
吉原瑠人 ケガを乗り越え、明大の扇の要に
今や明大に欠かせない存在となった吉原瑠人捕手(法1=仙台育英)。しかし彼の野球人生は順風満帆ではなかった。右目に負ったケガを乗り越えて成長した高校時代。離脱中に学んだ仲間の大切さを胸に、大学野球では扇の要としてさらなる高みを目指す。
ケガの功名
悲劇は突然襲った。高校2年次の6月の試合中、バントを試みた際にファウルとなった球が運悪く右目に直撃。救急車で搬送された。しばらくは右目が全く見えず「このまま一生見えなくなるのかな」と、不安がつきまとった。選手生命すらも危ぶまれた。
治療を続けながら迎えた同年の夏。副将となり、チームのことを第一に考えて行動するようになった。その中で吉原が大事にしたのは、控え選手とのコミュニケーション。「出られない人が練習を頑張るチームが絶対強くなる」という監督の言葉がきっかけだ。他の選手の意見を率先して聞くようにし、チームのまとめ役を買って出た。
仲間の存在
復帰できたのはケガをしてから半年後。「仲間がいなかったら立ち直れなかった」。吉原を思いやる仲間の「復帰したら一緒に練習しよう」という言葉に励まされて、離脱期間を乗り越えた。
高校最後の夏も、仲間の後押しが最高の経験をもたらした。甲子園で開催される交流試合のメンバー決め。チームへの貢献が認められた吉原は、同級生による投票で選ばれ、背番号19として甲子園の舞台に。「みんなが選んでくれたのにふがいないプレーはできない」と気合を入れて臨んだ。結果は惜しくも敗北。それでも「みんなで楽しんでプレーできたので、悔いはなかった」。
期待の新星
大学では準硬式野球の道を選び、明大の門を叩くことに。高校時代はケガの後遺症で、満足いくプレーができなかった。しかし、違和感のあった右目に次第に慣れてきたことで「納得できるプレーができた」。巧みなリードで明大の投手陣をけん引し、レギュラーの座を手にした。東京六大学春季リーグ戦では1年生ながら全12試合に出場。同リーグ2位に大きく貢献した。
早くも明大の扇の要となった吉原。学生が主体的に行動する明大の準硬式野球部では、吉原の力が遺憾なく発揮される。チームを第一に考えて行動することを胸に、将来的には「チームをまとめられる選手になりたい」。扇の要からチームの中心へ。吉原の存在は日に日に大きくなっていきそうだ。
[佐野悠太]
◆吉原 瑠人(よしはら・りゅうと)法1、仙台育英高。野球をする傍ら、夜はスーパーマーケットで働いている。170センチ・70キロ。
関連記事
RELATED ENTRIES