森下暢仁 明治でNo.1へ

2016.04.01

 神宮のまっさらなマウンドへ今、歩み出す。森下暢仁(まさと)投手(政経1=大分商)は昨年のU―18(18歳以下)日本代表の中で唯一、甲子園未出場ながら世界を相手に戦った。プロからの注目度も高まる中、大会後に進学を決断。鳴り物入りの18歳は4年間でのレベルアップを力強く誓った。

圧巻の神宮デビュー
 無限の可能性を感じさせる25球のデビューだった。3月下旬に神宮球場で行われた社会人対抗戦、六回のマウンドに森下暢が上がる。堂々のマウンド捌きを見せ、1回を無安打無失点。チームメートに出迎えられ、初々しい笑みをこぼした。
 「直球で強く押して、変化球を交ぜて打ち取っていくのが持ち味」。180㌢のすらっとした体がゆっくりと左足を上げる。力を存分にためたフォームに、天性ともいえるしなやかな腕の振り。そこから繰り出される最速148㌔の直球に、決め球のスライダー、カットボール、カーブを織り交ぜる。表情を変えることなく淡々と投げ込む姿に、森下暢の秘めた強さがある。

「一員」になった日
 高校日本代表、それは人生を変えるかけがえのない経験となった。選出された20人の中で森下暢はただ一人、地区予選敗退ながら選ばれた。チームの合流当日、周りを見渡せばそこには数日前まで甲子園を沸かせていた選手たち。体格の大きさ、一球に対する意識の高さ。見るもの全てに圧倒された。「こういう人たちがプロになっていくんだな」。それでも、メンバーに選ばれていることがこの右腕の潜在能力の高さを裏付けていた。
 日数を重ねるにつれ、森下暢は堂々たるチームの「一員」へと成長。登板した3試合全てで無失点の好投を披露した。中でも「強い気持ちで投げられた」と先発を任されたチェコ戦では7回3安打12奪三振とその実力を見せつけた。決勝のアメリカ戦で惜しくも敗れたが、日の丸を背負って過ごした日々は幸せな時間。「みんなに期待されてこの舞台に立っている」。首から下げた銀メダルにはそれ以上の価値が詰まっていた。

悩み抜いた1カ月
 プロ6割、進学4割。最後の夏を終えた時の正直な胸の内だった。伸びしろの大きさを評価され、志望届を出せばドラフト指名は確実。それでも日本代表での経験を通して「このままプロに行って自分は通用するのか」。そんな思いが芽生えていた。周囲の人に話を聞いては、両親と相談し続ける日々。「プロになりたいという気持ちも強かった」。ただ、大学でトップチームに選ばれる選手を目指すのもいいのではないか。U―18大会後、最後は一人で決断を下した。プロへの思いが強いからこそ、大学4年間でさらに磨きをかける道を選択した。
 大学野球で勝てる投手の条件を「コントロールと勝負強さ」と話す。目前に迫った東京六大学春季リーグ戦、1年目からの登板も射程圏内だ。「任されたところでがむしゃらに、ひたすらにやっていきたい」。神宮の主役に「明治の森下暢仁」が躍り出る日へ、もう迷わない。
【土屋あいり】

◆森下暢仁(もりした・まさと)1997年生まれ。大分県出身。大分商高時代の最高成績は1年夏の甲子園出場。昨年の9月に行われたU―18(18歳以下)ワールドカップ(W杯)に日本代表として出場を果たした。明大では2月の沼津キャンプ、3月の米国キャンプにAチームとして帯同。3月25日に行われた国武大とのオープン戦で先発し、5回1安打無失点の力投を見せた。