(34)宗山塁 主将の経験生かし、明大の柱へ

2021.09.16

 法大戦での一発は神宮に新たな風を感じさせた。1年生ながら春季リーグ戦から8試合に出場した宗山塁内野手(商1=広陵)。高校時代は広島の名門・広陵高で主将も務めた。世代の先頭に立つ遊撃手が六大学の聖地で躍動する。

 

憧れの高校

 「広陵に行くだろうと漠然と感じていた」。広陵高野球部出身の父を持つ宗山。甲子園を見るときも画面の向こうには父の母校が映る。高校進学時にはさまざまな学校からの誘いがあったが、最終的には、憧れの広陵高へ進学した。

 入学後は1年次夏からベンチ入りを果たすと、同年秋には主軸を任される。ドラフト1位右腕・奥川恭伸(東京ヤクルトスワローズ)から2安打を放つなど順風満帆に進んでいた。しかし、2年次春のセンバツは「気持ちで負けていた」と思うような結果は出ず、2試合で計7打数1安打。自信のある守備でも2失策と精彩を欠いた。夏のリベンジを誓うも、2年次夏は県4強で終わり、3度目の夢の舞台には届かなかった。

 

主将として

 新チームが始まると宗山は主将に指名された。「どうしたら日本一になれるのかを常に考えた」。150人もの部員を率いる宗山は「全員で同じ方向を向く」ことの難しさに直面する。秋季大会で結果が出ず「夏しかない」と覚悟を決めた中で夏の甲子園中止が発表。モチベーションが下がった選手たちを救ったのは広陵高が大切にしている人間性の部分であった。「人間性を磨けば、甲子園がなくても成長できる」。宗山の声掛けによって、独自大会に向けチームは前に進んだ。準々決勝の広島新庄高戦では、先制されるも全員野球で1点差の接戦を制し「チームとして一つになれた」。宗山は主将としての役目を果たす。「チームをまとめることの重要性と難しさを知れた」。主将としての1年間は、野球選手としても人間としても宗山を成長させた。

 

次の舞台へ

 高校卒業後は「自分を必要としてくれるチームに進んだ方がいい」と監督の言葉も後押しとなり、明大へ進学。今春の法大戦では、三浦(法大)から決勝点となる本塁打を放ち、鮮烈なデビューを飾った。

 4年間での目標は首位打者と大学日本代表への選出。技術的にも精神的にも、明大の柱となるために。宗山の快進撃はまだ始まったばかりだ。

 

[中村謙吾]

 

◆宗山 塁(むねやま・るい)商1、広陵高、176センチ、76キロ、右投左打ち、内野手

今ハマっていることは、高校時代はできなかったプロスピ。

 

※写真は硬式野球部提供