(14)最後に最高の結果を 柴田章吾

硬式野球 2011.09.10
(14)最後に最高の結果を 柴田章吾


 「シャーッ!」。巨人打線を相手にひと際威勢のいい声を挙げ上げる選手がいた。柴田章吾(文4)だ。相手がプロ野球選手だなんてことは関係ない。「自分の思ったところに気持ちの入ったボールが投げられた」という言葉通り左サイドから打者の膝元をずばっと突いていく。四球でランナーをため、打たれるという過去のリーグ戦でのピッチングとはまるで別人だった。


 愛工大名電高時代は難病と闘いながら、愛知県大会決勝で慶応・伊藤のいた中京大中京高を破って甲子園に出場。引退後も練習を続け万全の準備をして入学した柴田(章)。リーグ戦デビューはエース・野村(商4)と同じ1年春と早かった。ワンポイントとして5試合に登板。ベンチ入りした1年の投手は野村と柴田(章)、隈部(商4)だけと、将来を嘱望されていた。

 順調なスタートを切ったが、その後は柴田(章)にとって苦しい日々が続いた。新人戦での登板はあるものの、コントロールが定まらずピリッとしない内容。その後もリーグ戦登板はおろか、ベンチ入りまで激減した。度重なるケガ、3年春にはイップスも経験。一時は外野手の練習をしたこともあった。今春も最終カードでようやく登板機会を得るも、打者2人に対し2四球で無念の降板。このまま柴田(章)の大学野球は終わってしまうのか――。「春が終わってあとがなくなって、本当に悩んだ。ピッチャーはできないかなって思った」というほど、追い込まれていた。

 しかし、自分自身を信じ、最後までやると決心した。「自分は最後の最後に強い」。甲子園を目指した高校時代がそうだった。2年春からエース級の活躍が期待されたが、2年夏はチームが甲子園に出るなか柴田(章)は体調不良で出場できず。3年春は東海大会2回戦で自らの押し出しサヨナラ負けで選抜出場もかなわなかった。甲子園へのラストチャンスである3年夏。愛知県大会直前に腰痛を発症。痛みに襲われ、準々決勝まで登板なし。ようやく登板した準々決勝では、1回1/3を3失点と本来の調子からは遠かった。だがここからが柴田(章)の真骨頂。準決勝で3回1/3を無失点と立て直し、腰の痛みも引いてくる。そして決勝では強打の中京大中京打線を5回2失点に抑え、最後の最後で念願の甲子園出場を決めたのだ。だからこそ、大学での苦労も無駄ではない。最後に最高の結果を出すための準備期間だったのだ。

 努力の仕方も変えた。普通に練習をしているだけでは選手層の厚い明治で活躍するのは難しい。「どうすればよくなるのか」。考えた末そして選択したのは、理想を捨てること。オーバースローでストレートを思い切り投げたいという気持ちを抑え、試合で通用するやり方を考えた。課題のコントロールをよくするため1年前にサイドスローに転向。「前よりいい感じ」という言葉通りオープン戦では絶好調。8月中旬の韓国遠征では先発し5回を無失点に抑えた。そして8月26日の巨人との練習試合も3回を打者9人で料理した。もちろん四球もない。9月に入ってからも短いイニングながら安定した投球を続けている。

 調子は「4年間で一番いい」。慶応の4番・伊藤との再戦にも意欲を見せる。「高校の最後は自分が勝っているので」と大学球界を代表する主砲を抑える気は満々だ。左投手が手薄な明治。彼の力が必要になる時が、必ず来るはず。ラストシーズン、柴田(章)が明治の救世主になる。

◆柴田章吾 しばたしょうご 文4 愛工大名電高出 175㎝・70㎏ 左/左


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