勝って泣いた 柳

日本一の投手主将だ。3戦連続で先発マウンドに上がった柳裕也主将(政経4=横浜)。計16回を2失点と、チームを優勝に導く力投を見せた。技術面だけでなく、人間的な部分も成長できた明大での4年間。最後に最高の形で恩返しをした。
嬉し涙
かけがえのない仲間がかすんで見えた。試合終了と同時に満面の笑みで歓喜の輪に飛び込む。待ちに待ったこの瞬間。気付けば、目から涙があふれていた。「勝って泣いたのは初めて」。決勝戦は初回に2失点。リードを許しマウンドを降りた。しかし5回には味方が逆転、託したバトンは星が最後まで守り抜いた。「柳、ありがとう!」。スタンドから飛び交う声援に、顔を覆いながら何度も何度もうなずいた。
2年前の神宮大会決勝。駒大戦でリリーフした柳は当時のエース山﨑福也選手(平27政経卒・現オリックス・バファローズ)から、直接ボールを受け取った。「福さんを見て、明治のエースというのを学んだ」。次はお前が明治で投げていくんだ――。白球を通して思いは伝わった。
駒大には0―3で敗れた。負けて引退する先輩たちを見て「全国で優勝しないと意味がない。勝って引退する」。そう心に誓った。あれから2年、帰ってきた決勝のマウンドで、4年間つかめなかった栄冠をついに手にした。
出会い
中学卒業と同時に地元・宮崎県から野球留学。名門・横浜高のエースナンバーを背負った。明大には「このユニホームを着て野球をやりたい」と進学を決めた。「大学野球をなめていたんですよね」。今でこそ笑って話すが、入学前の甘い考えはレベルの高い投手陣を前にかき消された。「このままじゃ絶対に投げられない」。そんな危機感も柳を強くさせた。
4年目になり、新チームの主将に任命された。主将という肩書が加わった当初は「何で俺みたいに考えてくれないんだ」と同期との温度差を感じた。ついカッとなることもあった。それでも、すぐに考え方は変わった。「自分がチームのことを一番に考えるのは当たり前」。迷えばすぐ同期に相談し、勝てるチームをつくった。「この同級生じゃなかったら、こんなに充実した4年間にならなかった」。最高の仲間と〝日本一〟の置き土産を残した。
「感謝」
憧れの選手も、座右の銘もない。ただ「周りの人への感謝の気持ちだけは忘れないようにやってきた」。そこに柳らしさがあり、チームメートが柳を支える理由がある。「本当に明治のユニホームに育ててもらった」。4年間の思いが詰まったユニホームに誇りを持って別れを告げる。
次に着るのは中日ドラゴンズのユニホーム。「柳を見ようと球場に来てくれる方が増えてくれるといい」。チームに信頼され、ファンに愛される選手へ。柳裕也という男はこれからもマウンドに立ち続ける。
【土屋あいり】
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