サヨナラ勝ち。ジュニアで挫折を経験してから6年。「ジュニアの子たちには負けたくない」。思い続けたこの気持ちが最後の夏に実を結んだ。憧れの舞台での1勝は宮田にとって最も特別な試合となった。

 

感謝を胸に

 甲子園で活躍したのは投手としてだが、肩の痛みから、大学では野手に専念。高校ではクリーンアップを務め、投打で躍動した。「憧れの存在」と話すのは同じポジションでもある山田陸人内野手(法4=桐光学園)。入学後は山田をはじめとする4年生の姿を見て「人への気遣い、日ごろの行い。野球の技術だけでなく、人間性を高めてこそ試合に勝てるのか」と、技術以外の生活面からも多くのことを学ぶ。

 野球を続ける原動力は何よりも応援してくれる人の存在だ。両親をはじめ、多くの人に対して「ありがたい」と感謝の気持ちを忘れない。4年間で目指すは首位打者とベストナイン。そしてその先にあるプロの世界へ。ひたむきに努力を続けていく。

 

[髙本都]

 

◆宮田 知弥(みやた・かずや)商1、横浜高、180センチ、84キロ、右投げ左打ち、内野手。

 試合前のルーティンは吉田匠吾内野手(文1=浦和学院)とレッドブルを飲むこと。