映画『花束みたいな恋をした』土井裕泰監督インタビュー・拡大版①

 4月1日発行の明大スポーツ第518号の企画面では、映画『花束みたいな恋をした』の撮影の裏話などを語ってくださった土井裕泰さん。新聞内ではやむを得ず割愛したインタビュー部分を掲載いたします。

(この取材は2月7日に行われたものです)

 

――映画を製作するに至った経緯を教えてください。

 「脚本の坂元裕二さんとは 2017年に『カルテット』というドラマを一緒に作りました。 それもオリジナルのドラマだったのですが、僕がディレクターになった頃の連続ドラマは 割とオリジナルのドラマの時代でした。それこそ、野島伸司さんや、北川悦吏子さん、岡田惠和さんなど、そうそうたる脚本家の方たちが腕を振るっていて。それが2000年以降は漫画などの原作ものが多くなっていったのですが、僕はオリジナルのテレビドラマを見て育ってきて、そしてそれで仕事を始めた人間でもあります。なのでオリジナルのドラマをやれるチャンスがあれば、やりたいと常々思っていました。17年に坂元さんと『カルテット』というオリジナル作品をやることができ、それは自分の中で「いい仕事ができたな」と思える仕事になったんです。そしてその翌年、坂元さんから『20代の若者たちを主人公にしたラブストーリーを映画でやります。一緒にやりませんか』と声を掛けていただきました。もうそれは僕にとっては願ってもない話というか、演出家として本当にやりたい仕事だなと思ったので、その場でお引き受けしました」

 

――声を掛けられた段階ではまだ脚本ができていなかったそうですが。

 「20代の男女のラブストーリーを菅田将暉君と有村架純さんとでやりたいということは決まっていましたが、それ以上の具体的なことは決まっていなかったです。ただ、今回は出会いから別れまでを描くラブストーリーにしたいという思いは最初から坂元さんの中にありました。恋愛の美しさは決して留めてはおけないのだという人生の苦い真実を描くこと。近頃、ありそうでなかったリアリティーのあるビターなラブストーリーをやりたいのだということには僕もすごく共感できました」

 

――題名は最初から決まっていたのですか。 

  「題名はまだ決まっていなかったです。『終電クロニクル』という仮のタイトルで、撮影の始まる1か月前くらいまで準備を進めていました。『花束みたいな恋をした』というタイトルを最初に聞いた時には少し甘いというか、かわいらしすぎないかなと思ったのですが、次第にものすごく深いタイトルだなと思うようになりました。『花束みたいな恋』 とは何だろうとかいう公式の答えはありません。それは観た人たちがそれぞれ自分なりに想像してもらえればいいので。でも改めて、奥行きのあるタイトルだなと思います」 

 

――撮影前と撮影後で作品のイメージは変わりしましたか。

 「菅田君も有村さんも本当にリアルにこの役を生きるということを大事にしていました。撮影自体も割と順撮りできていたので、毎日彼らと会って、彼らの日常を一緒に生きているような感覚が今回はすごくありました。だから、最後のファミレスでのあの長い長い話をしている時は、彼らと同じように切なく、つらい気持ちをリアルに体感していました。そういう経験ができた映画でしたね。やっぱり菅田君と有村さんが麦と絹という2人をリアルに生きてくれたことによって、坂元さんの脚本が生々しく育っていったというか、脚本とはニュアンスが変わった部分もあったのですが『それはそれでもう一つのリアリティーだ』。そういうふうに思える現場だったので、撮影していてもとても楽しかったです」


(主人公の2人が出会う明大前駅の改札)

 

――撮影されている時にご自身の大学時代と重なる瞬間はありましたか。

  「やはりフラッシュバックする瞬間はたくさんありました。けれども、僕は今回〝自分を投影しない〟ということをすごく心掛けていたんです。もちろん僕が大学生だった30年くらい前とはものすごく変わってしまったものはあるけれど、きっと変わらないものはどうやっても変わらないんだなということは信じられたので、そこに僕のノスタルジーみたいな不純物を入れないようにしようと。『2015年を生きている若者の話を僕はただ見つめていよう』と思っていました。菅田君と有村さんは、今の時代を代表する非常にリアリティーのある俳優さんたちじゃないですか。だから、やっぱり彼らの生々しい息遣いというか、そういうものがどれだけ画面に写しだせるかということを一番大事に考えていました。ただそれでも『うわ、この場面の空気を知っている』という瞬間はたくさんありましたね(笑)」

 

[堀之内萌乃・菊地秋斗]

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